プレゼント

悪性リンパ腫を経て、自分が手に入れているものを見つめ直すことができました

有名人が告白

講談師・声優 一龍斎 貞弥さん

Ⅳ期の悪性リンパ腫であることが判明し、小腸を40㌢ほど切除する手術を受けました

[いちりゅうさい・ていや]——大分県生まれ。1990年、ナレーター・声優として活動。さまざまなナレーション、カーナビの音声案内などで活躍。2007年10月、一龍斎貞花に入門し、2008年3月より講談協会前座。2011年10月、二つ目昇進。2020年11月に腹痛が起こり、12月に悪性リンパ腫と判明。治療を乗り越えて2022年9月に真打昇進。

私はⅣ期の悪性リンパ(しゅ)になりましたが、幸いにも寛解(かんかい)の状態を維持できています。現在も元気に声の仕事を続けていられることを、とてもありがたく感じています。悪性リンパ腫はたいへんな病気ではありましたが、これまで見えていなかったことに気づかせてくれたという意味で、感謝の思いを抱いています。

私は26歳から声優やナレーションなど、声でいろいろな世界や物事を表現する仕事を始めました。

ただ、40代を目前に、もっといろいろなことをやりたいという欲が出てきました。「まだまだできることがあるはず」と考え、声優やナレーションとは違う表現を模索しはじめました。そんな中で出合ったのが、私が現在師事している一龍齋(いちりゅうさい)貞花(ていか)師匠の講談セミナーでした。2007年、43歳の時に師匠のもとに入門して講談の世界に進みました。

私を待っていたのは、厳しい前座修業の日々でした。でも、目の前の状況を正面から受け入れてしまう私の性分からか、逃げ出したいなどと思わず、時には落ち込みながらもずっと前向きに取り組めました。

講談の世界に入る時、師匠の存在はとても大きなものでした。積み重ねてきた私の経歴を認めてくださり、「せっかく、これまでの仕事を認めてくれる人がいるのだから」と、声優業との両立を許してくれたのです。講談の世界では、あえてのどをつぶして「講談らしい表現」ができるようにしようする方もいますが、師匠は「講談をやることで、さらにいい声の仕事につながる機会になれば」と、私の声の仕事も大切にしてくださいました。

2011年に二つ目に昇進。「声の仕事」と講談の仕事を並行させ、二つの活動を順調に続けていた私の生活に、不安な影が差したのが、2018年の頃でした。時々起こる嫌な腹痛で、たびたびクリニックを受診するようになったんです。当初は処方された胃腸薬などで、そのたびにひとまず症状は治まっていたのですが、2020年11月に起こった腹痛は薬を服用しても治らず、2週間で3度も病院に行きました。ひどい腹痛のうえ、おなかの中でヘビが動いているような感覚があり、つらくて夜も眠れない状態が続いたんです。

3度目の受診をした時、あらかじめCT(コンピューター断層撮影法)検査を受けるように先生からいわれ、11月30日に別の施設で受けたCT検査の画像を持って行ったんです。すると、画像を見た先生の目の色が変わり、「すぐに大きな病院で()てもらってください」と指示されました。

翌日の12月1日、紹介された総合病院を受診すると、おなか全体にリンパ腫があるとのこと。病気の特定には複数の検査が必要ではあるものの、腹痛の原因は、リンパ腫による小腸の腸閉塞(ちょうへいそく)の可能性が高いといわれました。

先生に「良性である可能性はあるのでしょうか?」と聞いてみたところ、「残念ながら、ありません」という回答。もしかしたら、多くの人はここでショックを受けるのかもしれませんが、私は持ち前の受け入れてしまう性分のせいか、先生の言葉を聞いても「今、おなかにあるのは悪いものなんだな」「これから治療していくんだな」と冷静でいられました。

入院後のさまざまな検査の結果、悪性リンパ腫でも数ある型のうち、Ⅳ期の濾胞性(ろほうせい)リンパ腫であることが判明。私の場合、腸閉塞を起こしかけていたこともあり、2020年12月に小腸を40㌢ほど切除する手術を受けました。

厳しい状況である現実を正面から受け入れることで、不思議と気持ちが落ち着きました

検査入院前も私は冷静で、そばで娘が泣いていても「なにも泣くことないわよ」と笑っていました。また、頭の中は病気のことよりも仕事のことでいっぱいで、師匠への連絡や代わりの人へのお願い、予定のキャンセルの連絡に奔走していました。ただ、無意識の部分では負担があったのかもしれません。総合病院を初めて受診した12月1日の帰り道、喫茶店に一人で入って飲み物とその時だけはなぜかおいしく感じられたバームクーヘンを食べ、ホッと一息入れた時に、無意識に涙が頰を伝ったんです。私が病気を患ってから泣いたのは、それが最初で最後です。

