日本先進医療臨床研究会代表 小林 平大央
薬剤再配置で多大な時間と労力と資金を省略して有望なガン治療薬を探す
「薬剤再配置(ドラッグ・リポジショニング)」という言葉をご存じでしょうか? 薬剤再配置とは、ある病気のために作られた薬を別の病気に使用して効果があった場合、新たな薬として申請する創薬方法のことです。現在、薬剤再配置の例が世界中で広がっています。
こうした現象が広がる大きな理由は、時間と経費の削減です。多大な費用や労力、時間を注ぎ込んで開発し、さまざまな実験や臨床試験を経て承認された薬剤は、人間に対する安全性がすでに確立されています。そのため、安全性を確かめる費用や労力、時間が削減できます。
人間がこれまで口にした経験のない新規の化学薬剤の安全性を確認するのは、実はたいへんな労力を要することなのです。まず、試験管内での化学実験を皮切りに培養細胞で効果を確認してから、動物での安全性と副作用の測定が開始されます。最初はマウス、次にウサギなどの小動物、そして、イヌなど人間に近い大型哺乳動物で安全性を確認してから、やっと人間への安全性を確認する第Ⅰ相試験です。
そのうえで、副作用と効果を確認する小規模なグループでの第Ⅱ相試験を経て、大規模グループでの第Ⅲ相試験で効果があることや数年たっても重篤な副作用が出ないことを確認し、ようやく新薬は承認されます。運よく発売にこぎ着けたとしても、まだ発売後の第Ⅳ相試験があります。発売後に副作用の発生を逐一報告すべき観察期間があり、そこでもし重篤な副作用が出れば発売中止になります。こうしたプロセスを経て、新薬は一般に使用される薬剤として全国の医師のもとに届けられるのです。
現在、世界的に注目を集めているガン治療用の再配置薬に、ベンズイミダゾール系駆虫剤(いわゆる虫下し剤)があります。ベンズイミダゾール系駆虫剤は、多形性膠芽腫(GBM)という病気の治療薬候補です。GBMはよく見られる浸潤性の脳腫瘍で、現代医学の治療の進歩にもかかわらず、患者の予後が依然として不良な病気です。
このGBMの有力な治療薬候補は、偶然の発見から見つかりました。ある研究チームが行った動物実験中、蠕虫感染症の治療に使用されるベンズイミダゾール系駆虫剤である「フェンベンダゾール(FBZ)」が脳腫瘍の生着(血液の流れに乗ってきたガン細胞が住み着くこと)を阻害することが観察されたのです。ただし、FBZはイヌ用の薬剤のため、研究チームは同じベンズイミダゾール系駆虫剤で人間用の「メベンダゾール(MBZ)」と「アルベンダゾール(ABZ)」で試してみることにしました。
MBZとABZは人間の寄生虫治療に承認され、1970年代から広く使われていて安全であることが証明されています。また、人間のエキノコックス症などの中枢神経系感染症の治療などに使用されており、血液脳関門を通過することが確かめられています。
ほかの臓器のガンに効く治療薬候補が脳腫瘍に効かない理由の一つに血液脳関門を通過できないことがあります。そのため、MBZとABZは脳腫瘍に対する治療効果が期待されたのです。
実験の結果、MBZのほうがABZよりもマウスの生存期間を効果的に延長することが分かりました。その理由は、MBZがABZよりも胃腸吸収に若干優れていたためです。こうして、MBZが注目されることになりました。
MBZは、体内に寄生した多種の寄生虫を殺すために用いる医薬品です。例えば、回虫症、蟯虫感染症、鉤虫感染症、メジナ虫症、エキノコックス症、ジアルジア症などの治療で効果がありますが、日本では鞭虫症のみの治療薬として承認されています。そのため、効果があることが分かっている鞭虫症以外の疾患の治療にMBZを使用すると、保険適応外で健康保険が使えない自由診療になります。
これはガン治療でも同様です。多くの論文で抗腫瘍効果が高いと報告されているMBZを使用してガン治療を日本国内で行う場合、保険適応外使用で健康保険のきかない自由診療となります。これは、日本独自の混合診療禁止というルールによって決められているためです。
ベンズイミダゾール系駆虫剤がガンに効く理由を作用機序として最初に報告したのは、実は日本の研究チームです。国立がんセンター東病院(当時)と慶應義塾大学の共同研究が2009年に世界で初めて、ガン細胞が増殖に必要なエネルギーを産生する際に回虫などの寄生虫と同様の代謝回路を使うことを実証して発表したのです。
この発表を受けて、世界中でガン治療にベンズイミダゾール系駆虫剤を実験的に使う治療が非公式に始まりました。ベンズイミダゾール系駆虫剤がなぜガンに効くのか——現在は、代謝回路の問題だけではなく、ガン細胞の微小管(細胞分裂や細胞輸送、細胞構造の維持などに必要な細胞骨格成分)の重合(伸長)と脱重合(解離)を阻害することで、ガン細胞の分裂・移動・維持を阻害することや、血管新生を阻害して抗ガン作用を示すことが判明しています。
興味深いことに、実験でMBZは正常細胞よりもガン細胞の微小管を優先的に標的とすることが分かりました。つまり、副作用の低減という意味でも、MBZは非常に有効な抗ガン作用を持つと考えられるのです。また、MBZは、抗ガン剤に対して耐性ができた化学療法抵抗性のガン細胞に対しても微小管形成の破壊効果が高いことが分かってきました。
MBZには、脳腫瘍やリンパ腫だけでなく、大腸ガン、肺ガン、卵巣ガン、トリプルネガティブ乳ガン、ガン幹細胞、頭頸部扁平上皮ガン、化学療法抵抗性のT細胞急性リンパ芽球性白血病、難治性の黒色腫、急性骨髄性白血病など、さまざまなガン種に対して効果があるという論文が発表されています。
MBZは、実証済みの優れた安全性、疾患部位で治療濃度に到達できる薬物動態、投与の容易さ、低価格など、再利用された薬剤特有の多くの望ましい特性を有しています。また、MBZは、直接的な細胞毒性を示すだけではなく、放射線治療やさまざまな抗ガン剤と併用することで相乗作用を発揮し、抗腫瘍効果を高めることが分かっているのです。
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