日本離床学会代表理事 曷川 元
「臥床」は宇宙空間の無重力に近い状態で筋機能をはじめ全身の機能が低下しやすい
私が代表理事を務める日本離床学会は、設立から20年目を迎えた学術団体です。「離床」とはその名のとおり、臥床(布団やベッドで体を横にすること)の状態から体を起こし、寝たきりになる前に活動を再開することを指します。私たち日本離床学会では離床の概念をより広くとらえて、「手術や疾患の罹患によって起こった臥床状態から座位・立位・歩行へと進み、日常生活動作の自立へ導く一連のコンセプト」と定義しています。つまり、離床そのものだけでなく、離床に関わる一連の流れを通じて、患者さんのQOL(生活の質)やADL(日常生活動作)の向上に役立てることを目指して活動を続けています。
離床の概念は、1940年代から始まったとされています。第二次世界大戦期だった当時、病気にかかったら寝たまま安静に過ごすことが推奨されていました。ところが、戦地の最前線から次々と運ばれる多くの傷病兵によって病院が病床不足になり、早期の離床や退院が推奨されるようになりました。その際、早期の離床がQOLやADLの向上に役立つことが確認され、離床の必要性が広まるきっかけになったといわれています。
私たちが患者さんに離床を推奨する目的は、主に以下の2点になります。
● 筋肉の機能をはじめ、臓器・器官の機能低下を防ぐため
私たち人間は重力に逆らって生きています。寝たきりになると重力にあらがう機会が失われるため、呼吸器系・循環器系・消化器系、精神・認知系などに悪影響を及ぼして「廃用症候群」と呼ばれる全身の臓器や器官に異変が現れやすくなります。特に筋肉や骨に関わる筋・骨格系への影響は著しく、寝たきりの状態が1週間続くだけで筋横断面積が20%も減少したという報告もあるほどです。
2020年頃からは、「寝たきりになると筋肉量よりも筋力の低下が顕著になる」ことも分かってきています。そのため、最近は患者さんの筋肉量の変化のみならず、筋肉が機能的に使えているかどうかという「筋機能」の変化も重視する傾向になっています。
● ADLの早期回復のため
離床は、寝たきり状態を強いられている患者さんのADLを回復させるために有効な手段です。離床は、座位・立位・歩行といった活動を早期に促します。その結果、患者さんのADLが回復し、入院期間が短くなる効果が期待できます。寝たまま過ごすことを避け、早く起こすことの重要性は年々理解が深まり、特にこの数年で飛躍的に広まっている印象があります。
その反面、「早く起こせば回復する」といった迷信的な根拠から無理な離床が行われ、かえって患者さんの状態を悪化させてしまう事態も見られます。
安全な離床には、①基礎となる知識、②確固たる技術、③最新の知見、④臨床の勘、といった要素が必要です。離床は行うべき時期を的確に見極めなければ悪影響を及ぼす危険があるため、適切なアセスメント(評価)をもとに進める必要があります。私たち日本離床学会は、「安全 な離床とは何か?」を真摯に考え、臨床家を育成しながら一般の方への啓発にも努めています。
また、離床とあわせて総合的なケアを行うことで、急性期のせん妄予防にもつながります。せん妄とは、手術や薬剤、貧血など、心身への負担がかかった時に起こる意識障害や認知機能の低下(精神の混乱)です。一度、せん妄を起こすと死亡率が二倍に上昇するという研究もあるため、せん妄予防の観点からも離床の大切さを訴えています。
COPDの患者さんは病気の特徴と自分の体を正しく知ることが寝たきりを防ぐ近道
離床の対象となる患者さんは、内科や整形外科、脳外科など多岐にわたりますが、最も深い関係にあるといえるのが呼吸器科の患者さんです。
COPD(慢性閉塞性肺疾患)を発症している患者さんは、「呼吸が苦しい」という環境から、寝たきりになりやすいベースがすでに存在しています。呼吸器の疾患は、急速な体力の低下や免疫力の低下をもたらすことがあります。
やや厳しいことを申し上げると、COPDの患者さんの中には、COPDという疾患の特徴を自覚せず、日常生活の中で適切な対策を取っていない方が少なくないと感じています。そのため、私たちは講演会やセミナーを通じて、COPDの患者さんが陥りがちな誤解を解くことをお伝えしています。今回は、COPDの患者さんやそのご家族が抱きやすい「3つの誤解」を挙げてみましょう。
