子宮頸がんと診断される前に妊娠が判明。子どもに影響はないと知って産みたいと強く思いました
正直なところ、当時は出産できるとは思っていませんでした。出産時、私は46歳で高齢出産でしたし、子宮頸がんがあることもわかっていました。出産するということは、それまでがんを放置することになります。当初は私自身、自分の命のほうが大切だと思っていたんです。
生まれたばかりの息子はNICU(新生児集中治療室)を卒業し、もうすぐいっしょに生活できるようになります。病院で初めて息子をだっこしたときは、言葉では表現できないほどの幸福感に満たされました。
それまでの私は、仕事ずくめの人生を送ってきました。私は、番組のナレーションや結婚式などのイベント司会者といった、声の仕事にたずさわっています。高校生のころから声の仕事を夢見て活動し、いまでは司会者を派遣する会社を立ち上げることができました。
経営者として人材育成や事務作業を行いながら、私自身も司会者として現場の仕事をこなしていました。一方で、メディアの仕事にかかわりたいと思い、芸能事務所にも所属しました。39歳のときには、テレビ朝日の『やじうまテレビ!』(現『グッド!モーニング』)のナレーションの仕事が決まりました。
番組が始まるのは朝4時55分からですが、私が現場に入るのは深夜1時。そのころの私は、夜8時に寝て3時間後の11時に起きてテレビ局に向かい、朝8時ごろに帰宅してお昼ごろまで就寝するという生活を送っていました。
2分割して1日の睡眠を取る生活にした理由は、明るい時間に起きていないと自律神経のバランスがくずれてしまうと聞いていたからです。私自身、会社の事務作業や友達との食事など、日中にやりたいことがたくさんありました。体力的にきついと感じることもありましたが、2分割して1日の睡眠を取る生活は43歳まで続きました。
生活は不規則だったものの、司会もナレーションも代わりがきかない仕事なので、健康には人一倍気をつかっていました。食事はほぼ自炊ですし、以前は何種類ものサプリメントを飲んでいました。運動も好きで、スポーツクラブに通ってエアロビクスやヨガのクラスに参加していましたし、本格的なクライミングにも挑戦していました。
健康に気をつけるようになった理由は、27歳で会社を立ち上げた直後にかかった、卵巣嚢腫です。緊急入院して手術を受けて以来、「私は婦人科系の臓器が弱いんだな」と思うようになりました。婦人科系の検診は20代のころから、毎年必ず受けています。
私の体質が父にすごく似ていることも、健康に気をつけている理由の1つです。父も私も口内炎ができやすく、同じ時期によくカゼを引いていたんです。私が高校1年生の終わりのころ、父に末期の膵臓がんが見つかりました。余命は3ヵ月~半年といわれていたのですが、父は1年半がんばって生きつづけ、私が高校3年生のときに亡くなりました。それ以来、なんとなく「自分も将来、がんになるだろう」と考えていました。
3~4年前から、子宮がん検診を受けるたびに「びらん(ただれた部分)がある」と指摘されるようになりました。先生から「びらんは炎症や不正出血を起こしやすいけれど、気にしなくても大丈夫」といわれていたので、特に心配はしていませんでした。2016年10月に受けた子宮頸がん検診でも、びらん以外は特に問題はないといわれました。
2017年の5月ごろから不正出血があったのですが、初めは排卵出血とか年齢によるホルモンバランスのくずれによるものだと思ったんです。念のために病院で診てもらおうと、7月半ばに婦人科を受診しました。
7月下旬に検査結果が出たさい、精密検査を受けるようにといわれました。私は以前、婦人科の病気について調べていたこともあり、先生の口から出る専門用語から「がんかもしれない」と感じたんです。もたもたしている暇はないと思い、7月30日の朝いちばんで紹介状をもらって、その足で紹介先の総合病院へ向かいました。
実はその日の朝、軽い吐きけを覚えていました。予定していた生理日を1週間ほど過ぎていることもあり、「もしかして、妊娠しているかもしれない」と思いました。予感は的中。病院で診察を受けたさいに、がんよりも先に妊娠していることがわかりました。
自覚症状はなかったものの手術後に腸閉塞とリンパ浮腫に苦しみがん患者だと痛感しました
9月にがんの精密検査であるコルポスコープ診(膣拡大鏡診)、10月3日には子宮頸部を円錐状に切除する円錐切除手術を受けて病理検査の結果を待つことになりました。おなかの赤ちゃんに影響は少ないと説明は受けたものの、ものすごい手術の音に「大丈夫かな」と不安になりました。
10月17日に病理検査の結果が出て、私の子宮頸がんは腺がんであることがわかりました。腺がんは見つかりにくいうえに、転移しやすいとのことです。翌日には羊水検査を受け、おなかの子どもには何の問題もないことがわかりました。そのころには「産みたい」という母親の気持ちになっていました。
後から聞いたところでは、腺がんとわかった時点で子宮や卵巣を全摘出する病院が多く、妊娠していても産めないケースが少なくないようです。私が45歳で、最初で最後のお産ということを考慮してくださった担当の先生は、「28週めまで経過観察をしつつ、妊娠継続を考えてもいい」といってくださったんです。とても感謝しています。
その後も検査や診察を受けつづけ、2018年1月25日に帝王切開で出産することが決まり、その後に子宮と卵巣の摘出手術を受けることになりました。円錐切除手術を受けたため、年明けの1月16日に入院。翌日にはインフルエンザを患っていることがわかったのですが、入院中だったため、おなかの赤ちゃんに負担がかからないよう適切な治療を受けることができました。おかげで予定どおり、1月25日に1492㌘の男の子を産むことができ、その後に手術を受けました。
子宮頸がんと診断されてはいたものの、自覚症状はありませんでした。自分の意識の中では、患者ではなく妊婦だと思っていたんです。妊婦としては特に大きな問題もなく、優良妊婦だといわれていました。ところが、手術後に腸閉塞で苦しみ、リンパ浮腫にも悩むようになって、自分ががん患者であることをようやく痛感したんです。
これからは自分だけの人生ではありません。少なくとも20年は健康に気をつけていきたいです
夫は4歳年下の整体師です。夫の患者さんには妊活中の女性が多いんです。夫は妊娠や出産に関する知識が豊富なだけに、妊娠を報告したときにはすぐには信じられないようでした。
当時、独身だった私たちは、妊娠を機に結婚することになりました。夫のご両親は、年上でがんの疑いが濃厚な私を温かく迎えてくださって、ほんとうにありがたいと感じました。
私は人前では明るく元気なのですが、実はネガティブな面もあります。「がんが進行してしまったらどうしよう」「子どもが産めなかったらどうしよう」と考える私に、夫は「大丈夫だよ」「なんとかなるよ」と言葉をかけてくれました。根拠のない言葉なのですが、夫は心の底から「大丈夫、なんとかなる」と信じているんです。夫のポジティブさには何度も何度も救われました。
幸運なことに、息子は日ごとにすくすくと大きくなっています。これまで仕事にささげてきた私の人生は、もう私だけのものではありません。息子のためにも、少なくとも20年は元気でいなくてはと考えています。息子には、たくましく、自分でちゃんと物事を考えられるような人間に育ってもらいたいと思っています。