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王・長嶋・イチローから大谷まで、歴代の名選手から信頼されたプロ野球界“初”のチームドクターが生涯現役宣言!

著者インタビュー

長野寿光会上山田病院整形外科医師 吉松 俊一さん

投打の〝二刀流〟でメジャーで活躍する大谷翔平選手は強運を持っていますね

今年は、新型コロナウイルス感染症の大流行が落ち着きを見せつつあるものの、ロシアによるウクライナへの侵攻や原油価格の高騰(こうとう)、物価上昇など、これまで「当たり前」だった風景が揺らいできているかのようです。日本でも将来に対する不安を抱く人が少なくないかもしれません。しかし、そんな中でひときわ輝きを放つのが、メジャーリーグのロサンゼルス・エンゼルスに所属する大谷(おおたに)(しょう)(へい)選手です。

吉松俊一医師(左)がチームドクターとして最初に診察したのがキャンプ中に肉離れを起こした読売ジャイアンツの王貞治選手だった

私は、日本プロ野球界の一翼を担うチームドクターとして、これまで数多くのプロ野球選手を心身両面から支えてきました。そんな私から見ても、大谷選手は「100万人に1人の逸材」といっても過言ではありません。実際、2021年に二刀流の大活躍でアメリカン・リーグのMVP(最優秀選手)に満票で選出された大谷選手は、アメリカのスポーツ専門サイトが発表した「全スポーツ史上最高のシーズントップ50」で第1位の座に輝きました。海外メジャー15勝のタイガー・ウッズ(ゴルフ)や〝神様〟と呼ばれるマイケル・ジョーダン(バスケットボール)、歴代最多7度のバロンドール(年間最優秀選手賞)を受賞したリオネル・メッシ(サッカー)をはじめ、スポーツ界を代表するスーパースターたちを押さえての栄冠には舌を巻かざるをえません。

大谷選手は、偉業を達成するばかりではなく、メジャーリーグのルールも変えてしまいました。これまでのメジャーリーグでは、DH(指名打者)制が採用された試合に投手として出場すると、打席に立つことができませんでした。そこで苦肉の策として、昨季までのロサンゼルス・エンゼルスではDHを解除し、一番打者兼投手などのようにして大谷選手を起用していました。ところが、今季からは二刀流の選手が先発投手兼DHとして出場することが可能となったのです。実際にシーズンを通して新ルールを活用する選手は大谷選手だけといわれており、通称〝大谷ルール〟と呼ばれています。

新聞社から贈呈された王貞治選手の800号ホームランの瞬間をとらえた写真

2022年のシーズンも、大谷選手の躍進はとどまることを知りません。5月5日に現存する最古の球場「フェンウェイパーク」で行われた対ボストン・レッドソックス戦に3番投手で出場を果たした大谷選手は、7回無失点の快投で今季3勝目を挙げました。同球場で投手が1~4番の打順に入って先発出場したのは、1919年9月20日のベーブ・ルース以来の出来事。実に103年ぶりの快挙でした。

大谷選手が所属するロサンゼルス・エンゼルスは、シーズン序盤に順調な滑り出しを見せたものの、主力選手をケガで欠く中で、6月8日にはチームのワースト記録となる14連敗を喫してしまいました。時を同じくして、〝名将〟ジョー・マドン監督も電撃解任……。

チームの行く末が不安視される中、大谷選手は6月9日の対ボストン・レッドソックス戦に2番・投手兼DHで出場。マウンドに上がった大谷選手は7回1失点の見事な投球を見せ、打っても12号となる逆転2ランを放つなど、2安打の大活躍で4勝目を挙げました。

チームの連敗を阻止した大谷選手は、ファンたちから「まるでスーパーマンのよう」「野球界のモンスター」と称賛されたといいます。やはり、〝持っている〟としかいいようがありませんね。

3年ぶりの寿野球大会では監督・選手・ドクターの〝三刀流〟で地元TV局に取り上げられました

大谷選手の大活躍に触発されるかのように、私の〝野球熱〟も冷めることを知りません。コロナ()の影響で中止になっていた「寿(ことぶき)()(きゅう)全国大会」が2022年5月8日に3年ぶりに長野県千曲(ちくま)市と坂城町(さかきまち)で開催され、県内外から33チームが参加しました。

