父の喜ぶ顔が見たくてのど自慢大会に出場し歌っていました
親が熊本市の商店街でお店を構え、当時としては珍しい蓄音機が家にありました。いつも音楽がかかっていて、小さいころから鼻歌混じりにリズムを刻んでいました。
商店街の中で、私の家族は地域で何かと注目される存在でした。父に連れられて商店街ののど自慢大会に参加し、地域のイベントで司会のお手伝いもしました。私が歌うとお客さんから大反響があって、規模の大きな歌謡コンテストに出るようになりました。
父は私を歌手にしたかったようです。でも、当時の私は歌うことにそれほど興味はありませんでした。副賞としてもらえる自転車やステレオセット、私の活躍を喜んでくれる父の顔を見るのがうれしくて参加していました。
15歳のときに出場したレコード会社主催の「コロムビア全国歌謡コンクール」で作詞家の星野哲郎先生と出会い、私の人生は変わりました。本来であれば優勝者だけがレコード会社からスカウトされるのですが、審査員だった星野先生は2位の私を気にかけてくださり、練習生としてスカウトしてくださったんです。そして、星野先生のもとで4年間のレッスンを積み、19歳でプロの歌手としてデビューしました。
星野先生は、私にとってもう1人のお父さんのような存在でした。星野先生と過ごす時間が楽しかったから、歌の練習に力が入りました。父も私がプロの歌手になることを夢見て、懸命に応援やサポートをしてくれました。星野先生や父のような〝まわりの人たちの想いや優しさにこたえたい〟という気持ちが、歌手としての私の原点です。
一方で、若かったこともあり、自分の思いや意見をストレートに表現していました。当時、いっしょに仕事をした方からは、わがままと思われていたかもしれません(笑)。
『三百六十五歩のマーチ』のお話をいただいたとき、最初は「歌いたくない」と伝えました。私は演歌を歌いたいのに、歌謡曲だったからです。生意気ないい方をすると、「ワン、トゥー」という発音が気に入らなかった。1時間ほどだだをこね、最終的には歌謡曲なのにこぶしを入れ、「ワン、トゥー」は「ワン、ツー」と歌えるように変えてもらいました。
後日、聞いた話では『三百六十五歩のマーチ』は、星野先生にとって思い入れのある曲だったそうです。北島三郎さんや小林幸子さんの歌詞も作っていた星野先生の想いがつまった歌に、若気のいたりとはいえ口出しするなんて……。大人になったいま、ひどく反省しています。
その後、歌手の活動と並行して、ドラマや舞台と仕事の幅を広げていきました。役を演じるというよりは、ふだんの自分をそのまま出していました。相手の役者さんがイライラさせるようなことをいってきたら、私は演技ではなく本気でムッとして言葉を返していました。いま考えると、相手の役者さんは演技をしながら素人同然の私を気遣い、本気で怒っているように対応してくれていたんでしょうね。
歌手でも役者でも、私はいつもありのままの自分を表現しています。そんな私を〝チータ〟として、多くの方々が応援してくれました。サポートしてくれる方がおおぜいいたから、私は今日まで仕事を続けてこられたのだと、感謝の気持ちでいっぱいです。
皆さんが抱いているチータのイメージは、元気で快活でしょう。しかし、幼いころは1週間に1度は病院に行くような虚弱体質でした。成長するにつれて改善し、大きな病気は20歳のときになった虫垂炎ぐらいで、70歳を超えるまで大病はしていません。
そのせいか、「健康法を教えてください」と聞かれます。でも、私にはこれといった健康法がありません。生活習慣は気にしていませんし、定期健診や人間ドックも受けたことがないんです。でも、健康に気を遣っていないわけではありません。体に不調を感じたらすぐに病院に行きます。処方された薬は、先生にいわれたとおりにきちんと飲みます。薬は「飲めば治る」と強く思うようにしています。このような心がけをしているからか、寝込むほど具合が悪くなることはありませんでした。
脊柱管狭窄症の痛みは手術で解消しステージに復帰できました
数年前に突然、足が自分の体ではないような感覚を覚え、意思とは違う方向に進んでしまったんです。その状態で歩けばたちまち転んでしまいそうだったので、すぐに病院へ行きました。検査の結果、腰部脊柱管狭窄症(以下、脊柱管狭窄症と略す)と診断されました。腰痛や足のしびれを感じたことがほとんどなかったので、診断されたときは驚きました。
最も改善の期待できる治療法が手術だと医師にいわれたので、私は専門家の言葉を信頼してすぐに承諾。スケジュールを調整し、できるだけ早く手術をしてもらいました。背中を大きく切開する手術を受け、3週間ほど入院しました。リハビリは順調で、手術から数週間後には仕事に復帰。それ以降、痛みやしびれといった症状はまったく出ていません。
読者の皆さんの中には、脊柱管狭窄症で苦しんでいる人も多いと聞いています。担当医から手術をすすめられているのに「手術が怖い」「後遺症が心配」といった理由でさけているのであれば、ぜひとも一歩を踏み出してください。体の不調や痛みを抱えながら今後の人生を歩むことのほうが、手術よりも怖いと私は思います。
私は現在、特別な趣味や関心事というのがほとんどありません。でも、いいんです。いまはステージで歌うことがいちばんの喜びなのですから。〝ステージを超える楽しみがない〟といったほうが正しいかもしれません。
私の生きがいであるステージのような生きる糧を、同年代の多くの方にもあらためて楽しんでもらいたいですね。もし、生きがいといえる楽しみがない方は、これから見つけても遅くありません。ぜひとも探し出して、人生を謳歌してください。日々の楽しみややりがいを持つことが、幸せになる最初の一歩だと思います。