プレゼント

東洋医学の普及のため、培ったコンピューターの知識をお役立てできればうれしいです

患者さんインタビュー
影山 和美さん

[かげやま・かずみ]——1936年、東京都生まれ。1964年、東京少年少女合唱隊に随行して渡米し、そのまま滞在。当時最先端だったコンピューターの技術を習得し、ソフトウェアエンジニアとして活躍。2009年、左乳房にⅡ期のがんを発症。再発・転移なく現在に至る。

いまから9年前、73歳のときに、乳がんと診断されて、左乳房の全摘手術を受けました。当時は、人生の終わりを告げられたようでとても落ち込みました。でも、すぐに「きっといい方向に向かうはず」と前向きな気持ちになったんです。1964年に27歳で渡米したときと、同じような心境でした。

私は、日本が程なく戦争に突入しようとする1936年に、東京の日本橋で生まれました。慶應義塾大学経済学部に進んだ私は、昼は経済学の勉強に力を注ぎ、夜は当時まだ珍しかった英会話スクールに足を運んで、英会話や英文速記、英文タイピングなどの技術を身につけました。英語の習得がその後の私の人生を大きく変えるとは、当時は思いもしませんでした。

1964年、私は東京少年少女合唱隊の先生のもとで、お子さんの家庭教師として働いていました。合唱隊のもとに届いた英文の手紙を翻訳した経緯から、先生は私の英語の能力を認めてくれました。私は、合唱隊の初の海外親善公演に通訳を兼ねたスタッフとして同行し、アメリカ各地を回りました。

アメリカという異国の地で、私は日本にはなかった先進的な社会や開放的な文化に触れて大きな衝撃を受けました。公演旅行終了後、私はアメリカにとどまることを決意したんです。まずは、カリフォルニア州のサンディエゴでコンピューターについて学ぶことにしました。

「習うならコンピューター」と第一に考えた理由は、大学在学中に受けた経済学部助教授の言葉にあります。先生が、講義の中で「これからはコンピューターが世界中を支配する時代になる」といっていたのが強く心に残っていたんです。

6ヵ月間でコンピューターの技術を習得した後、地元の企業にソフトウェアエンジニアとして就職しました。就職した当時は、コンピューターが世に出て間もない頃です。周囲には一流の研究者が集まっていました。1970年代に入るとパソコンが企業内でも多用される時代になり、巨大なコンピューターに保存されているデータをパソコンに移す仕事を担当。まだ手がけられる人が少ない時代で、難しくもやりがいのある仕事でした。

その後、年金や不動産、資産運用など、さまざまな業種をこなす中、40歳のときに12歳年上の主人と結婚。主人をアスベストが原因の肺がんで亡くすまで、25年間仲むつまじく暮らしてきました。

乳がんと診断されたときは人生の終わりを告げられたようでひどく落ち込みました

主人を亡くす前後から、私は足がむくむようになりました。それまで病気ひとつしなかったため、無頓着だった健康に対してようやく意識が芽生えるようになりました。肉料理が中心で外食も多かった食生活を、日本食を中心に切り替えました。お魚やご飯といっしょに、みそ汁・豆腐・納豆などの大豆製品を多くとるようにしました。

充実した毎日を過ごしていたのですが、2008年に自宅のガレージで大事故を起こしてしまい、5時間も意識不明になりました。右肩を骨折して手術を受け、リハビリも含めて6ヵ月も入院したんです。

ようやく退院できたと思った数ヵ月後の2009年10月、家で日課にしている体操をした後に、胸がつるような感覚がありました。触ってみると、左の乳房に人さし指の指先くらいの大きさのしこりがあったんです。

早速、主治医のクリニックを受診すると、すぐに総合病院を紹介されました。精密検査を受けた結果、乳がんと判明。左側の乳房の全摘手術を受けることになり、リンパ節も数ヵ所切除しました。

幸いステージはⅡ期で、10年生存率も80%と高いものでした。しかし、がんと告知された当時は、不安でしかたなかったんです。

そんな後ろ向きな考えを変えてくれたのは、いままでの自分自身の人生でした。「いままでどんな困難でも乗り切ってきたのだから、今回もきっといい方向に向かう」という気持ちになれたんです。

抗がん剤治療を受けていた患者さんには、髪が抜けたり、食欲不振に陥ったりする人もいました。ところが、半年間抗がん剤治療を受けたにもかかわらず、私には幸いにも副作用はいっさい起こりませんでした。その後、特別な治療は受けていませんが、ありがたいことに再発も転移もしていません。

ストレスががんを悪化させる大きな原因になるといいます。私の場合、手術後も仕事を続けていたのでがんのことを考える余裕があまりなく、余計な不安を覚えることが少なかったことがよかったのかもしれません。入院せず慣れた家から通院してゆっくり過ごしたことも、体と心にいい影響を与えたのだと思っています。

がんになって、趣味を持つことの大切さにも気づかされました。私の趣味はゴルフです。親しい友人と、大空の下でゴルフボールを飛ばすと心がスカッと軽くなったように感じられます。茶道もたしなんでおり、表千家の師範の免状を持っています。心の安らぎが得られる一服のお茶も、がんの治療時は精神的な助けになりました。

足のむくみの悪化から病気になる前の予防が大切だと考え、東洋医学に注目しています

がんを乗り越えられた理由

がんそのものの不安は払拭できたのですが、術後は足のむくみがますます悪化したように感じています。主治医から、「がんとは関係がない」といわれているものの、少し歩いただけで足が痛み、限界が来て立ち止まらなくてはいけなくなるんです。自由に歩き回れないのは苦痛以外の何物でもありません。

病院で同じように足のむくみに苦しんでいる患者さんをよくよく見ると、足がむくんでゾウの足のようになっている人もいました。そのときにようやく私は、病気になってから対処するのではなく、病気になる前から予防することが必要だということを痛感したんです。

私が注目したのが東洋医学です。病気をピンポイントに治療する西洋医学に対し、東洋医学は全身をケアする治療法と聞いています。現在、アメリカでも治療は全身をケアするべきだという考えが主流になりつつあります。ところが、アメリカでは東洋医学の普及が十分に進んでいないように感じるんです。

私は専門家ではありませんが、東洋医学が普及すればより多くの人が救われると思っています。東洋医学普及のため、培ったコンピューターの知識をどこかでお役立てできれば、本望だと思っています。