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がんとは何か――。 自分自身の体験から 私なりの〝解〟を見つけました

患者さんインタビュー
帯津三敬病院職員 大野 聰克さん

Ⅳ期の直腸がんと診断され恐怖と不安に苦しみながら死について考え抜きました

[おおの・としかつ]——1945年、長野県生まれ。1980年、埼玉県川越市で電気機器、高周波関連機器の製造会社を設立。1991年、Ⅳ期の直腸がんと診断され、手術を受ける。1999年より帯津三敬病院職員となり、気功の指導やビワの葉温灸の施術を行う。著書に『ガンは悪者なんかではない』(風雲舎)がある。

私ががんと診断されたのは、いまから28年も前の話です。当時、45歳だった私は、自営業で毎日忙しく働いていました。20代の頃から血便が出ることはありましたが、あまりにもひどい下血が続いたので、自宅の近くにある帯津三敬病院(埼玉県川越市)で検査を受けました。検査の結果、Ⅳ期の直腸がんと診断されたのです。これまで病気らしい病気はしたことがなく、健康に自信があった私は、大きな衝撃を受けました。

当時、私にはがんに関する知識がまったくなかったので、手術を受けて薬を飲めば治るだろうと楽観的に考えていました。がんになったことよりも、手術を受ける前に、「人工肛門になるかもしれません」といわれたことのほうがショックだったほどです。

診断を受けてから、すぐに手術を受けました。残念ながら肛門は残せませんでしたが、「悩んでもしかたがない。これからは人工肛門と仲よくやっていこう」と気持ちを切り替えました。

ところが、主治医から「肝臓に転移があります。肝臓は無理です。治りませんよ」と厳しい事実を告げられたのです。先生の言葉は、私にとって死を意味していました。

告知を受けた私は、ひたすら死について考え、もんもんとする日々を送りました。睡眠薬を飲んで早めに寝ても、毎晩死ぬ夢を見て、夜中に何度も目を覚ましました。1度目を覚ますと、がんに対する恐怖と不安で眠れなくなるのです。

時間がたつとともに、少しずつ落ち着きを取り戻していった私は、どんなに死に対する恐怖や不安があっても、いま、自分は生きているのだという事実に、あらためて思い至りました。いまよりも生命力を高めていけば死からはきっと遠ざかるはずです。私は、自分の生命力を高めようと決意しました。

直腸がんの手術の後、温熱療法と抗がん剤治療を受けましたが、体が悲鳴を上げていると感じるほど苦しかったです。せっかく生命力を高めようと決めたのに、温熱療法や抗がん剤治療を続けると、生命力が低下してしまうと思いました。

大野さんが指導する太極拳の時間を楽しみにしている患者さんは多い

生命力を高めることは、全身にある1つひとつの細胞が喜ぶような心地よいことのはずです。私はできるだけ心身をリラックスさせ、気持ちがいいと感じる治療を受けることにしました。私が入院した帯津三敬病院は、西洋医学だけでなく、中国医学や民間療法をがん治療に取り入れており、治療法の選択肢はたくさんありました。

私は治療法の1つとして、気功に夢中になりました。体の中の〝気〟を整える気功は、ゆっくりした呼吸と動きによって、体も心もリラックスできるので、自分の体が喜んでいるのが分かりました。気功はいまでも続けています。

ビワの葉温灸も私の大好きな治療法でした。ビワの葉温灸では、体に当てたビワの葉の上から、棒状に固めたもぐさに火をつけて温灸を施します。現在は専用の機器があり、誰でも簡単にできるようになりました。

帯津三敬病院では、がん治療の1つとして漢方薬も処方してもらいました。私の場合、漢方薬を飲むと、全身に力がみなぎってくるような気がしました。体を動かすのはもともと大好きでしたから、階段の昇り降りや散歩といった苦痛にならない程度の運動をするようにしました。

治療を続ける中で、私はしだいに「がんとは何者なのだろう」という疑問を抱くようになりました。がんは不治の病といわれ、誰からも怖がられています。私も最初は恐怖で身がすくみました。しかし、たくさんのがんに関する本を読んで気がついたのは、がんの正体についていろいろな説があるということでした。人によっていうことが違うのだから、がんの正体はまだ明らかになっていないのではないかと考えたのです。分からないものを怖がるなんておかしいと思った私は、がんの正体を突き止めようと意欲を燃やしはじめました。

