プレゼント

乳がんの体験を伝えながら、音楽やラジオを通じて誰かの背中を押してあげたい

患者さんインタビュー

シンガーソングライター 東郷 さくらさん

〝悪性〟という言葉を聞いた瞬間、目の前が真っ白になって、先生の声が遠くから聞こえました

[とうごう・さくら]——1973年、鹿児島県生まれ。オーストラリアで路上ライブを経験後、2011年から鹿児島を中心に弾き語りでライブを開始。2015年にファーストフルアルバム『スエヒロガリ』を発売し、その後全4枚のアルバムを制作。化粧品会社CMやキャンペーンソングなど、多彩な音楽活動を展開。パーソナリティーを務めるラジオ番組『東郷さくら~音楽は想い出の目次~』(MBC南日本放送で毎週日曜21時45分から放送中)も好評。

私が皆さんにお伝えしたいのは、「私たちはがん患者である前に普通の人間」ということです。乳がんを経験してからは、特に強くそう感じています。私の乳がんが見つかったのは、2021年10月のことでした。

仕事の忙しさなどを理由に健康診断を後回しにしていた私は、子宮(けい)がんなど婦人科系の病気に関する情報を知る機会があり、不安を感じました。重い腰を上げて同級生が院長を務めるクリニックの婦人科を受診すると、子宮に多少石灰化が確認されましたがひとまずは問題ありませんでした。その後、同級生の院長先生が「(にゅう)(せん)は調べなくていいの?」と尋ねてきたんです。

検査を受けられる時間の空き状況を尋ねると、その日は夕方の4時からしか受けられないとのことでした。4時間も時間をつぶさなければならないので後日にあらためようかと思った時、午後1時に空きができたことが分かりました。「じゃあ、受けます」と答えたことが、運命の分かれ道となりました。

マンモグラフィー検査の結果、右の乳腺で石灰化が起こっていることが分かりました。ただ、この段階では良性か悪性か判断が難しいとのことでした。先生から、無理に受ける必要はないという前提で精密検査をすすめられ、私はすぐに受けますと返事をしました。悪性の可能性があるなら受けるべきと思いましたし、画像を見た先生の「石灰化の進行が速い」というつぶやきが耳に残ったからです。

翌月の11月に受けた精密検査の結果、乳がんと告げられました。悪性という言葉を聞いた時は目の前が真っ白になり、先生の声が遠くから聞こえました。「ほんとうにこんな感覚になるんだ」と他人事(ひとごと)のように感じましたが、すぐに現実に立ち返って先生に早口で質問をまくし立てました。その時、なぜか鳥肌が立っていたことは今でも覚えています。

先生からは「医学が進んでいるので、乳がん治療は乳房の温存と全摘のどちらも選べます」と説明を受けました。医学的に考えたらどちらのほうがいいかと先生に尋ねたところ、「私は全摘をすすめます」という返事をいただきました。私は「がんの芽があるのなら、早い段階で摘んでしまいたい」と考えて、すぐに手術の予約をしました。

ただ、先生は「まだ考える余地はあるから慌てないこと」といってくれましたし、母親は最後まで全摘には反対していました。でも、術後の生活の質(QOL)や再発・転移の確率などを調べたり、今後の自分の生活を考えたりした結果、全摘がいいと判断しました。

東郷さんは家業のパン屋さんをご両親と営むかたわら、シンガーソングライターとして活動している

また、ホルモン療法などの副作用によって仕事に支障が出ることと、治療後の倦怠感(けんたいかん)で動けなくなることは大きな不安でした。老齢の両親がいますから、治療を受けて動けなくなるのは避けたかったんです。何より、退院したらすぐに働きたかったし、動きたかった。だからこその「全摘」。私にはその一択しか見えませんでした。

年末までにさまざまな検査を済ませ、2022年1月に入院して右乳房の全摘手術を受けました。病理検査の結果、非(しん)(じゅん)がんでステージ0と判明。でも、もし最初の検査を後回しにしていたらと思うと怖くなりました。

1ヵ月間の入院生活はそれなりに楽しむことができました。楽しめた秘訣(ひけつ)は、入院生活に「自分らしさ」を盛り込んだことです。特に、「コーヒー」「仕事」「筋力トレーニング(以下、筋トレ)」には助けられました。

コーヒーをすすめてくれたのは、乳がん罹患(りかん)経験のある同級生です。1杯分が1袋になっているタイプを使おうかなと考えましたが、「自由に飲みたいな」と思って、コーヒーセットを持参することにしました。

ドリッパー、マグカップ、コーヒー豆などは、自宅で使っているものを持ち込みました。自分がいつも使っているものが入院生活の中に入ることで、病室を「自分の場所」と感じることができるようになりました。いつものようにコーヒーを()れることで「入院生活という日々を作っていく」という気持ちになりました。毎日の楽しみってこういうことなんだと実感しました。

1日1㌢に及ばなくても、動かせる範囲を広げるために毎日リハビリに励みました

日々の仕事も日常を感じる大きな助けになりました。私は両親と家業のパン屋さんを営みながら、シンガーソングライターとして活動しています。鹿児島の放送局・MBCラジオでは『東郷さくら~音楽は想い出の目次~』という番組のパーソナリティーを務めています。

