プレゼント

心身に刺激を与えると、もやもやしていたものが一気に晴れるんです

私の元気の秘訣

女優 樫山 文枝さん

1964年のデビュー以来、ゴールデンアロー賞特別賞をはじめ数々の賞を受賞するなど、第一線で活躍しつづけている女優の樫山文枝さん。御年83歳を迎えた現在も、舞台『ミツバチとさくら』の本番を間近に控え、稽古に励んでいます。いつまでも向上心あふれる樫山さんに、元気と健康の秘訣を伺いました!

お互いを尊敬し合う両親と4人の兄弟たちがいちばんの宝物でした

[かしやま・ふみえ]——1941年、東京都生まれ。1963年、劇団民藝俳優教室に入る。1964年、舞台『アンネの日記』の5代目アンネ・フランク役で初舞台。1966年、連続テレビ小説『おはなはん』(NHK)でヒロインに抜擢され、ゴールデンアロー賞特別賞、ラジオ・テレビ記者会賞個人賞を受賞。1973年、舞台『三人姉妹』で文化庁芸術祭優秀賞を受賞。2008年、舞台『海霧』で第43回紀伊國屋演劇賞個人賞を受賞。主な出演作に、舞台『夜明け前』『静かな落日』、映画『男はつらいよ 葛飾立志篇』など。NHKでは、大河ドラマ『天と地と』、連続テレビ小説『さくら』、『お別れホスピタル』などに出演。

私が生まれ育った武蔵野市の吉祥寺は、今でこそ「住みたい街ランキング№1!」などといわれることもありますが、幼少期は田畑や雑木林しかない、日本の原風景そのままの地域でした。生家も林に囲まれた中にあり、私はそこで両親と4人の兄弟にもまれて育ちました。

思い返してみても、木登りをしたり冒険ごっこをしたり、それはそれはお転婆な幼少期だったと思います。でも一方で、母が家の周囲に植えていたユキヤナギの花を積んで冠を作り、お姫様ごっこをして遊ぶような女の子らしい一面もあったんですよ。

父は大学教授だったので、毎日夕方には必ず家に帰ってきて、家族と一緒にご飯を食べるのが日常でした。夏休みや冬休みなどの長い休みの時には自分の研究に明け暮れていた父に対し、母は母で、主婦をやりながら短歌を詠むような芯の強い人でした。

夫婦仲もよく、互いが互いを尊敬している様子がよく伝わってきたので、私にとっては兄弟たちも含め、この恵まれた家族こそがいちばんの宝物だったとしみじみ感じます。古きよき家族の団らんが、とても身近なものだったんです。

そんな日々の中、私は中学生になってから、お芝居の魅力にとりつかれます。母が文楽や歌舞伎、演劇の舞台によく連れて行ってくれたので、その影響が大きかったですね。

やがて、将来はぜひお芝居の世界で食べていきたいと思うようになり、その気持ちを母に伝えてみたところ、「あなたが生涯をかけてもいいと思える仕事を見つけられたことが、とてもうれしいわ」と喜んでくれました。

また、小学生の頃は、よく母が私と妹に童話を読み聞かせてくれていたことも、無関係ではなかったと思います。母からすれば早く寝かしつけたい一心だったのかもしれませんが、話の続きがいつも気になってしかたがなくて、これも物語の世界への憧れにつながっていると感じます。

そんな私が志したのは、いわゆる「新劇」という、欧米の流れをくんだ近代演劇の世界で活躍する女優でした。しかし当然、身近に新劇女優をやっている人などいませんでしたから、最初のうちは父が反対していたんです。反対というより、心配だったのでしょうね。

それでも、単に芸能界に進みたいのではなく、新劇の世界で新たな文化を作っていきたいという私の思いを知ると、最終的には納得してくれました。

「向こう見ずな行動力が新劇女優デビューにつながりました」

具体的な行動を起こしたのは20代になってからで、私は1963年に劇団民藝の俳優教室に入ります。その翌年、『アンネの日記』でアンネ・フランク役をやることができたのが、私にとっての初舞台となりました。

実はこの時、私はもともと配役されていませんでした。でも、あまりに悔しくて悲しくて、宇野重吉先生の自宅にまで押しかけて、たまたま在宅されていた奥様に「私、どうしてもアンネがやりたいんです」と懇願したんです。すると翌日、先生から「じゃあ、勉強がてら稽古場に来なさい」といわれました。