あれよあれよと、初診から3日目の12月4日に検査のために入院。まずは痛みの原因でもある腸にたまってしまう液を排出するため、イレウス管という太い管を鼻から通すことになりました。その管はのどの内側に当たって痛くて話すこともできず、夜も眠れなかったのはつらかったです。手術から半月後に始まった抗がん剤治療は、初回だけ様子を見るために入院、2回目からは通院での治療でしたが、覚悟していたものの、副作用に苦しむことになりました。とにかく何ものどを通らず、一日でようやくリンゴ半分を口に入れられる程度でした。絶えず吐き気と嘔吐(おう と)があり、立っていることも座っていることもできず、副作用が現れている間は横になっていることしかできない日が続きました。投与中の副作用では静脈炎による血管痛もつらかったです。

悪性リンパ腫が完全寛解した一龍斎貞弥さんは、元気に講談に取り組んでいる

真打昇進が決まったのは、まさに抗がん剤の副作用で苦しんでいる2021年3月でした。師匠から「真打昇進が決まったよ」と電話で連絡があったんです。もちろんうれしかったのですが、その時はひどい副作用で体を動かすこともままならない状態で、治るという確信を持てない時期でした。師匠は1年後の2022年3月に昇進を考えていましたが、私はとても準備が間に合わないと判断。半年延ばしてもらって2022年の秋にしていただきました。つまり、私はそれまでに体調を戻すと決意したんです。

抗がん剤治療が終わって、晴れて2021年7月には完全寛解の診断をいただきました。私は衰えた発声に必要な筋肉を取り戻すためのボイストレーニングや、ネタの稽古などに取り組みました。そうして2021年8月に高座に復帰した時、お客様の「待ってました!」の掛け声と拍手に、講談師としての喜びを()み締めました。今では、以前にも増して講談を楽しめているような気がしています。

入院前も入院中も、手術後も抗がん剤治療中も、つらいことはたくさんありました。私は決して能天気だったわけではなく、自分が厳しい状況であることは十分理解していました。むしろ、そうした現実を正面から受け入れることで不思議と気持ちが落ち着きました。「よい状態まで回復して生かしてもらえるのならありがたいし、そうでなければ寿命なのだからしかたない」と、今後のことも冷静に考えられました。

病気を経験して感じたのは、世界とのつながりの大切さです。家族や師匠、おかみさん、友人、知人、お客様、講談師の先輩からたくさんのメールやSNSのメッセージをもらいました。特に、毎日連絡をくださった師匠には、ほんとうに感謝しています。

〝がん仲間〟の存在も心強かったです。「私はこんなふうにして副作用を乗り切ったよ」と情報交換をしたり、「がんばろうね」と励まし合ったりしたんです。「私は今、副作用がつらくて一人で寝ているけれど、でも一人じゃない」。その感覚が大きな心の支えとなってくれました。

リンパ腫があると知った時、「いったい何が悪かったのだろう?」と考えました。元々、体が資本の仕事をしていましたから、これまでも健康にはそれなりに気をつけていました。「私、どうして病気になってしまったんでしょう、何か体に悪いことしてたんでしょうか」と、先生に尋ねると、「そうじゃないですよ、原因は分からず、特定はできません」との答えに「私が何か悪いことをしたわけじゃないんだ」とホッとしました。

悪性リンパ腫を踏まえ、講談の登場人物を深く表現したいという気持ちが強くなりました

「病気になるまでの私は、ほんとうの意味で人生を楽しんでいなかったような気がするんです」

悪性リンパ腫の治療を通じて、自分が手に入れているものを見つめ直すことができました。以前の私はすごく欲張りで「ああなりたい、こうなりたい」「こうしなければ、ああしなければ」と、良くも悪くも自分の中にたくさんの欲や義務感のようなものがありました。でも、病気になった時に、すでに自分が多くの物を持っていることに気づいたんです。

抗がん剤治療中や腸閉塞で苦しんでいた時は、食べたくても食べられない、排泄(はいせつ)もうまくできない、手術後はお風呂(ふろ)に入れない、抗がん剤治療中は寝返りを打つことすらできない——。今まで当たり前のようにできていたことが、実は当たり前ではなかったということを、身をもって知ることができたんです。考えてみれば、病気になるまでの私は、ほんとうの意味で人生を楽しんでいなかったような気がするんです。だから病気を乗り越えた今は、生きているだけで楽しいです。

講談にはさまざまな人間が登場します。登場人物の中には間違った選択をする人もいますが、どの物語でも、いつもさまざまな人間がみなそれぞれ一生懸命に生きています。

私は以前から、〝登場人物たちとして生きる〟ことを講談や声の演技の理想としていました。悪性リンパ腫という病気の経験を踏まえ、必死に生きている講談の登場人物たちを、より深く表現したいという気持ちが強まっています。