寿野球全国大会は、社会の高齢化を見据えた私が「野球を通じた健康維持」を提言して発案し、行政の協力の下で47年前にスタートしました。寿野球全国大会には独特のルールがあり、出場資格は40歳以上、ナインの年齢の合計を450歳以上にしなければなりません。

読売ジャイアンツのチームドクターとなった1年目に撮影された長嶋茂雄巨人軍監督とのツーショット

私は3年ほど前に軽い脳梗塞(のうこうそく)を患いましたが、88歳になった今でも現役選手として活躍しつづけています。今回の大会にもみずからが立ち上げたチームである「生涯球友クラブ」の仲間たちと出場を果たしました。その様子は地元のテレビ局にも取り上げられ、「監督」「選手」「チームドクター」を兼務する〝三刀流〟と話題になりました。私は、最低でも百歳までは現役選手として野球のグラウンドに立ちつづけたいと思っています。まだまだ大谷選手に負けてはいられません。

私が日本プロ野球界初のチームドクターになったそもそものきっかけは、一通の手紙でした。長嶋茂雄(ながしましげお)さんが監督として読売ジャイアンツを初采配した1975年。そのシーズンはチームの戦力が落ちて、読売ジャイアンツが球団創設以来初の最下位に終わりました。

野球好きな私は、週末によく多摩(たま)川で二軍選手のプレーを見ていました。その中に故障しているにもかかわらず練習している選手がいたことから、読売ジャイアンツの球団関係者に「二軍選手は将来一軍を担う金の卵。多摩川には金が埋もれてしまっています。故障した選手は新たに三軍を設けて治療に専念させるべきです」という内容の手紙を出しました。

今では、公認のチームドクターが故障した選手を「故障者リスト」に登録するのは当たり前のことです。ところが、休むことが許されない風潮だった当時としては、画期的な提案だったのです。その提案が読売ジャイアンツ球団代表の長谷川(はせがわ)実雄(じつお)さんの目に留まり、(しょう)力松太郎(りきまつたろう)オーナーの御曹司(おんぞうし)にもお目にかかることができ、翌年から日本プロ野球界初のスポーツドクターとして、宮崎県で行われる読売ジャイアンツの春季キャンプに行くことになりました。

最初に診察したのは、キャンプ中に肉離れを起こした王貞治(おうさだはる)選手でした。王選手といえば、通算本塁打数868本の世界記録を樹立した〝世界のホームラン王〟です。当時も読売ジャイアンツの主砲としてチームを支えており、キャンプ中にケガをしても絶対に休めないという暗黙のルールがありました。

王選手の名言の一つに「努力は必ず報われる。もし報われない努力があるのならば、それはまだ努力と呼べない」というものがあり、(しん)の強い努力家として知られています。しかし、私は「王さん、『肉離れなんて大したことがない』と思ってはいけないですよ。ケガが()えるまで、思い切って休んでください」と進言しました。熱心に静養の必要性を説く私の姿に根負けしたのか、キャンプ中に王選手が練習場に姿を現すことはありませんでした

メジャーリーガーから学んだ登板調整法やアイシング法を日本の野球界に提案しました

日本ハムファイターズ時代の大谷翔平選手から贈られたサインボール

ただし、初めからすべて自分の思いどおりにできたわけではありません。時には「アイシングなどをやられては困る」といわれたこともあります。

しかし、決して諦めたわけではありません。自費で渡米してメジャーリーグを訪れ、最先端の情報収集に努めたことも一度や二度ではありませんでした。国境を越えた私の野球への思いがメジャーリーガーとの交流を深めさせ、日本プロ野球を発展へと導く懸け橋となっていったのです。

私は、1970年代に160㌔以上の剛速球を記録し、メジャー屈指の速球王として知られるノーラン・ライアン投手に手紙を出し、「あなたに会ってお話を伺いたい」と申し出ました。すると、私の熱意が通じたのか、来たのは「OK」との返事。当時は公式戦の真っ最中だったのですが、幸運なことに私がノーラン・ライアン投手とお会いできたのが登板した翌日でした。私は、本来であれば関係者以外立ち入り禁止のロッカールームに入ることができました。私の英語はたどたどしいものでしたが、十分に時間を取って会話をしながらノーラン・ライアン投手の調整メニューを教えてもらったのです。