がんと判明して入院することが決まった時点で、数回分の放送の収録と編集をすませて、しっかり休むつもりでした。でも、念のために、マイクなど収録に必要な機材一式を病室に持ち込みました。その後、想定より入院が長引いてしまったために、事前に収録していたぶんでは足りなくなってしまったので、入院しながらラジオ番組の収録をすることになったんです。

休むつもりだった入院生活でしたが、結果的には仕事を持ち込んで良かったと思います。コーヒーを飲みながら仕事をしている時は入院前と同じ感覚だったので、がんになったことや手術したことを忘れられました。

また、入院中にがんばった筋トレやリハビリが、今の私の生活を支えてくれています。私は当初、手術を受ければ乳がんの治療は終わりと考えていました。ところが、手術後は立ち上がるどころかベッドで体を起こすこともできなかったんです。体を動かすたびに傷口に激痛が走る状態でした。

手術後、乳房を全摘したことをがん経験者に話すと、8割の人から「腕が上がらなくて日常生活が大変でしょ?」といわれます。このまま右腕を動かせなくなるのは嫌ですから、真剣に筋トレとリハビリに励みました。とはいえ、決してむちゃはせずに、必ず先生や作業療法士さんに「どこまでやって大丈夫ですか?」と確認しながら取り組みました。

手術の傷はあきれるほど痛みました。でも、たとえ1日1㌢に及ばなくとも、毎日少しずつ動かせる範囲を増やしていきました。すると、いつの間にか入院する前よりも腕が上がるほどになりました。

退院後に知人と話をしていた時、「腕は上がりますよ」と答えたら「ひどい乳がんじゃなかったのね」といわれてしまいました。確かに私の乳がんはステージ0でしたが、乳房を全摘しています。私が腕を上げられるようになったのは、リハビリをがんばったからだと自信を持っていえます。

「リハビリをすれば誰もが良くなる」なんて無責任なことはいいません。でも、ていねいなリハビリを継続すれば、生活の快適さが高まる可能性が生まれます。だからこそ、専門家の先生の指導に従いながら、諦めずにリハビリに取り組むべきではないでしょうか。

治療後に始まったリンパ浮腫対策も、東郷さんは前向きに取り組んでいる

生活の快適さを高めるという視点は、乳がん治療後に付き合うことになったリンパ浮腫(ふしゅ)対策にも生かされています。乳がんの手術は、リンパ節を切除することが少なくありません。リンパ節を切除すると、リンパ液の流れが停滞しやすくなり、腕にむくみが生じるリンパ浮腫が起こりやすくなるそうです。

私もご多分にもれず、リンパ浮腫の対策が必要になりました。例えば、手術前の私は、どこへ行くにもリュックを背負って自転車で動き回っていましたが、今は徒歩での移動を中心にしています。リュックを背負うとどうしても右肩を圧迫してしまいますから。

リンパ浮腫との付き合いはやっかいではありますが、私は現状をあまり悲観的に考えてはいません。リンパ浮腫との付き合い方として、「できないことが増えた」のではなく「やらなくていいという特権を得た」と考えるようにしています。

例えば、長時間ギターを弾かないようにしました。一見すると、シンガーソングライターとしては危機的な行為ですが、弾きながら歌うよりも歌う時は歌に集中したい私にとって、実はうれしい環境なんです。

もちろん、長時間ギターを弾けないのは喜べることではありませんが、乳がんになったからこそ見える新しい発想と工夫が湧くようになりました。「あれができない」「これもできなくなった」と、ただ悲観的に陥るばかりではなく、できることに目を向けることで、生活の可能性が広がると思うんです。

家に引きこもりがちだったがん患者さんが、私の番組を聴いて、外に出てきてくれたんです

「リハビリをがんばったら、入院前よりも腕が上がるようになりました」

私はラジオ番組で、みずからの乳がんの経験を堂々と、暗くないように話したことがありました。番組で流す曲も乳がん患者さんが多い世代に向けたものを選んだこともあり、反響はいつもの7~8倍。北海道や沖縄県からも感想が届きました。

放送後は、実家のパン屋さんに「私もがん患者です」というリスナーさんがたくさん来てくださるようになりました。息子さんと一緒に来られた70代の女性は、5年前に乳がんを発症して以来、家に引きこもりがちだったそうです。「このまま死んでいくのか」と思い悩んでいた時に私のラジオ番組を聴いて、「もっと自分らしく生きていいんだ」と考えが変わったと話されていました。

私は、彼女がそこまで追い詰められていたことになんともいえないショックを受けました。でも、私に会うために家から出てきてくれたこと、そして別れ際に笑顔で「100歳まで生きたい」と話してくれたことがほんとうにうれしかったんです。

この女性との触れ合いから、いかに日常が大切か思い知ります。私たちは、がん患者である前に普通の人間です。自分らしく生きることにためらいを感じる必要はありません。そして、生活の質や快適さ、さらには自分自身の可能性を広げるため、できることから取り組んでいくことが大切だと思います。

私が、がんと診断された時の気持ちや経験を伝えることで、誰かの背中をそっと押せたらうれしいです。私は乳がんになりましたが、これからも明るく自分らしく生きていきます。

東郷さくら
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