東京医療保健大学副学長 小西 敏郎さん
胃がん、前立腺がんと二度のがんを経験し、がん検診の大切さを実感しました
私は65歳まで消化器がん専門の外科医として、胃がんや食道がん、大腸がんなどの手術を執刀してきました。59歳の時に胃がん、62歳でがんが見つかりましたが、いずれも早期発見・早期治療によって根治しています。ありがたいことに、先日は家族にを祝ってもらいました。
私は石川県金沢市で、男4人、女1人の5人兄妹の三男として生まれました。両親は染物業を営んでおり、5人の子どもを育てるのに必死だったのでしょう。父親からは「私立大学は無理。大学に行きたいなら国立にしろ」といわれていました。
わが家の家系に医師は1人もいなかったのですが、4歳上の長男は、国立金沢大学の医学部に進んでいました。その影響を受けて医学部を目指し、一生懸命勉強して東京大学医学部に進学しました。ちなみに、弟は京都大学医学部に進み、5人兄妹のうち3人が医師になりました。
医学部を卒業すると、外科医の道を選びました。私は65歳まで現役の外科医でしたから、40年以上、患者さんの体や病気と向き合っていたことになります。
外科医というのは、患者さんの命を預かる仕事です。手術中はもちろん、手術の前や後も患者さんの状態に責任を持たなければなりません。
当時の写真やビデオを見ると、ずいぶん厳しい顔つきをしているなぁと感じます。現役時代はそれが当たり前だと思っていたのですが、外科医を引退して初めて、四六時中、緊張感にさらされていたことに気がつきました。
学会などでいろいろな診療科の医師の方とお会いしてみると、医師というのは専門によってタイプがまったく違うことに気づかされます。肝臓や食道、大腸といった消化器や心臓、脳の手術をする外科医は、見るからに体育会系でがっしりとした体格の人がほとんどです。その理由は、手術を行うためにはかなりの体力が必要だからです。
例えば、肝臓や食道の手術をする場合、6時間で終われば十分に早く、7〜8時間かかることも珍しくありません。難しい手術の場合は10時間以上に及ぶこともあります。途中で休憩を入れる方もいらっしゃいますが、私は休まずに最後まで執刀しました。手術の間は集中していますし緊張もしていますから、トイレに行きたいとさえも思わなくなるものなんです。
こうした生活を送っていると、自然と体力に自信を持つようになり、「病気になんてなるわけがない」という自負がありました。大学病院に勤務していた時期は非常に忙しく、患者さんには「がん検診を受けて早期発見をすることが大切ですよ」といいながら、自分ではほとんど検診を受けずにいました。
外科医として過酷な日々を過ごしている中、思いもよらぬ形で胃がんが見つかりました
49歳で関東逓信病院(現NTT東日本関東病院)に移りました。新しい勤務先では、年に一度の人間ドックが義務づけられていました。健診を受けないと仕事ができないというルールですから、「忙しいのにな」「時間がもったいない」と思いながら、毎年、人間ドックを受けるようになりました。
それまでは特に大きな異常はなかったのですが、59歳の1月に受けた胃カメラ検査で、初期の胃がんが見つかりました。大きさは4ミリでした。
検査中に胃カメラの画像を見ながら、「あれ? 去年はこんなものはなかったよな?」と異常に気づき、「がんだとしても、小さいから初期のものだろう」「手術を受けるとなると、いろんな予定を調整しないといけないな」と冷静に考えていました。
検査時に採取した生検の結果が出たのは、5日後のカンファレンス中のことでした。「カンファレンス中だというのに病理検査担当の先生が連絡をくれたのは、がん細胞が見つかったんだろう」と直感し、その予測は当たりました。
実はその当時、息子が大学受験を控えていたんです。彼が余計な心配をせずに試験に集中できるようにと思い、手術は大学入試センター試験が終わった翌日の月曜日に受けることにしました。
治療前日の夜に、センター試験を終えて帰宅した息子に、胃がんが見つかって手術を受けることを告白したところ、「内視鏡の手術ですむなら、よかったね」とあっさりいわれたんです。センター試験どころではないような、もっと大ごとになると思っていたので、拍子抜けしましたね(笑)。
大病を患い、自分が患者となった経験は医師としての大きな財産となりました
手術は無事に終わって術後の経過もよく、翌々日には病室から外来へ行き、患者さんの診察をしていました。患者として入院中の身ですが、医師の私がパジャマ姿でウロウロすると患者さんに心配をかけてしまいます。だから、病室を出てトイレや売店に行く時は白衣を着て、「患者でいるのは病室の中だけ」という感覚でした。
その3年後に、人間ドックでPSAが4.6であることが分かり、針生検を受けることになりました。診断は前立腺がんでした。非常に早い段階だったので、MRI(磁気共鳴画像法)やCT(コンピュータ断層撮影)による検査を受けても、画像上では分からないほどの大きさでした。