まず、登板した翌日は完全休養日で、ボールをまったく触らないとのことでした。そして、室内のバイシクル・トレーニング(自転車こぎ)を中心としたメニューをこなしながら、3日目、4日目とボールを触る回数を増やしていき、登板日までに徐々に肩を作っていくというのです。

かつて日本プロ野球では、リリーフ登板も含めて連投や中一日などで多投する投手が見られました。しかし、近年では中五日もしくは中六日が主流になっています。もし日本プロ野球における先発ローテーションの前時代的な考え方が定着したままだったら、故障に涙する投手がおおぜいいたかもしれません。ノーラン・ライアン投手の貢献は計り知れないといえるでしょう。

また、降板した投手がよく行っているアイシングも、私が提案したものです。アイシングは当時、日本では言葉自体も存在していませんでした。しかし、1978年に日米野球で来日したニューヨーク・メッツのトム・シーバー投手が、日米野球の試合後に積極的にひじのアイシングをしている姿を日本側のベンチ内で球団関係者に見せることで、日本プロ野球にも導入されることになったのです。

トム・シーバー投手といえば、1969年にニューヨーク・メッツをワールドシリーズ制覇に導いた立役者であり、当時のメジャーリーグのナンバーワン投手です。それまでお荷物球団として期待されていなかったニューヨーク・メッツが下馬評を覆して見事にワールドチャンピオンに輝いた大躍進劇は、今でも「ミラクル・メッツ」と称賛されています。

〝安打製造機"の異名を持つイチロー選手(オリックス・ブルーウェーブ時代)から贈られたグローブ

トム・シーバー投手は、野球理論のみならず、みずからの自己管理や解剖学、生理学にも精通していました。私はトム・シーバー投手の野球理論や体験論を日本の方々にもぜひ知ってもらいたいと思い、彼の書籍『勝つための投球術』(講談社)を翻訳したこともあります。

私はチームドクターとして、可能な限り最先端の医療を行いたいと考えていました。整形外科で肩・ひじの領域はアメリカが進んでいます。私は読売ジャイアンツの尾山末雄(おやますえお)トレーナーとたびたび渡米し、アメリカで行われている最先端の医療を貪欲に学んだのです。

気づいてみれば、私の提案した水泳や筋力トレーニング法などが日本プロ野球の現場で徐々に受け入れられ、しだいに頼りにされる存在になっていきました。数多くの球団から依頼が寄せられ、多い時では10球団の春季キャンプを回り、全12球団のチームドクターになりました。また、シーズン中には、国立長野病院(現・上山田(かみやまだ)病院)で故障や成績不振に陥った選手などの治療・指導にあたったのです。

球団のチームドクターを任されれば、チームに所属する全選手の健康管理や医療サポートを担当することになります。これまでに私が親交を重ねた選手の中には、プロ野球史に名を刻む名選手たちも含まれます。現在では、後進のチームドクターに道を譲るようにしていますが、一つひとつの出会いに容易には語り尽くせないほどの思い出がぎっしりと詰まっています。

〝ミスタープロ野球〟〝イチロー〟〝ゴジラ〟など名だたる選手たちと親交を重ねてきました

一例を挙げれば、〝ミスタープロ野球〟の異名を持つ長嶋茂雄さんです。読売ジャイアンツの監督を務めていた頃には電話などで相談に乗ることもありました。そのご縁から、ご家族の健康管理も担当させていただきました。

私は、長嶋さんや王さんのようなお人柄の人は人間の(かがみ)だと思っています。大袈裟(おおげさ)ではなく、神様のような人格者です。私がテレビ番組に出演した際などにはすぐに電話をくれるほど、気配りが行き届いた方です。

メジャーリーグでアジア人初の首位打者をはじめ、新人王や盗塁王、シーズンMVP、シルバースラッガー賞、ゴールドグラブ賞など、数々のタイトルを受賞したイチロー選手も印象に残っています。シーズン最多安打記録保持者でもあり、日米の球界史に残る〝安打製造機〟といえるでしょう。

