唾液は口の中をはじめ全身の健康に関係する分泌液で抗菌や修復、免疫力増強作用を発揮
近年の研究によって、口腔内の状態が口の中のみならず、全身の健康にも関係していることが分かってきました。私たちが行った研究では、歯の数の減少や義歯を使わないことによって認知症が起こりやすくなることも分かってきています。
口腔環境、ひいては全身の健康状態に大きな影響を与える物質として、唾液の存在に注目が集まっています。唾液は、唾液腺から分泌される分泌液の1つで、血液から作られます。健康な人は1日に1~1.5㍑の唾液が分泌されています。
唾液にはサラサラした「漿液性唾液」とネバネバした「粘液性唾液」の2種類があります。主に3つある唾液腺のうち、耳下腺からは漿液性唾液、舌下線からは粘液性唾液、顎下腺からは漿液性唾液と粘液性唾液の両方が分泌されます。
唾液の分泌は、自律神経(意思とは無関係に内臓や血管の働きを支配する神経)によってコントロールされています。漿液性唾液は、心身をリラックスさせる副交感神経が優位なときに分泌され、粘液性唾液は心身を緊張させる交感神経が優位なときに分泌されます。
唾液には私たちが健康を維持するうえで欠かせないさまざまな働きがあります。主なものをご紹介しましょう。
● 抗菌作用
唾液が持つ働きの1つに、強力な抗菌・殺菌作用があります。食べ物や外気に触れる口は、細菌やウイルスが侵入しやすい器官です。唾液にはリゾチームやペルオキシダーゼ、ヒスタチンなど、抗菌・殺菌作用のある酵素が含まれているので、口腔内の環境維持に役立ちます。
● 免疫力増強作用
唾液には免疫グロブリンやラクトフェリンといった免疫力の増強につながる物質も含まれています。ケガをした動物が傷口をなめるのは、唾液に含まれる物質によって消毒と傷の修復が同時にできることを本能的に知っているからでしょう。
● 保護・修復作用
唾液が十分に分泌された口腔内は弱酸性の環境に整えられ、歯周病菌や虫歯菌が増殖しにくくなります。さらに唾液には、傷ついた歯や歯茎、口の中の粘膜の修復を促す働きもあります。
● 味覚作用
私たちは口からとった食べ物を唾液と混ぜて溶液にすることで、初めて味として認識できます。唾液の分泌量が減少すると味を感じる力も衰え、味覚障害を起こしやすくなります。
● 消化促進作用
唾液に含まれるアミラーゼという酵素は、消化を促進させる働きがあります。口の中で食べ物の消化が進むと胃酸の過剰な分泌が抑えられるので、胃や腸の負担を軽減できます。
● 潤滑作用
唾液には、舌の動きを滑らかにして発音をはっきりさせたり、口の中の潤いを保って口臭を予防したりする働きもあります。さらに、口からとった食べ物をコーティングして「食塊」という塊にする働きもあります。唾液の量が十分にないと、口からとった飲食物がのどを通りにくくなります。
唾液量の減少は加齢やストレス、噛む回数に関係し薬の服用による副作用でも起こる
さまざまな働きを担っている唾液は、加齢によって唾液腺が老化すると分泌量も減少していきます。加齢以外で唾液の量が減少する要因として、ストレスや喫煙が挙げられます。常に口を開けて口呼吸をしている人も、口内の乾燥が進んで唾液の量が不足します。
さらに、噛む回数も唾液の分泌と大きな関係があります。高齢者の中には、硬いものが食べづらくなったり、入れ歯が合わないために噛む回数が減ったりしている人も多いでしょう。噛む回数が減ると唾液腺が刺激されなくなるため、唾液の分泌量が減っていきます。その結果、口の中で歯周病菌や虫歯菌が増殖して口腔環境がより悪化してしまうのです。
唾液の量が減少する原因としてシェーグレン症候群も挙げられます。シェーグレン症候群は、免疫の乱れによって体液が分泌されにくくなる、自己免疫疾患の1つです。シェーグレン症候群を発症すると、唾液のみならず涙の分泌量も減少するため、目の乾燥(ドライアイ)も顕著になります。
シェーグレン症候群の治療法として、体液の分泌を促す内服薬のほか、過剰な免疫力を抑えるために副腎皮質ステロイド薬を使用することもあります。目や口の乾燥が気になる人は、専門医による診察を受けることをおすすめします。
薬による副作用でも唾液の分泌量が減少します。抗うつ薬や抗アレルギー薬のほか、高齢者がよく服用する降圧薬や血糖降下薬、睡眠導入剤などは、副作用によって唾液の分泌量が減少することがあります。
唾液の減少に伴う口の乾燥は口臭や痛みの原因で肺炎を招く嚥下障害にも注意
先に解説したように、唾液の量が減少すると、口腔内のみならず全身の健康に悪影響を及ぼします。唾液と密接に関係する病気や症状を挙げてみましょう。
● 歯周病・虫歯
唾液の量が少ないと口腔内に食べかすが残り、歯垢ができやすくなります。歯垢の約7割は細菌であり、その中には歯周病菌や虫歯菌が含まれています。唾液の量が多ければ、抗菌作用で歯垢ができにくくなり、歯周病菌や虫歯菌の増殖も阻止します。
