小平 今朝好さん
前立腺がんと診断された時、切羽詰まって全国の病院に直接電話をしてしまいました
私は2019年、71歳の時に前立腺がんと告げられて治療を受けました。『健康365』の2021年5月号でインタビューを受けましたが、この時の記事をきっかけにさまざまな人と出会い、さらに充実した日々を送ることができています。
最初に体の異変を感じたのは、2017年のことでした。夜間頻尿に悩むようになり、しだいに毎晩4、5回はトイレに起きるようになったんです。頻尿が治まる気配はなく、数ヵ月後に近所のクリニックを受診しました。そこで前立腺がんの腫瘍マーカーである、PSA検査を初めて受けることになりました。
検査の結果は基準値の4.0を超える5.02。その後も検査を繰り返しましたが、数値は毎回上昇。やがて6.59までになり、市民病院でMRI(磁気共鳴画像法)検査を受けることになりました。検査の結果、左側の前立腺に8㍉ほどの影があることが判明。医師から前立腺がんの可能性があることを告げられたんです。
検査の結果を聞いてからというもの、不安に駆られて、まさにうつ寸前。激しく動揺しながらも、私は前立腺がんに関する情報を集めました。記憶はおぼろげですが、どんな病気でどんな治療法があるのかをきちんと理解するように努めました。これから先、自分自身になにが起こるのかの心構えをしておきたかったのだと思います。
インターネットで情報を集めるだけではなく、全国の20ヵ所以上の病院に直接電話をかけて、前立腺がんについて問い合わせました。今考えると、軽率で迷惑極まりない行動ですが、当時の私は切羽詰まっていて、自制する余裕もなかったんですね。「対面でなければお話しできない」という医療機関がほとんどでしたが、電話でていねいに説明してくれるところも少なからずありました。中でも、先生みずから電話をかけ直してお話ししてくれた時は、涙が出るほどうれしかったですね。
さまざまな情報を集めた私は、放射線療法がいいのではないかと考えるに至りました。手術とは異なり、身体の機能と形態を温存できる可能性が高く、体への負担が少ないと聞いたからです。
さらに情報を集めたところ、従来のピンポイントで照射する放射線療法よりも進化した陽子線治療や重粒子線治療といった「粒子線治療」という治療法があり、2018年に健康保険が適用になったことを知りました。集めた情報を精査してみると、粒子線治療であれば直腸への影響がさらに少ないようでした。
ここまで調べた上で、2019年4月に受けた検査の結果、ほかのがんではステージⅡに当たるステージBの前立腺がんと正式に診断されました。がんの広がり具合は「T2aN0M0」。T2aはがんが前立腺の片側程度の大きさであることを示し、N0とM0は転移がないことを示しているそうです。転移はしていないものの、悪性度を示すグリーソンスコアは2~10段階中で8と、悪性度の高いことを示していました。
担当の先生に、私は「陽子線治療はどうですか?」と聞きました。すると、先生は嫌な顔ひとつせず、「納得できなかったら、いつでも帰ってきてください」と答え、陽子線治療を行っている病院への紹介状や転院に必要なデータを速やかに用意してくれました。ホルモン療法を併用するとより成果が出やすいとのことで、転院するまでの間は経口薬によるホルモン療法を受けました。
2019年6月に転院し、11月初旬から12月初旬にかけて、22回の陽子線治療を受けました。陽子線治療を終えてから2ヵ月後に受けた検査では、PSAの数値が0.003と劇的に改善したんです。
陽子線治療の後は、継続的なホルモン剤の皮下注射を受けて経過観察することになり、2021年12月にホルモン療法が終了。現在は半年に一度、経過観察のために通院しています。PSAの値が2.0以上になった場合は治療が必要ですが、ありがたいことに現在は0.1未満を維持できています。
私は、陽子線治療が終わるまでは、がんについて周囲に他言しないようにしていました。話しだせば愚痴も出てきて、自分はもちろん相手にもみじめな思いをさせてしまうのではないかと考えていたからです。
この考えが変わったのは、2020年2月、陽子線治療が終了して間もなくのことです。東信地域の地元紙『東信ジャーナル』に、私が作っていたオリジナル人生訓をつけた手作りカレンダーが紹介されたんです。記事の掲載後、交通事故で重体だった方から「この記事を読んで生きる勇気をもらった」という電話をいただきました。
この電話の声を聞いて、私の拙い生き方でもなにかを感じ取ってくれる人がいることに気づくことができ、そしてがんによる闘病生活を前向きにとらえ直し、「最大限、積極的に生きなければいけないのでは?」と思ったんです。そんな時、「NPO法人腺友倶楽部」を通して、『健康365』のインタビューの依頼が届きました。NPO法人腺友倶楽部は全国の前立腺がん患者と家族の会で、私は2020年の陽子線治療後に入会していました。残念ながら、入会当時は新型コロナウイルス感染症対策のため、対面での会合は中止されていましたが、オンラインの集会や会報誌、メールなどで得られる情報は大いに役立ちました。
