奈良県立医科大学腎臓内科学教授 鶴屋 和彦
慢性腎臓病は人工透析だけでなく認知症を招く原因と判明し早期の対策が必須
慢性腎臓病(CKD)は、腎機能が悪化して末期腎不全に陥ると、最終的には透析療法(人工透析)や腎移植が必要になります。しかし、日本では移植する腎臓が不足しているため、ほとんどの患者さんが透析療法を選択されているのが実状です。 血液透析は1日4~6時間、週3回ほど通院する必要があり、生活の質(QOL)を著しく低下させます。さらに近年の研究で、慢性腎臓病が悪化すると、認知症を引き起こすおそれがあることが分かってきました。
それでは、次に私が研究している慢性腎臓病と認知症に関する研究結果をご紹介しましょう。
保存期の慢性腎臓病患者さんを対象に、脳のMRI(磁気共鳴断層撮影装置)検査と「トレイルメイキングテスト」と呼ばれる、前頭葉障害による遂行機能の低下を評価する検査を行いました。この検査では、ものごとを計画して効果的に成し遂げるために必要な機能のある遂行機能が悪くなるほど数値が高くなります。その結果、すべての数値が脳における灰白質の割合(灰白質容積比)と負の相関関係であることが判明。灰白質容積比が低くなって脳萎縮が高度になればなるほど、遂行機能が悪くなることが分かったのです。灰白質は脳表面や溝に沿った薄い層で、脳と脊髄からなる中枢神経系組織の中で神経細胞(ニューロン)の細胞体が集まる領域のことです。
さらに、脳を「前頭葉」「側頭葉」「頭頂葉」「後頭葉」の4つの部位に分割し、それぞれトレイルメイキングテストの結果と灰白質容積比の関係を確認してみました。すると、前頭葉と側頭葉は有意な負の相関関係が認められたものの、頭頂葉と後頭葉では相関関係が認められませんでした。つまり、保存期の慢性腎臓病患者さんの遂行機能が低下するのは、前頭葉と側頭葉の萎縮が原因である可能性が示唆されたのです。
また、透析患者さんと健常な人にMRI検査を行い、画像から脳室(脳内部にある脳脊髄液で満たされた空間)と脳実質(脳そのもの)の面積比を調べて脳の萎縮度合いを評価しました。その結果、30~60代の各年代で、透析患者さんのほうが脳の萎縮が有意に進んでいたのです(グラフ参照)。
慢性腎臓病や人工透析による認知機能障害の原因は「血管性因子」と「非血管性因子」の2つに分けることができます。血管性因子は、脳血管障害や高血圧、糖尿病などです。一方、非血管性因子は、貧血や副甲状腺機能亢進症、薬剤などです。さまざまな悪化要因がある中で、次の2つの要因が大きく関与していることが確認されています。
①酸化ストレス
酸化ストレスは酸化反応によって引き起こされる生体にとって有害な作用のことで、酸化を促進する活性酸素と酸化を抑える抗酸化物質のバランスとして定義されています。活性酸素は、呼吸によって取り込まれた一部の酸素が変化した物質です。活性酸素は酸化作用が強い酸素で、体内に侵入した細菌やウイルスを退治する免疫機構に関わっています。一方で、過剰に増えた活性酸素は全身の細胞や組織を破壊してしまう弊害もあります。
腎機能が低下して尿毒素が排出されにくくなると、活性酸素が増加します。その結果、酸化ストレスが上昇し、脳神経細胞の障害や学習能力の低下が引き起こされることが分かっています。腎臓の6分の5を摘出したマウス(CKDマウス)と正常なマウスに「水迷路」という試験を行った結果、CKDマウスの学習能力が顕著に低下していたのです。CKDマウスの記憶や空間学習能力に関わる脳の海馬という部位を調べると、活性酸素の指標である8ヒドロキシデオキシグアノシンの蓄積や「核濃縮」という細胞核の変化が起こった変性細胞の存在を確認することができました。
そこで、CKDマウスに抗酸化薬を投与すると、海馬に8ヒドロキシデオキシグアノシンの蓄積や変性細胞は認められず、水迷路試験の結果も正常なマウスと同等なレベルまで改善していました。この結果から、慢性腎臓病による脳神経細胞の障害や学習能力の低下の原因として、慢性腎臓病に伴う酸化ストレスが大きな要因であることを裏づけることができたのです。
血圧を上げるしくみは脳に活性酸素を蓄積させ変性細胞を作るため拮抗薬の服用が有効
②レニン・アンジオテンシン系
「レニン・アンジオテンシン系」は、血圧を上昇させるしくみの1つです。腎臓のろ過装置である糸球体に隣接する「傍糸球体細胞」から「レニン」というたんぱく質分解酵素が分泌され、血液中の「アンジオテンシノーゲン」から「アンジオテンシンI」という物質が作られます。アンジオテンシンIはアンジオテンシン変換酵素によって「アンジオテンシンⅡ」に変換されます。アンジオテンシンⅡは全身の動脈を収縮させるとともに、副腎皮質から「アルドステロン」というホルモンを分泌させます。アルドステロンは電解質の1つであるナトリウムを体内にためる働きがあり、循環血液量を増加させて心拍出量(1分間に心臓から全身に送り出される血液の量)と末梢血管の抵抗を増加させます。
実際に、CKDマウスに対してアンジオテンシン受容体拮抗薬を投与した結果、海馬に8ヒドロキシデオキシグアノシンの蓄積や変性細胞は認められませんでした。さらに、学習能力が顕著に低下したCKDマウスにアンジオテンシン受容体拮抗薬を投与すると、正常なマウスと同等のレベルまで改善が認められました。この実験によって、CKDマウスの脳における酸化ストレスの産生にレニン・アンジオテンシン系が関与していることが分かりました。
通常、動物実験では、臨床現場で使われる量よりも多い量の薬が投与されるため、動物でみられた薬の効果がヒトではみられないことがよくあります。一方、この実験でCKDマウスに投与した薬の量は通常の臨床現場で使われる量と同程度であったことから、ヒトでも同様の効果が期待できます。この実験で我々は、アンジオテンシン受容体拮抗薬を服用することで、慢性腎臓病による認知機能の低下を抑制する効果が期待できることを確認しました。