虫歯菌は砂糖を取り入れて作った酸で、歯をとかします(初期虫歯)。歯の成分であるカルシウムやリンが多く含まれている唾液には初期虫歯を修復する働き(再石灰化作用)があり、虫歯の予防にもなるのです。
● 口臭
口臭を引き起こす原因の9割以上は、口腔環境の悪化にあります。具体的には歯周病や虫歯を筆頭に、歯垢・歯石・舌苔・義歯の清掃不良などが挙げられます。歯周病菌から生まれる硫黄化合物が、口臭のもとになるのです。
口臭のほとんどは、唾液が十分に分泌されれば改善・解消できます。ていねいな歯磨きによる口腔清掃も効果的です。
● 口腔乾燥症(ドライマウス)
口腔乾燥症は、更年期以降の女性に多く見られる症状です。口の中が乾燥すると、口の粘膜が傷つきやすくなります。舌の先がピリピリと痛む「舌痛症」を併発することもあります。
● 糖尿病・慢性腎臓病
近年の研究により、歯周病が糖尿病や慢性腎臓病を悪化させる因子であることが分かっています。歯周病が悪化すると、歯茎や歯を支える骨が痩せて、隙間(歯周ポケット)が生じます。歯茎の隙間から血管内に侵入した歯周病菌やその毒素は、血管の狭窄や閉塞の原因になるアテローム(粉瘤)の沈着を促して動脈硬化(血管の老化)を進めます。
毛細血管が障害を受けると、糖尿病の悪化のみならず、毛細血管の塊ともいえる腎臓も機能が大きく低下します。
唾液は血液から作られます。糖尿病患者さんの唾液には過剰な糖が含まれているため、糖をエサにして、口の中の細菌が増殖する悪循環が生まれるのです。
● 嚥下障害
先に解説したように、私たちは口からとった食べ物を唾液によってコーティングし、「食塊」にすることで飲み込みやすくしています。唾液の量が少なくなると、口の中で食塊が作れなくなり、飲食物が誤って気道に入りやすくなります。本来入るべきではない飲食物やウイルスなどが気道に入ることを誤嚥といいます。
誤嚥は唾液量の減少のほか、のど周辺の筋肉が衰えて飲み込み力が衰えることで起こりやすくなります。誤嚥によって起こる問題として「窒息」が挙げられます。現在日本国内では、交通事故で亡くなる人の2倍近くが、飲食物を気管に詰まらせる窒息によって亡くなっています。
誤嚥によって起こる誤嚥性肺炎も大きな問題になっています。肺の中はもともと無菌状態に保たれていますが、誤嚥によって細菌が気管に入り込むと、肺で一気に増殖して炎症を起こしてしまうのです。
誤嚥性肺炎は、高齢者の主要な死亡原因として問題視されています。かつて日本人の死亡原因の順位は、がん、心疾患、脳血管疾患の順でしたが、2011年から肺炎が脳血管疾患を抜いて第3位になったのです。肺炎で亡くなる人の94%は75歳以上で、約7割は誤嚥性肺炎といわれています。
誤嚥性肺炎を防ぐには唾液の分泌と口腔環境の改善が重要で食後の〝つまようじ法〟が効果的
誤嚥性肺炎は、本人や家族が気づかないうちにゆっくりと進行します。一度発症した誤嚥性肺炎を自然治癒させることは難しく、毎日の食事で誤嚥を繰り返すことで肺の炎症が徐々に悪化し、気づいたときには手遅れになることが少なくありません。
誤嚥性肺炎を防ぐために、医療機関ではのど周辺の筋肉を強化するトレーニングがすすめられています。有効な手段ではあるものの、すでに飲み込む力が衰えている高齢者が、毎日トレーニングを実践するのは容易ではありません。
さらに、誤嚥性肺炎は飲食物のみならず、唾液を誤嚥することでも起こります。特に高齢者や寝たきりの人、脳血管障害を起こした人の就寝中は要注意です。就寝中に唾液が少しずつ肺に入って炎症が起こることを「不顕性誤嚥」といいます。
唾液が少ない状態の口腔内は、細菌の温床です。就寝中は唾液の分泌量が減るため、細菌の増殖が進みます。細菌が増殖した唾液を誤嚥すると、不顕性誤嚥による肺炎が起こりやすくなります。
誤嚥性肺炎を防ぐには、唾液の分泌量を増やすことが重要です。唾液の抗菌・殺菌力によって口の中にいる細菌を減らせば、誤嚥をしても炎症が起こりにくくなるからです。
誤嚥性肺炎や歯周病・虫歯、口臭を防ぐには、うがいや歯磨きで口の中を清潔に保つことも大切です。私は効果的な歯磨き法の1つとして、歯と歯の間をつまようじを使うように磨く〝つまようじ法〟をすすめています。歯茎のマッサージもできるつまようじ法は歯周病や口臭対策にもなるので、ぜひ習慣にしてください。
就寝中は口の中で細菌が著しく増殖します。朝起きたときは、歯磨きやうがいをする前に、歯ブラシを使って、舌の奥から手前に向けて2~3回、ごく軽くこするといいでしょう。口の中の細菌を減らしておくことで、歯磨きやうがいのさいに誤嚥をしても炎症が起こりにくくなることが期待できます。