『健康365』の取材はとても緊張しましたが、ありのままを話せたと思います
「誰かの役に立てるなら」と、私は『健康365』に協力しようと決めました。初めての取材はとても緊張しましたが、ありのままを話せたと思います。私は、この記事掲載をきっかけに、もっと前向きにさまざまな活動に取り組むことを心に決めたんです。
まず最初に考えたのが、前立腺がんに関する情報発信です。前立腺がんを乗り越えた一人として、多くの人に前立腺がんのことをよく知ってもらいたいと願い、動き出すことにしたんです。
私たち日本生命長野支社は日本生命本社の承認を得て、前立腺がんの情報発信を行う「ストップ! ザ・前立腺がん」という活動を開始しました。この活動は、NPO法人前立腺がん啓発推進実行委員会が取り組んでいる「ブルークローバー・キャンペーン」の一環で、さまざまな企業や団体が参加して前立腺がんの早期発見・適切治療の推進と啓発に取り組んでいます。
私たちは「ストップ! ザ・前立腺がん」の活動として、前立腺がんの資料を作り、お客様や応援してくれる企業・団体、医療機関などに配ったり、掲示してもらったりしました。私が会長を務めていた自治会では、全戸に作成した資料とピンバッジを配布しました。ありがたいことに、社会福祉法人「上田市社会福祉協議会」の後援もいただき、こうした運動を地域に根づかせられています。
また、2022年7月には、日本生命の社内報『輝き』に「ストップ! ザ・前立腺がんを掲げて地域密着の啓発活動を推進」というタイトルで私の活動が紹介されました。年4回の発行とはいえ、従業員7万4000人の目に留まったことをうれしく思っています。
2022年9月にも、『東信ジャーナル』が私の活動を再び紹介してくれました。『東信ジャーナル』は「社会貢献をしたい」という気づきを私に得させてくれた新聞で、再度ご紹介いただいたのはとても光栄なことでした。
私は、前立腺がんの情報発信をする中で「人生百年時代に還暦後も輝いて生きていくことが大切だ」と考えるようになりました。そんな時に「プラチナエイジ」という言葉を知りました。
プラチナエイジは、一般社団法人プラチナエイジ振興協会が主張する考え方です。60歳以上の人たちを「高齢者」「シルバー」「老人」とは呼ばず、永遠に輝きつづける世代という意味で「プラチナエイジ」と呼びます。プラチナエイジ振興協会は、夢を持ち、活動的で、創造的で、挑戦しつづける生き方をされている方を「プラチナエイジスト」として、毎年表彰しています。第9回目に当たる2023年には、俳優の浅野ゆう子さんやものまねタレントのコロッケさん、タレントで司会者の上沼恵美子さんら多くの人が表彰されました。
さまざまな活動に前向きに取り組むことで、自分の免疫力が向上していると実感しています
プラチナエイジ振興協会は、芸能人、著名人だけではなく、プラチナエイジストとして生きていきたい一般の人たちにも認定証を発行しています。認定証は申請も登録も年会費もすべて無料です。ただし、申請や認定証の受け取りはインターネットで行わなくてはいけません。プラチナエイジに合致する世代の人たちの中には、パソコン操作が苦手な人も少なくないと思われます。そこで私は、プラチナエイジ振興協会の代表理事から承諾をいただいて、希望者がいれば代理で申請して認定証をA4サイズに印刷して渡すようにしています。
ありがたいことに、プラチナエイジ振興協会の代表理事である中村政幸さんにも応援していただいており、2023年のプラチナエイジの授賞式にご招待いただきました。
勤務先の日本生命長野支社では毎年社員380人ほどの全員大会があり、2022年と2023年の大会で、私は「ストップ! ザ・前立腺がん」やプラチナエイジなどの活動を紹介する機会をいただきました。聞いてくださった社員はもちろん、彼らが担当するお客様の一助になれば幸いです。
当初は「PSA検査で命が助かったからこそ、恩返しがしたい」と考えて活動しはじめました。早期発見と適切な治療の重要性を多くの人に知ってもらい、前立腺がん患者さんに助かってほしいと願っていたわけです。
ところが、最近になって、こうした活動をすること自体が自分のためにもなっていると気づきました。なにかに夢中になって集中すると、免疫力が高まると聞きます。私は、さまざまな活動に前向きに取り組むことで自分自身の免疫力が向上し、健康維持に役立っていることを実感しています。
2022年には、22歳から勤めている日本生命で、50年の長期勤続表彰を受け、同時に金婚式も迎えました。75歳になった現在も、日本生命のファイナンシャルアドバイザーとして営業職の現役です。今もこうして元気でいられるのは、『東信ジャーナル』や『健康365』の記事掲載後に取り組みはじめた、いくつもの活動が心を元気にしてくれているからです。
上の写真のように、私は25年前に買ったジャケットとパンツを今でも愛用しています。太りも痩せもせず、体形を維持できています。まるで自分の寿命とジャケットの寿命のどちらが長いのかを競争しているようです。これからも前向きに生きて、ジャケットより長持ちしてみせますよ。