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ランドルフ博士が提唱した化学物質過敏症の歴史

Dr.坂部の化学物質過敏症コラム

千葉大学予防医学センター特任教授 坂部 貢

[さかべ・こう]——東海大学医学部卒業後、米国タフツ大学医学部リサーチフェローを務める。医師・医学博士。北里大学北里研究所病院臨床環境医学センター長・アレルギー科部長、東海大学医学部教授・医学部長兼副学長を経て、2022年から現職。日本臨床環境医学会理事長。化学物質が健康に与える影響を基礎・臨床の両面から研究。著書に『家庭でできる身のまわりの化学物質から家族を守る方法』(PHP研究所)など。

このコラムでは、皆さんに化学物質過敏症に対する正しい知識を持っていただきたいと思います。その過程として、化学物質過敏症の歴史について簡単に触れておきましょう。

化学物質過敏症を初めて提唱したのは、アメリカ・シカゴのアレルギー専門家であるセロン・G・ランドルフ博士でした。今から約60年前になる1961年のことです。

当時、ランドルフ博士の周辺では、「原因が分からないけど体調が悪い」「病院で診察を受けても異常が見つからない」といった、いわゆる不定愁訴を訴える人が多く現れていました。原因を究明すべく、博士が彼らの生活環境を調べたところ、生活圏の風上に化学物質を扱う工場が建っていることが分かりました。さらに調査を進めると、その工場から出る排煙の影響を受けている人が体調不良を訴えていることも判明したのです。

その後、1970年代に欧米でシックビルディング症候群の概念が提唱され、日本では1990年にシックハウス症候群(SHS:Sick House Syndrome)として紹介されました。

日本でシックハウス症候群に関する報道が増えていた当時、私はアメリカのボストンにあるタフツ大学に留学していました。細胞生物学の実験をしていた時、私の一生を決定づける大きな転機がありました。

その実験は、乳がん細胞に女性ホルモンのエストロゲンを添加する実験でした。通常、乳がんの細胞はエストロゲンで増殖します。ところが、エストロゲンを添加しなくても、がん細胞が増殖していたのです。研究員が総出となって原因を調べた結果、乳がん細胞を入れていたプラスチック容器からノニルフェールという化学物質が溶け出していたことが分かりました。「化学物質は人間の細胞に影響を及ぼす」ことを目の当たりにした私は以後、化学物質の研究にのめり込むようになりました。

日本で報道されていたシックハウス症候群は、学校版のシックスクール症候群として広がりを見せていきました。その後、シックハウス症候群は厚生労働省によって室内空気中における化学物質濃度の指針値が提示されるようになり、対策が進んでいきました。現在、シックハウス症候群の患者数は減少傾向にあるものの、根本的な解決にはまだ時間がかかりそうです。

ランドルフ博士が化学物資の危険性を提唱してから約60年。現在も、化学物質の問題は解決するどころか何も変わっていないのが実情です。この半世紀という年月こそ、化学物質過敏症の難しさを示している証といえるでしょう。