プレゼント

前立腺がんの治療を受けながら奮発して買ったライカのカメラで写真を撮りつづけます

患者さんインタビュー

カメラマン 寺島 崇さん

前立腺がんの診断を受けた時、妻は「独りになりたくない」と号泣してしまいました

[てらしま・たかし]——1958年、東京都生まれ。1985年、フリーカメラマンとして独立し、雑誌や広告などのカメラマンとして活躍。2022年1月、リンパ節と背骨、あばら骨に転移したステージⅣの前立腺がんと判明。抗がん剤治療や放射線治療の副作用と闘いながら、現役カメラマンとして活動している。

私は27歳の時にカメラマンとして独立し、雑誌や広告などの撮影を仕事にしてきました。今回、こうしてインタビューを受けている『健康365』にも、20年前の創刊時からカメラマンとして参加しています。健康雑誌の取材現場では、医師をはじめ、さまざまな病気と闘っている患者さんたちを撮影します。がん患者さんのインタビューも数え切れないほど立ち会ってきました。それでも、まさか自分ががんを患う日が来るとは思いもしませんでした。

2021年暮れに、朝のトイレで尿の出が悪いことに気づいたんです。2022年の年明けに泌尿器(ひにょうき)科で検査を受けたところ、前立腺(ぜんりつせん)がんの腫瘍(しゅよう)マーカーであるPSAの数値が42もあると分かりました。PSAの基準値は4.0以下ですから、10倍以上の数値です。

主治医からは前立腺肥大といわれましたが、泌尿器科の開業医をしている知り合いに相談してみると、「すぐに大きな病院で()てもらってください」といわれました。すすめられるままに、2022年2月にがん専門病院を受診したんです。

専門病院に行った後は、1泊2日の予定で入院して針生検を受けることになりました。針生検は、局部に針を刺して患部の細胞を採取した後、細胞の状態を調べる検査です。麻酔をしているので針を刺されても痛みは感じないのですが、局部に何度も針を刺されたことが原因なのか、おしっこが出なくなってしまったんです。膀胱(ぼうこう)がパンパンに膨らんでいるのに尿を出せないのは、とても苦しかったです。自力では排尿できないので、カテーテルで導尿をしてもらって、なんとかおしっこを出すことができました。

検査の結果、担当の先生から伝えられたのが前立腺がんでした。私の場合、医師からがんを告げられた患者さんがインタビューでよく話す「目の前が真っ暗になった」という大きなショックはありませんでした。「ああ、そうか。前立腺がんなのか」と、冷静に受け止めることができたと思います。

よくよく考えると、先生の話を冷静に聞けたのは、取材でがんに関する話を聞く機会が多かったからだと思います。専門的ではありませんが、取材を通じてがんの知識が頭に入っていたので、「前立腺がんはほかのがんより進行が遅い」という認識もありました。

ただ、先生から「寺島さんのがんは、ちょっとやっかいですね」といわれました。リンパ節と背骨、あばら骨の三ヵ所に転移していたからです。転移が見つかった時点で、私の前立腺がんはステージⅣと診断されました。

冷静に受け止めた私とは対照的に、妻はかなり取り乱しました。がんは治る時代になったとはいえ、多くの人にとって、がんという病気は「死」を連想させるのでしょう。私が前立腺がんと診断されたことを聞いた妻は「独りになりたくない」と号泣してしまい、落ち着かせるのが大変でした。

治療法としては、私は最初にホルモン療法と抗がん剤治療を同時に受けることになりました。前立腺がんは男性ホルモンの影響を受けるため、男性ホルモンの分泌(ぶん ぴつ)を抑えるために女性ホルモンを体に入れていくのです。具体的には、おなかに注射で女性ホルモンを入れ、2ヵ月間かけてゆっくりと体に取り込んでいきます。

「仕事中は気が張っているのでがん治療の副作用が出ないんです」

ホルモン療法が続くにつれて、女性の更年期障害のような症状が出るようになったのはつらかったです。特に、上半身にほてりを感じて大量の汗をかくホットフラッシュに悩まされました。

ホットフラッシュのほてりは強烈です。気温が0℃の真冬に裸で過ごしても、寒さをまったく感じないほどです。ホットフラッシュが怖いのは、いつ起きるか分からないこと。突然のほてりに苦しむなんて人生で初めての経験でしたから、最初の頃はひどく戸惑いました。

カメラマンの仕事は、治療を受けながら続けていました。仕事中は気が張っているせいか、ホットフラッシュの症状はあまり出ないんです。おかげで、突然のほてりに苦しむことはなく、着替えを持ち歩かずにすんでいます。

がん患者はみんな頑張っています。周囲から「頑張って」といわれるのはキツイんですよね

仕事でお付き合いしているほとんどの方には、自分が前立腺がんであることは話していません。わざわざ自分から打ち明けるような話でもないと思いましてね。仕事先で会う人たちから、「寺島さん、いつも元気ですねぇ」といわれるくらい、以前と変わらず仕事をしています。

多くのがん患者さんは、周囲から「治療を頑張ってください」と声をかけられることが多いと思います。実際、私もそれまでのがん患者さんの取材現場でそうした言葉をかけてきたような気がします。でも、いざ自分が患者の立場になってみると、「がん患者って頑張っているんだな」と思うんです。毎日頑張って治療を受けているのに「頑張って」といわれるのは、正直キツイんですよね。私がなにか言葉をかけてもらうのなら、「適当に、やりたいことをやってくださいね」くらいの調子がいいなぁと思います。

