プレゼント

難治の導管がんを乗り越えられたのは〝撰難楽〟の精神で諦めずにがんに挑んだからです

有名人が告白

国際創造学者 ドクター・中松さん

私のがんは珍しい「導管がん」と診断され、余命2年と告げられました

[どくたー・なかまつ]——本名・中松義郎(なかまつ・よしろう)。1928年、東京都生まれ。5歳の時に最初の発明をする。東京大学卒業後、三井物産に入社。29歳で独立しナカマスコープ株式会社(ドクター中松創研の前身)を設立。2005年、イグ・ノーベル賞を受賞。灯油ポンプやフロッピーディスクをはじめとした発明の数は3800以上。海外の著名な大学で教授を務める。2014年6月26日に自身ががんであることを公表し、10種類のがん治療法を開発。

私は、世界でも希少で難治性の高いがんの「導管(どうかん)がん」と診断されました。

私は、人間の寿命についての研究を行い、「科学的データを踏まえた正しい食事や運動を行えば、人間は理論的には144歳まで生きることができる」という結果を発表しています。

この研究結果を踏まえ、私は日々細心の注意を払って生活してきました。食事は1日1食にしてすべて写真に撮り、食後の体調はすべてデータで管理しています。週に2回は高負荷の筋力トレーニングを行い、体力を維持してきました。私が日々積み重ねてきた研究は高く評価され、2005年にハーバード大学で「イグ・ノーベル賞(栄養学賞)」を受賞しています。

2013年12月。毎年の定期健診で、「リンパ節が()れている」といわれ、がんの可能性が指摘されたのです。後に、実際にはリンパ節ではなく太い血管だったことが判明したのですが、大腸がんと前立腺(ぜんりつせん)がんの可能性があるとのことで、精密検査を受けることになりました。ところが、いくつもの検査を受けてみても、がんは見つかりません。

主治医からは「しばらく様子を見ましょう」といわれましたが、私は満足できませんでした。白黒つかないのはスッキリしませんし、もし万が一にもがんがあったら、早めに対処できたほうがいいに決まっています。

「自分ががんなどであるはずがない」と考えていたので、私は自分で生検を行うことにしました。生検とは、患部に針を刺して針先についた組織を顕微鏡で詳しく調べる検査です。痛くて血だらけになる検査を自分から行うといったので、医師から心配されました。しかし、針先についた組織を確認したところ、別の部位からがん細胞が見つかり、医師からは「これはとても顔つきの悪いがんだ」と、予想していなかった答えが返ってきたのです。

自分にがんが見つかったものの、対応策が分からない——。そんな時期に、立候補していた東京都知事選挙が控えていました。選挙の最終日は猛吹雪で、ほかの候補者は全員が午後3時に演説を切り上げて撤収していました。寒さはがんを悪化させるにもかかわらず、政治をよくしたいという情熱で私は期限の夜8時まで演説しつづけました。

選挙後に私は複数のがん専門の病院を巡り、日本でも5本の指に入る「がんの権威」と呼ばれる医師の診察を受けました。すると、その医師はニコニコと満面の笑みを浮かべていたのです。検査では、悪性度を測る指標の一つであるグリソンスコアが、10段階のうち8を示していることが判明。さらに精密検査の結果、私のがんは「導管がん」というとても希少ながんと判明しました。医師がニコニコと笑顔になったのは、めったに見られない珍しいがんにお目にかかったからです。私は宣告された「余命2年」という短さに消沈しているのに……。

先生によると、導管がんは希少なために治療法が確立されておらず、従来型の全摘手術では転移する可能性が否定できないとのことでした。

ダヴィンチロボットを用いた手術をやってくださいとお願いしましたが、この年齢ではいくつか副作用が考えられるため、ダヴィンチ手術は不可能といわれました。例えば、頭を水平より30度下げた姿勢を4時間維持しなければならず、緑内障になる可能性が高いそうです。

外科手術がダメならと、私は放射線治療の中でも強力な重粒子線の治療を検討し、国立病院に向かいました。ところが、過去に導管がんの実施例がわずか二例しかないうえに、いずれも失敗しているという答えが返ってきたのです。

導管がんを治すためには、がんを撲滅する手段を発明するしか道がありませんでした

日本トップクラスといわれる医療機関に足を運び、何人ものがん専門医による診察を受けましたが、有効な治療法は見つかりません。2014年9月に米国ハーバード大学で基調講義を行った際には、司会者が「ドクター・中松氏は地球上で最も偉大な人です。この人があと数ヵ月で死にます。死ぬ前にスワンソングを歌ってもらいます」といいました。スワンソングとはヨーロッパのことわざで、死ぬ直前に白鳥が美しく鳴くことを指します。