私は子どもの頃から数学が大好きでした。理屈を組み立てていけば、答えにたどりつけるからです。難問が目の前に現れると、寝食を忘れて〝解〟を探すのに夢中になりました。がんの正体とは何者かという大きな難問に一生懸命に取り組んでいると、恐怖や不安などどこかへ吹き飛んでしまいました。我ながら妙な性格だとは思いますが、がんを克服できたのは、この性格も理由の1つかもしれません。

がんは人類最大の敵といわれています。でも、がんはほんとうに悪者なのでしょうか。

私は、がんにもなにか役割があるのではないかと考えました。なかなか答えは見つからず、いくら考えても解答を出すのは無理と諦めかけたとき、ふと「植物は水が不足したとき、どうやって命を守るのだろうか」という疑問が頭に浮かびました。

水不足になったとき、植物は根を伸ばして水を得ようとします。根から吸い上げる水が足りなければ、水を節約するためにみずから葉を落とします。葉が犠牲になって、植物全体の命を守るのです。

植物を人間に当てはめてみるとどうでしょう。人間にとっての水不足は、血液が全身に行き渡っていない状態です。血流が悪くなると、すべての細胞に十分な血液が行き渡らなくなり、生命力は低下するでしょう。生命を維持するためには、枝から落とされる葉のように、体のどこかの細胞が犠牲になって全身の血液不足を補わなければいけません。その犠牲になる細胞こそが、がん細胞なのではないでしょうか。私はこのような考えから、がんは悪者ではなく、その人を生かすためにできたという結論に達しました。

血流がよければ、がん細胞は必要ありません。でも、血流が悪くなって全身の血液が足りなくなったとき、体の一部の細胞ががん化して血液を使わないようにすることで、他の細胞に十分な血液が供給されているのではないでしょうか。私の考えは暴論かもしれません。でも、「がん細胞は酸素や栄養分がなくても生きていける」という説もあります。決して的外れなことをいっているつもりはありません。

この仮説が正しいとすると、がんを治したいときには血流を改善すればいいことになります。気功やビワの葉温灸、漢方薬、運動は、すべて血流をよくするものばかり。私が取り組んだ治療法は、すべて持論にかなっていました。

がん治療を終えた私は、1999年に帯津三敬病院の職員になりました。病院では、気功の指導やビワの葉温灸の施術をしています。気功やビワの葉温灸を行いながら、「がんは悪者ではありません」という私の仮説をお話しすると、患者さんはとても喜んでくれます。

がんを自分の体に巣食った悪魔だと捉えるか、それとも自分を救うために生まれた天使だと捉えるか、どちらを選ぶかによって闘病のしかたが大きく違ってきます。どんな治療を選択して取り組めばよいかを自分で考え、納得のいく答えを出せるようになりたいものです。

かけがえのない仲間とともに豊かな人生を過ごせるのはがんのおかげかもしれません

大野さんは気功の他、勤務する帯津三敬病院で太極拳の指導も行っている。大野さんの流れるような動きは、柔らかさと気迫にあふれている

28年前にがんにならなかったら、私はストレスをためながら働くばかりで一生を終えていたでしょう。仕事は好きでしたが、お金や納期といった目先のことに悩まされ、余裕のない孤独な日々を過ごしていました。がんになったからこそ、生きる意味や死ぬ理由など、命について深く考えられたのです。

がんになってから、たくさんの仲間もできました。がんを患ったという共通の経験があるので気が合います。無口で引っ込み思案な性格の私は、がんになる前は仕事関係のつきあいが中心で、親しく話せる仲間はいませんでした。しかし、いまでは仲間とともに花見や旅行に出かけたり、富士山に登ったりして人生を楽しんでいます。仲間がいつでも集まれるように、広い家も建てました。毎年末にはわが家に40人ほどが集まり、にぎやかに忘年会を行っています。

がんのおかげで、ほんとうに人生が豊かになりました。がんになって生き方が変わったことで、かけがえのない仲間が増え、新しい仕事を得たり家を建てたりするなどのうれしい変化が起こっています。2019年3月には、夢にも思わなかった自分の本を世に出すこともできました。人生を見直すきっかけになるという意味でも、「がんは人を生かすためにできた」という私の〝解〟は正しいのではないかと思っています。