前立腺がんには、手術や放射線治療、薬物療法などいろいろな治療法があります。何人かの泌尿器科医に相談すると、それぞれが最適だと思う治療法を提案してくれました。最終的には勤務先の泌尿器科の部長に、「当院で、同じような状態の患者さんにしているのと同じ治療をしてください」と伝えると、手術でがんを切除することになりました。
ところが、その頃の私は非常に忙しく、すぐに手術を受ける時間的な余裕がありませんでした。そこで担当医に相談して、がんが大きくならないようにホルモン治療を受けながら、3ヵ月後に手術を受けることになりました。手術は成功したのですが、術後翌日に38℃台の高熱が出たのはつらかったですね。
私は外科医として、たくさんの手術をしてきた経験上、術後には患者さんが発熱することは分かっていました。だから、それまでずっと、「熱が出てつらい」と訴える患者さんに、「術後は皆さん熱が出るものです。問題ないですよ」と当然のこととしていっていました。
でも、今ではそんな言葉はなんの役にも立たないことが分かります。実際に自分が術後に発熱した際、つらさを訴えて処方された解熱剤を飲んだところ、体がすごくらくになったんですよね。それ以来、術後の患者さんには解熱剤を出すようになりました。
また、患者として病室で過ごすことで、医師の行動が今までとは違った側面から見られるようになりました。
例えば、外科医は朝、外来を始める前に必ず手術をした患者さんの様子を見に行きます。とはいえ、非常に忙しいので、顔だけ患者さんに向けながら、足は出入口に向いているんですよね。
病室で患者となってみると、私も同じような体勢を取っていたことに思い至りました。これは患者さんに失礼だと気づいてからは、足元からちゃんと向き合うようになりました。
このように、実際に自分が患者になったことで、それまで自覚できなかったことに意識を向けるようになりました。その経験は、医師としての大きな財産となりました。
私の場合、胃がんも前立腺がんも、手術でがんを取ってそれで終わりです。どちらのがんも非常に早い段階で見つかったので、その後の治療は必要ありませんでした。手術でほぼ根治できるという意味では、早期発見されたがんというのは非常にらくな病気といえるのかもしれません。
例えば、糖尿病を患うと、ずっとなんらかの治療を続けることになりますし、脊柱管狭窄症や帯状疱疹の場合なら、症状によっては生活の質(QOL)が大幅に低下してしまうこともあります。でも、初期のがんなら手術で取れば治療が終わり、それまでどおりの生活を送ることができるんです。
私が胃がんも前立腺がんも初期の段階で見つけることができたのは、毎年、職場で人間ドックを受けていたおかげです。もし、ずっと大学病院に勤務していたら、早期発見は難しかったかもしれません。
なぜかといえば、大学病院の勤務医や教授は、多忙なうえに自分の健康に根拠のない自信を持っていることが多く、あまりがん検診を受けないからです。
がんの早期発見を実現するには、いくつかの検査を組み合わせることが大切です。
まず、胃の内視鏡検査です。この検査では食道や十二指腸の入り口近くまで診ることができます。それから、肺を診るために胸部CT検査を受けます。私はこの時、膵臓まで映してもらうようにしています。さらに、超音波検査で肝臓、胆嚢、膵臓と腎臓の状態を診てもらいます。
私は毎年こうした検査を受け、さらに3年に一度は大腸内視鏡検査も受けるようにしています。この検査を受けるには、腸の中をきれいにする準備が必要で、それがちょっと大変なんですよね。でも、大腸がんはゆっくりと成長するがんなので、3年に一度の検査でも早期発見が可能だと考えています。
外科医を退いた後は、東京医療保健大学で副学長兼医療栄養学科の学科長を務めています。教育の現場には、医師とは違う難しさがあることを実感しています。
教育は手術のようにすぐ効果が出るわけではありません。私が所属する学科では管理栄養士の国家試験を受ける学生が多くいますが、試験に合格したからそれで終わりではないのです。大学で学んだことをその後の人生でどのように生かしていくのか——それを実感するには10年単位の時間を要するように思います。
教育の仕事ならではの大変な面も多々ありますが、それ以上に、医師とは違ったやりがいも実感しています。勉学だけではなく、生徒の成長していく姿を見るのも楽しみの一つなんです。
例えば、私が教鞭を執っている栄養学科の生徒も在籍している女子バスケットボール部は、全日本大学バスケットボール選手権大会(インカレ)で六連覇という偉業を成し遂げており、私もよく試合を観戦して楽しんでいます。
ちなみに、長年、女子バスケットボール部の監督を務めていた恩塚亨君は私の学科の部下でもあるんです。恩塚君は今年開催されたパリ五輪の女子バスケットボール日本代表のヘッドコーチを務めていたので、テレビの前で一生懸命に応援しました。
医師とはまた違う第二の人生を送ることができているのは、なによりも早い段階でがんを発見し、治療を受けることができたからです。自分自身の体験から、生涯のうちにがんを二つも三つも経験する人は決して珍しくない時代といえます。でも、早期発見・早期治療ができれば、がんは治る病気です。これからも元気な毎日を過ごせるよう、私は毎年、きちんとがん検診を受けていきます。