誤解その①:COPDの患者は動いてはいけない
COPDの患者さんの中には、「動くと苦しくなる。だから動くことは体にとって悪い」と誤解している人が少なくありません。先に述べたように、動かないことは患者さんが想像する以上に筋肉の機能低下を招きます。
私は日本離床学会を設立する前、大学附属病院のICU(集中治療室)や救命センターで臨床経験を積みながら、併行して大学院で宇宙空間における生体の研究(航空宇宙学)にも取り組んでいました。皆さんもご存知のように、宇宙空間は重力の影響を受けない無重力状態です。ロケットに乗る宇宙飛行士は、無重力状態に慣れるため事前に厳しい訓練を受けています。しかしながら、精鋭ぞろいといえる宇宙飛行士でも無重力状態で過ごしていると、重力にあらがう機会が失われて筋力の低下を招いてしまうのです。
寝たきりの状態は、重力に対する抵抗が少ない、ちょっとした無重力状態といえます。鍛え抜かれた宇宙飛行士でも筋力の低下が著しくなる中、病気を患っている患者さんの筋機能が急速に低下することは想像にかたくないでしょう。
誤解その②:COPDの患者は急いで行動すべきである
COPDの患者さんの中には、「動作に時間をかけると息苦しくなる。だから長い時間がかかる動作は悪い」と誤解している人がいらっしゃいます。確かに、長い距離を歩いた際、歩行距離に伴って息切れが増すことはありますが、「苦しくなるから急いで歩こう」という考えは適切ではありません。
COPDの患者さんの行動として大切なのは「動作と呼吸の同調」です。「一連の動作の中で無呼吸の状態を作らない」といい替えてもいいでしょう。例えば、座った姿勢からトイレで用を足すために席を立つ際は、息を吐きながら立ち上がる「同調」によって無呼吸の状態を作らずにすみます。トイレから戻った時は吐きながら座り、動作と呼吸を同調させることでSPO2(血中酸素飽和度)の数値を下げずに動作を終えることができます。
誤解その③:生活の質の維持を主治医だけにまかせたほうがいい
COPDの患者さんがQOLを維持して寝たきりを防ぐには、医師まかせの生活は望ましくありません。離床を進める過程で医師との連携は欠かせませんが、基本的に医師は患者さんを寝かせた状態で診る専門家で、起こした状態にするのが理学療法士をはじめとするコメディカル(医療従事者)です。そのため、離床をスムーズに進めるには医師まかせにせず、コメディカルとのコミュニケーションを密にしながら、自分自身の体と動作の関係を、科学的かつ具体的に知る姿勢が大切といえます。
一例として、食事を取り上げてみましょう。食事は、食べ物を口に入れて口内で咀嚼し、飲み込むまでが一連の動作です。この動きの中で、口に入れた食べ物(食塊)を飲み込む際に一時的に呼吸が止まる「嚥下性無呼吸」と呼ばれる時間があります。食べ物を飲み込む際に呼吸をすると、食べ物の誤嚥や鼻腔への逆流が起こるおそれがあるため、私たちの体はあえて無呼吸の時間を作っているのです。
通常、食べ物がのどを通過する時間は0.5秒以内です。そのため、嚥下性無呼吸の時間は0.5秒~長くても数秒程度。健康な人にとっては気づくこともない短い時間ですが、COPDの患者さんの場合、「ほんの数秒」の無呼吸状態でも呼吸苦を訴えてSPO2の低下が見られることがあります。
また、食べ物を咀嚼する時は口を閉じているため、鼻呼吸に頼ることになります。そのため、COPDの患者さんが食事の際に呼吸苦を防ぐには、①数秒間(3秒程度)の「息こらえ」ができるか、②鼻呼吸ができるかどうかがポイントになります。
食べ物をゆっくりと咀嚼し、慌てて飲み込まず、鼻呼吸をしても食事の際に呼吸苦が起こる場合は、主治医に相談して一時的に酸素吸入の量を増やすことも一助となります。そのほか、咀嚼時間を短くするために食事の形態や、ひと口の量を見直してもいいでしょう。このように、一つひとつの動作を科学的に検証し、対応することがQOLとADLの向上につながります。
適切な離床は医療従事者だけでは進められません。大切なのは、患者さんご自身やご家族の離床への強い意欲です。「寝たきりにならない」「自分の力で起きる」という強い意思と意欲をお持ちの患者さんやご家族を、私たちは全力で支えていきます。