突然襲われるホットフラッシュには悩まされましたが、治療を始めて6ヵ月後に受けた検査でPSAの数値が6.0まで下がっていることが分かりました。担当の先生が予想していた以上に治療の効果が出ていたので、安心しました。その後は、一度の注射で半年間、効果が持続する女性ホルモンの治療へと切り替わりました。

抗がん剤の副作用については、あらかじめ覚悟はしていました。患者の体質によってさまざまな症状が現れるようですが、私の場合は精神的な影響が大きかったです。

例えば、それまでの私は仕事でちょっとしたミスを指摘された時、反省しつつも「次は気をつけよう」とすぐに気持ちを切り替えることができました。ところが、抗がん剤治療を始めると、「どうして、あんなミスをしてしまったんだろう」「どうして、ちゃんとできなかったんだろう」「ミスをしてしまう自分は、なんてダメな人間なんだろう」と、思考がどんどん悲観的になり、落ち込みやすくなってしまったんです。ふとした瞬間に悲観的な気持ちが記憶の底から湧き起こることもありました。すると、まるで連動するようにホットフラッシュの症状まで現れるんです。

「もしかしたらうつ病なのかもしれない」と思い、2023年1月に人生で初めて心療内科を受診しました。先生に自分の状態を話すと、気持ちがだいぶ落ち着きました。先生から「うつ病ではありません」といってもらえたので安心でき、その後は心療内科へは行かずにすんでいます。がん患者さんで私のような経験に思い当たる方は、心療内科を受診するのもいいかもしれませんね。

抗がん剤治療を始めてから4ヵ月後には、PSAの数値は0.1になり、2022年12月からは0.039まで下がりました。2023年8月に画像診断を受けると、リンパ節と背骨とあばら骨に転移していたがんは消えていることが分かりました。ただ、担当の先生いわく、がん細胞は画像には映らない部分に残っている可能性があるとのことでした。

残っている可能性のあるがんに対抗するため、10月から2ヵ月間の放射線治療が始まりました。今は月曜日から金曜日まで、毎日通院して放射線治療を受けています。私の場合は転移が広範囲にあったので、初期の前立腺がんの治療に比べて、放射線を照射する範囲が胃の辺りから骨盤の下までと広いんです。

放射線治療を受けるようになると、放射線が照射される胃や腸の調子が悪くなり、下痢(げり)をするようになりました。下痢は一度起こると、我慢することはできません。

先生に下痢の相談をすると、総合内科を紹介されて下痢止めをすすめられました。でも、若い頃に薬が効きすぎて便秘になって苦しんだ経験があり、断ることにしたんです。今では「便秘で苦しむくらいなら、下痢で出してしまうほうがらくだ」と割り切れるようになり、紙パンツをはいています。日本製の紙パンツは上質で機能性が高くて下痢が起こって出た時も不快感はなく、臭いも吸収してくれるんです。おかげで下痢を気にすることなく外出できますし、仕事も問題なくこなせています。

治療は続きますが、カメラマンの仕事を続けながら、自分らしい毎日を過ごしていきたいです

「このライカのカメラを買ったことは妻には秘密にしているので、怒られるかもしれません(笑)」

下痢には自分なりに対処ができていますが、放射線治療の開始から感じている味覚障害には、ほんとうに悩まされています。なにを食べてもおいしくないので、食事の量が自然と減ってしまい、好物のスイーツすら食べたくなくなりました。

食欲が湧かないとはいえ、栄養補給は大事です。以前、取材でお会いしたがん患者さんが、「同じ病室に入院していた6人のうち、今でも元気に生きているのは、食欲がなくても食べていた自分だけです」と話していました。たとえ食欲が湧かなくても、口から栄養をとるために、ゼリー飲料や栄養補助食品などで最低限の栄養を補給しています。

今もがんの治療中ですから、ホットフラッシュや下痢、味覚障害などのつらい症状は続いています。ただ、治療を始めて1年が過ぎる頃からは、ホットフラッシュや精神的な症状との付き合い方が分かってきて、以前ほどのつらさは感じなくなりました。これは慣れというかメンタル面の変化が大きいのではないでしょうか。

前立腺がんと告知されてから、「自分の人生には終わりがあるんだなぁ」と考えるようになりました。そして同時に、「我慢するのをやめよう」と思ったんです。それまでの私は、できるだけ波風を立てないように、なにかと我慢することが多かったんです。でも、がんを経験してから「嫌いな人には会わない。嫌なことはしない。それで嫌われてもよし。残りの人生はこれでいこう!」と考えを切り替えられるようになりました。

こんなふうに生き方を変えてみると、不思議なものでホットフラッシュの回数が少しずつ減ってきたように感じます。以前はホットフラッシュが毎日どこかで起きていましたが、最近は何ごともなく穏やかに過ごせる日が増えた気がします。

食事の量は減りましたが、それ以外の生活面に大きな変化はなく、割と普通に過ごしています。告知された時に取り乱していた妻も穏やかになりました。今も当時の妻の様子を思い出すことがありますが、「あんなに取り乱すほど自分のことを大切に思ってくれているのだなぁ」と、ありがたさを感じます。

前立腺がんと診断されたことをきっかけに、昔から欲しかったライカのカメラを手に入れたんです。けっこうな値段でしたが、人生最後のカメラとして、思い切って買いました。まだまだカメラマンとして仕事をしていきたいので、大切に使っていきます。