アンネ役をやらせてくれるとはひと言もいわれていないのですが、稽古場に立ち入れるだけでもうれしくて、熱心に通っていたところ、もともとアンネ役をやる予定だった女優さんの都合が悪くなり、私にお鉢が回ってきたんです。

たいへんラッキーな話ですが、これが私の新劇女優デビューとなりました。向こう見ずな行動力の賜物で、ほんとうにあの頃の自分は若かったなと感じ入ります。

まったく違う人物を演じられることが生きる活力の源です

そんな調子でデビューに至ったので、いわゆる下積みらしい下積みの期間が、私は短かったのかもしれません。実家が東京だったということもありますし、早いうちから食べられるくらいのお金はいただけるようになっていましたから、アルバイトの類いも経験したことがないんです。これは非常に恵まれていたと思います。

しかしその分、毎日がむしゃらに稽古に励む日々で、一つの舞台を毎回全力でこなしながら、ほんの小指の先ほどの量でもいいから成長したいといつも考えていました。現状維持ではなく、次の舞台は前回の舞台の時よりも必ずいいものにしたい——そんな気持ちです。

だから逆に、これまで60数本の舞台に立ってきた中で、失敗や挫折、自分に対する失望を味わった作品というのはけっして少なくありません。理由はさまざまで、目指していた演技ができなかったとか、思い描いていたレベルに達していなかったとか、作品によってさまざま。むしろ、「今日はうまくやれたな」と満足する舞台のほうが圧倒的に少なかったと思います。

連続テレビ小説『おはなはん』(NHK)に出演していた当時の写真。主役に抜擢されて女優として一躍有名になる

特に新作をやる際は、毎回、生みの苦しみに悩まされています。再演の場合は前回できなかったところを改めて、よりうまくやれるよう努力すればいいのでしょうけど、一から作りあげなければならない新作は、まさしく暗中模索の状態で、毎回苦しんでいます。

それでも、自分ではない人間になりきれるのは、この仕事ならではの喜びです。人間なんて誰しもちっぽけなもので、私自身も毎日のように「自分はほんとうにだめだなあ」と頭を抱えるばかりです。でも、そんな自分とはまったく別の人格を、稽古を通して徐々に作りあげていくことで、なんだか生きる活力が湧いてくるんです。ほんとうにありがたい仕事だと心底思っています。

こうしている今も、この秋に本番を迎える『ミツバチとさくら』という舞台の稽古に励んでいます。まさに生みの苦しみの真っ最中で、出演者の皆さんと一緒に四苦八苦しているところです。

『ミツバチとさくら』は家族の物語で、私が演じるのは夫を亡くした妻の役柄です。結婚して主婦になり、4人の娘を育てた私は、6年前に夫を亡くして、離婚して戻ってきた三女、そもそも結婚する気のない四女と暮らしています。

母親としては、この2人の娘に対して「早く結婚して片づいてくれないかな」などと、わが子の幸せを素朴に願っているわけですけど、彼女たちは彼女たちでいろんな事情を抱えています。なにより、家族一人ひとりがこれからどう暮らし、どう生きていくのかという問題も切実です。

私自身、台本を読み込みながら、「人生100年時代」だからこそ、いくつになっても人生の選択というのは尽きないのだなと痛感しています。きっと共感してくださる人も多いのではないかと思います。

気持ちが鬱々としたら「がんばれ」と自分を叱咤激励するんです

今回の『ミツバチとさくら』の世界観にも通じることですが、いくつになっても一歩踏み出す勇気を持てるかどうかは、とても大切なことです。

人は年齢を重ねるほど、考え方も気持ちも凝り固まってしまうもので、なかなか新しいことに挑戦することができません。だから、どうにも閉塞して鬱々としてきた時には、私は少しでも体を動かすよう心がけているんです。関節や筋肉は、じっとしているほど固まってしまいますが、これは心も同じですからね。

例えば、武蔵野近辺を散歩したり、わざと混雑した街中の雑踏の中を歩いてみたりして心身に刺激を与えると、もやもやしていたものが一気に晴れていくのを感じます。これが私にとって今、いちばんの健康法になっています。

散歩じゃなくても、例えば気合を入れて掃除や片づけ、あるいは庭仕事をするなど、体を動かすことであればなんでもいいのだと思います。私も夫を亡くして一人になりましたから、そうして気分転換を図りながら新しい風を自分の中に入れることは、とても重要だと考えています。