以前、イチロー選手がオリックスの球場で打撃練習をしている際にライトの守備を守らせてもらったことがあります。ホームランの連続で、ほとんど守備の練習にはなりませんでしたが(笑)。

強肩かつ俊足でも知られたイチロー選手ですが、「50歳までは現役で活躍したい」と私に話していました。その際、私はイチロー選手に〝誰でも一流の走者になれる〟という内容のメモを「きっと役に立ちますよ」と手渡しました。読んでくれたかどうかは定かではありませんが、2019年に46歳で現役を引退する時まで、イチロー選手の足は衰えていなかったと思います。

私が2020年に(じょう)()した『オリンピック子育て論』(ゴルフダイジェスト社)では「誰でも天才になれる」という内容をテーマにしました。イチロー選手の名言の一つに「僕は天才ではありません。なぜかというと、自分がどうしてヒットを打てるかを説明できるからです」というものがあります。私は、イチロー選手は〝努力する天才〟だったのだと思います。

ワールドシリーズ制覇を経験し、アジア人初のワールドシリーズMVPに輝いた松井秀喜選手(右)。松井選手は〝剛"と〝柔"を兼ねそろえた人徳者という

また、私が(せい)(りょう)高校野球部の面倒を見ていたご縁で、〝ゴジラ〟の愛称で親しまれた松井秀喜(まついひでき)選手とも交流がありました。松井選手は読売ジャイアンツやニューヨーク・ヤンキースなどで活躍した、1990~2000年代の球界を代表する長距離打者です。2009年のニューヨーク・ヤンキース時代にはワールドシリーズ制覇を経験し、アジア人初のワールドシリーズMVPを受賞しました。

1993年の読売ジャイアン時代、オープン戦で成績がふるわずに初の公式戦を二軍で迎えた松井選手に聞いたところ、「直球はなんとかなるが、カーブが鋭く曲がってなかなか打てない」といわれました。そこで、私は「これからは自信過剰なくらいのほうがいい」とアドバイスしました。すると、その2日後と4日後に松井選手はホームランを放ち、見事に一軍昇格を果たしたのです。

読売ジャイアンツ時代に一度、松井選手の手のひらを触ったことがありますが、親指のつけ根の膨らみがとても分厚かったのが印象的でした。松井選手の(たぐ)いまれなパワーの秘訣(ひけつ)の一端を垣間見たような気がしました。反面、松井選手は非常に真面目で物静かな人でした。2013年には国民栄誉賞を受賞しましたが、これも松井選手の人徳のなせる(わざ)ではないかと考えています。

最近では、日本ハムファイターズの監督だった栗山(くりやま)英樹(ひでき)さんと懇意にさせていただいています。栗山さんといえば、大谷先手の〝投打の二刀流〟の生みの親にほかなりません。もともと現役選手の時代からチームドクターとしてお世話をさせていただいていましたが、私は栗山さんの選手を育てる能力がナンバーワンであり、特に選手を勇気づける手腕はお見事というほかないと考えています。

栗山さんは2021年12月に野球日本代表「侍ジャパン」の監督に就任しましたが、2023年に開催される第5回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)では、ぜひ世界一の栄冠を手にしてほしいものですね。これからも栗山さんのすばらしい采配をドキドキしながら見られたらいいなと思っています。

夢中になれる目標に真剣に打ち込むことが80代後半になっても現役でいる秘訣です

長野県の代表を決める大事な一戦。平均年齢40代のチームを相手に代打で出場し、見事剛速球を打ち返す吉松医師

今の私の願いは「野球を通じて多くの人々に夢や希望を与えられたら、夢や希望をかなえる喜びを味わってもらえたら」というものです。そして、子どもの教育や障害のある方々の生きがいの創出にも、野球が貢献すると信じています。第二の故郷である長野県千曲(ちくま)市と上田(うえだ)市の地域振興のためにも、これまで以上に野球の普及活動に尽力していきたいと考えています。

エネルギーに満ちあふれた私の好奇心の数だけ、今でも夢が無尽蔵であるかのようにいくつもいくつも湧いてきます。どんな夢でも構わないから、夢中になれる目標に向かって真剣に打ち込む——これが、整形外科医として80代後半になった今でも現役で働きつづける私の健康の秘訣(ひけつ)です。