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〝バックギャモン〟という希望があったからこそ、子宮体がんの治療を乗り越えられました

患者さんインタビュー
バックギャモン世界チャンピオン 矢澤 亜希子さん

最初にバックギャモンの世界チャンピオンになったのは子宮体がんの治療の真っ最中でした

[やざわ・あきこ]——1980年、東京都生まれ。大学3年生のときから趣味としてバックギャモンを始め、卒業後は仕事でお金を貯めては競技会参加のために海外を転戦。30歳で仕事を辞めてプロ活動を開始。がん闘病中の2014年、世界大会で優勝を果たし、2018年8月に世界大会で2度目の優勝を成し遂げた。

バックギャモンというボードゲームをご存じでしょうか。日本では知名度が低いかもしれませんが、世界で最も遊戯人口の多いボードゲームで、その数は約3億人といわれています。世界最古のボードゲームの一種といわれ、起源は古代エジプトとも古代メソポタミアともいわれています。

私がバックギャモンと出合ったのも、2001年にエジプトを旅行していたときのことでした。地元の人たちがバックギャモンを楽しんでいるのを見て、興味を持ったんです。帰国後、バックギャモンを楽しむうちにプロの方々と知り合うようになり、いつしかヨーロッパやアメリカで開催される大会に参加するようになっていました。

主人と出会ったのも、バックギャモンがきっかけです。いくつもの大会で結果を残せるようになった私は、プロとして活動を開始し、2014年には日本人女性として初めての世界チャンピオンになることができました。しかし、当時の私は、まさに子宮体がんとの闘病の真っ最中だったんです。

もともと生理痛がひどかった私は、定期的に婦人科を受診し、痛み止めなどを処方してもらっていました。ところが、2008年ごろから、生理痛が以前にも増して悪化したんです。インターネットなどで調べて子宮がんではないかと考え、設備の整った総合病院を受診しました。

検査を受けた結果は、特に異常なしとのこと。先生からは「規則正しい生活を送るように」との言葉と、これまでと変わらない痛み止めが処方されただけでした。私はお酒もタバコもやりませんし、特に不摂生をしてきたとは思いません。なんともモヤモヤした気持ちで病院を後にしました。

診断を受けた後も、症状はさらに悪化していきました。特にひどかったのは貧血で、立ち上がるとめまいが起こることが日常茶飯事でした。

2012年には、定期的に検診を受けていた病院に通うこともできないまでに体調が悪化。なんとか行ける近所のクリニックを受診したところ、「すぐに精密検査を行ったほうがいい」といわれました。

検査を受けた結果、「子宮体がん」と診断されました。最初の検査では否定された病名だっただけに、ほんとうにショックを受けました。子宮体がんは、閉経後の女性が罹患しやすい特徴があるそうです。まれに若い人の発症もあるそうですが、その場合は肥満体型の人が多く、私のような細身で若い女性がなる例は数えるほどしかないそうです。最初に検査した先生は、がんの可能性さえ考えもしなかったのではないでしょうか。

子宮体がんは、Ⅲ期の中でも最も進行した「ⅢC2期」と判明し、担当の先生から「治療を受けなければ1年持たない」といわれました。リンパ節に6ヵ所もの転移が見つかり、手術は8時間にも及びました。おなかを30㌢開腹し、子宮だけでなく、卵巣、卵管、関連するリンパ節をすべて切除しました。

ベッドで泣きながら耐えるような痛みもバックギャモンがあったから乗り越えられました

手術後も、矢澤さんは病室でバックギャモンの研究をしていた

手術後は、抗がん剤治療を半年間受けました。副作用がつらく、特に初回はひどい激痛に苦しみました。画びょうで刺されるような痛みが続き、たまにナイフでグサッと刺されるような痛みが全身に広がりました。痛みは24時間治まることなく、ゆっくり眠ることもままなりません。強い痛み止めを飲んでも少し和らぐ程度で、ベッドで泣きながら痛みに耐えるしかありませんでした。

子宮やリンパ節を切除したことによる後遺症も術後からすぐ起こりました。特にひどかったのは、現在も続くホットフラッシュです。急に力を入れたり集中しすぎたりすると、顔や体のほてりや急な発汗・動悸などの症状が出て、しばらく具合が悪くなってしまうんです。

子宮体がんと診断されたときや、抗がん剤の治療中は、負の感情に取りつかれていました。特に眠れない日などは「手術がうまくいかないのではないか」「がんが再発するのではないか」と悪いことばかり考えてしまうようになりました。

私が手術や抗がん剤治療、手術後の後遺症、さらにそれらからくる負の感情を乗り越えられたのは、生きる目標があったからです。「希望」といえるかもしれません。私の希望こそ、バックギャモンだったんです。

バックギャモンは、サイコロの目で状況が変わり、一手ごとに最善を尽くすことはできるものの、次にどの目が出るかは分かりません。がんも同じで、「治るかどうか」「この先、自分の人生がどうなるか」はサイコロの目のように誰にも分かりません。つまり、いくら考えたところで、結果が出ない悩みなのです。いまできる最善を尽くすことが大切――そう考えるようになりました。

抗がん剤治療は投薬後の症状がほぼ同じなので、流れを理解することで心構えができるようになっていきました。ホットフラッシュは、どんな行動や思考をすると起こりやすいかがしだいに分かってきたため、しないように心がけています。ホットフラッシュは周りの人の影響によっても起こります。いつも気を遣ってくれている主人にはとても感謝しています。

がん治療の中で、「もしかしたら、来年の大会は出場できないかもしれない。無理をしてでも大会に出て、自分が生きてきた足跡を残したい」と思うようになりました。

手術から4ヵ月後、抗がん剤治療が続いているときでも、海外の大会に参加しました。決して褒められるような行為ではなく、医師や主人からは猛反対されました。それでも副作用の痛みに耐えながら海外の世界大会に臨み、世界チャンピオンになることができました。

病気の行く末よりも実現したい目標のことを考える日々を送ったほうがいいと思います

子宮体がんとの闘病中に世界大会に臨んだ矢澤さんは、日本人女性初の世界チャンピオンに輝いた

時間は誰にでも平等に過ぎていきます。結果の分からない病気の行く末を不安に思い、もんもんとした日々を送るよりも、大きくなくてもいいので実現したい目標を掲げ、充実した日々を送ったほうがいいと思うんです。目標を掲げると、ネガティブなことを考える暇もなくなるのではないでしょうか。

今年でちょうどがんの手術から5年が経過しました。もともと考えすぎる性格なので、病気のことを考えだすと塞ぎ込みそうで、5年間なるべく考えないようにしてきました。主治医の先生から「5年経過しましたね」といわれたときは、ようやくがんから解放された気持ちになりました。意識しないようにしていたのですが、ずっとがんの奴隷になっていたのだと思います。

今年8月に行われた世界選手権は、がんから独立した新しい人生の第一歩として、これまでとは違うすがすがしい気持ちで臨むことができました。今回の優勝は、5年間諦めずにがんばった自分へのご褒美だと思っています。

私のいまの第一の目標は、これまで1人しか実現したことのない3度目の世界チャンピオンになることです。また、私はバックギャモン以外でも新しいことに挑戦することが好きで、北極圏に行ってオーロラを観たり、スカイダイビングなどにチャレンジしたりしてきました。これからも変わらず、常に目標や希望を持ち、いろいろなことに挑戦していきたいと思います。