地球温暖化でこうも暑いと歩くのもなかなか重労働ですけど、地面にしっかり足をつけて、地球の重力を感じながら踏みしめて進んでいくと、なんだか元気が湧いてきます。やはり人間、歩くことが基本ですから、なるべく歩みを止めてはいけないんですよ。

それから私の場合、ほんの少しですが、毎日のスクワットを日課にしています。これは健康のためというよりも、ただ「ずっと舞台に立っていたい」という欲張りな気持ちからのことです。生涯現役を目指そうなんて大仰なことは考えていませんが、それでも夢は大きく持っていたいですからね。

それでも今ひとつ気持ちが晴れない時には、自分に対して「がんばれ、がんばれ!」と叱咤激励するようにしています。「がんばれ」というのは本来、他人に向けるべき言葉ですが、独り言のように自分に対して声をかけるんです。人は油断をするとすぐに自分のことを棚に上げてしまう生き物ですから、他人に対しては簡単に「がんばれ」といえるけど、果たして自分はほんとうに全力を尽くせているのかというと、疑問に感じることがあります。だから自分に「がんばれ」「負けるな」と声をかけていい聞かせているわけです。

ただ、新型コロナウイルス感染症だけはそうした気持ちではどうにもなりませんから、最大限に注意を払わなければなりません。誰か一人でも感染したら、舞台そのものが中止になってしまいます。これは責任重大です。しばらくは大好きなおしゃべりもほどほどにしておかなければ、と自戒しています。

まだ舞台に上がりたい!健康を維持して2年後の地方公演に備えます

基本的に丈夫な体に産んでもらったおかげで、これまでは大病や大けがとは無縁な人生だったのですが、4年前に道端で転んでしまい、肩の腱板を断裂したことがありました。

ちょうどコロナ禍の始まりの時期で時間にゆとりがあったので、手術はせずにどうにかリハビリで対処しましたが、一時はどうなることかとヒヤヒヤしました。現在は日常に差し障りのない状態まで回復してきましたけど、重いものを持ち上げる時には細心の注意を払って、肩に負担がかからないように気をつけています。

でも、おかげさまで元気な80代を送ることができていると、われながら思います。

私にとっての元気の秘訣は、無理をしないこと。疲れたなと感じたら眠ればいいし、なにか食べたいものがあるなら食べればいいんです。

「旅公演ができるように神様にお願いしているんです」

もちろん、栄養バランスは大切ですよ。でも、簡単なことに気をつけていればいいのだと思います。今日、魚を食べたのであれば、明日は肉にしてバランスを取るとか、できる範囲の努力でいいでしょう。

『旧約聖書』の一節に「人はパンのみにて生くるものにあらず」という言葉がありますが、まさにそのとおりで、人間が生きていくためには物質的な満足だけではなく、心の満足も大切なんですよね。

だから、明日へのエネルギーをもらえるなにかを、人は見つけておかなければなりません。ただ漫然と暮らしているだけでは、なかなか刺激は受けられないですから。そして願わくは、演劇がその一つになれば、これほどうれしいことはありません。

今年で83歳になった私ですが、ほんとうにありがたいことに、この先も地方公演のお呼びがかかっていて、順当なら2026年、2027年と旅公演をこなすことになります。年齢を考えると、これはなかなかのプレッシャーですよ。

でも、私自身もまだまだ舞台に立ちつづけたい思いが強いので、どうにか元気を維持できるようがんばっています。神様にも毎日お願いしているんです。「お願いだから、その時まで活動できるように寿命を残しておいてください」って(笑)。少なくとも、今予定されている舞台はすべてちゃんとこなしたいですからね。

そのためにも、ある程度は自由気ままな生活を意識しながら、引き続き心の刺激を大切にしながら精進していきたいと思います。まだまだ、皆さんに舞台の上から元気をお届けできるようにがんばりますよ。

樫山文枝さんからのお知らせ

『ミツバチとさくら』

  • :ふたくちつよし
  • 演出:中島裕一郎
  • 出演:樫山文枝、白石珠江、中地美佐子、飯野 遠、藤巻るも、金井由妃、佐々木梅治ほか
  • 日程:2024年9月28日(土)~10月7日(月)
  • 場所:紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都渋谷区千駄ヶ谷)
  • 問い合わせ先:劇団民藝 ☎044-987-7711(月~土曜日 10時~18時)