私は、発明した『ガンの顔つき悪くても』という歌をノーベル賞を受賞した教授や学生が並ぶ数千人の前で歌いました。すると、全員が立って拍手する熱狂状態となったのです。その後、私は米国でも治療法を模索しました。しかし、がん治療の先進国である米国の専門医でも、導管がんの治療法についてはほとんど何も知らなかったのです。

私には、二つの道が残されていました。一つは、残り2年の人生をゆっくりと過ごす道です。後輩の医師もがんの治療による副作用や後遺症があることを指摘して、「発明ができなくなっては元も子もないでしょう?」といいます。でも、私はその道を選びませんでした。

そして、残された2年間でがんに挑むというもう一つの道を選択することにしたのです。いまだに治療法がない導管がんはもちろん、ほかのあらゆるがんを撲滅する方法を私自身で発明しようと決意しました。座して死を待つことは、私の生き方ではありません。さらに、がんを撲滅する方法を発明すれば、私の寿命を延ばすことにつながり、世界に貢献もできます。

みずから治療法を発明する道を選んだのは、私のポリシーである「撰難楽(せんなんらく)」の精神に則ったからです。人は、人生の中でさまざまな困難に直面します。その時、易しい道と難しい道のどちらかを選べるわけですが、撰難楽は「難しい道を選び、しかもイヤイヤでなく楽しみながら進む」という精神にほかなりません。撰難楽は私が生み出した造語で、私の座右の銘にしています。私は、2年という命のタイムリミットの中で、がんを撲滅する発明をするという難しい道を心から楽しむことにしたのです。

どんな難敵が来てもやっつける自信があります。ドクター・中松、完全復活です

ドクター・中松さんは、10種類のがん治療法を発明した

血のにじむような努力を重ねた私は、余命宣告されたリミットの2015年末の直前、がんを撲滅する10種類の治療法の発明をギリギリ間に合わせました。

がん患者の心を治療する本や食事療法をより有効なものにする食品「ガンガンおいしい」などの発明は、体だけではなく心もケアする画期的な発明といえます。極めつけの発明は、がん細胞を攻撃する機器「がんがんロボット」です。

発明の後に調べた腫瘍(しゅよう)マーカーであるPSAの検査では、数値が0.001と判明。すなわち、がんを消すことができたのです。

しかし、これで終わりではありませんでした。一難去ってまた、一難来る。2016年に、大病院で受けた転移がないか確認する検査で、右の骨盤に転移している可能性が指摘されました。疑問に思った私は別の病院で専門家による検査を受け、その疑いを晴らしました。

転移の可能性があると告げられた私がすぐに取った行動は真偽の確認だったのです。思えば、導管がんと判明した時も、すぐに事実かどうかを確認しました。がん治療でいちばん大切なのは、早期発見・早期治療です。私ががんと闘い抜くことができたのは、私のいくつもの発明の力だけではなく、早期発見・早期治療の賜物(たまもの)だと考えています。

二難去って、二難来る。2021年も終わろうとする12月末、新発明の特許の書類を特許庁へ出す文章を書いている時に、次に続ける文章が突然書けなくなったのです。さらに、左耳が聞こえなくなりました。一時的なものと考え、一晩寝て翌朝症状を確認しましたが、体調は改善していません。直ちに救急車を呼び、最寄りの病院で検査を受けると脳梗塞(のうこうそく)と判明しました。「もし治療が遅れていたら、命に関わっていた」と医師にはいわれました。

「難治の導管がんや脳梗塞を患いましたが、現在の体調は以前に増してすこぶる良好です」

さらに四難が訪れます。2022年10月、約1ヵ月の間米国やカナダに出張していた時、排尿時に痛みを感じました。前立腺がんの前兆かと考え、直ちに帰国し、その道のプロの医師の診断を受けました。「痛みは何回ですか?」と聞かれ、「3回以上ならあやしいが1回なら心配は不要です」といわれました。骨に転移しやすいといわれている導管がんですが、骨への転移もなく、主治医からは「がん卒業」のお墨付きをもらうことができました。

難治の導管がんや脳梗塞を患いましたが、現在の体調は以前に増してすこぶる良好です。2年といわれていた命のタイムリミットを突破した今、いくつものプロジェクトを立ち上げて積極的に取り組んでいます。皆様を笑顔にできるような新しい報告がまだまだできることでしょう。

私が難治の導管がんを乗り越えられたのは、撰難楽の精神で諦めずにがんに挑み、発明に成功したからです。将来どんな難敵が来てもやっつける自信があります。ドクター・中松、完全復活です。