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がんをきっかけにシンガーソングライターとしてデビュー!

患者さんインタビュー

Satokoさん

子宮頸がんと白血病で苦しむ私を救ってくれたのは、宮古島の海から生まれた音楽でした

[さとこ]——大阪府生まれ。フリーランスの作曲家として活躍していた35歳のとき、子宮頸がんと慢性骨髄性白血病であることが判明。闘病中に生まれたオリジナル曲『宮古の風』でシンガーソングライターとしてデビュー。現在は全国各地で行うコンサートのほか、闘病中のがん患者さんやご家族、難病の子どもたちに笑顔と元気を届ける音楽活動を精力的に行っている。

皆さん! シンガーソングライターのSatoko(サトコ)です。大阪万博が開催された1970年に大阪府(さかい)市で生まれました。今年で50歳になります。

全国で行っているコンサートでは「(たましい)を揺さぶられるような歌」と褒めていただくことが少なくありません。私は自分の思いを()(なお)に歌にこめて表現しているだけなので、うれしい半面、恐縮してしまうような少し恥ずかしいような気持ちも湧いてきます。ただ、もし皆さんのお褒めの言葉がほんとうだとしたら、それは15年前に私の身に起こったある出来事がきっかけなのだと思います。

35歳のとき、自治体の健康診断を受けたら「要精密検査」という結果が出ました。近くの病院で検査を受けたところ、()(きゆう)(けい)がんと分かりました。ショックで言葉を失う中、担当の先生から「ステージはⅠAと早期です。レーザーで(びょう)(そう)部を取り切る(えん)(すい)(せつ)(じょ)(じゅつ)を受けるだけでいいですよ」といわれ、ほんの少しホッとしたのをいまでも覚えています。そろそろ赤ちゃんが欲しいと考えていた頃だったので、子宮を全摘しなくてすんだのは不幸中の幸いでした。

ところが、安心するのは早すぎました。手術前の検査で白血球の数が異常に多いことが判明し、白血病の疑いがあると指摘されたんです。大学病院で(こつ)(ずい)検査を受け、「病気ではありませんように」と祈るような気持ちで結果を待ちました。ところが、医師から告げられたのは、慢性骨髄性白血病という病名でした。

子宮頸がんだけでなく、さらに重い荷物を背負わされるなんて——同時に2つのがんに()(かん)していることが明らかになったとたん、視界が急激に狭くなっていきました。真正面しか見えず、黒いもやがかかったみたいになってしまったんです。

診察室で主治医の説明を聞いているときはまるでドラマのワンシーンのようで、どこか()()(ごと)じみた非現実的な感覚でした。でも、病院から帰宅する途中、孤立感が現実のものとなって襲いかかってきたんです。がんと告げられて不幸のどん底に突き落とされた自分と違って、周りの人が皆幸せそうに見えて羨ましくてたまりませんでした。それからは、幾日も幾日も買ったばかりのグランドピアノの前で涙をボロボロと流しつづけていました。

そんなある日、不安と恐怖で泣き暮らしていた私の(のう)()に、(みや)()(じま)のエメラルドグリーンのきれいな海が不意に浮かんできたんです。宮古島を初めて訪れたのは、自治体の健康診断の結果が出る少し前のことでした。宮古島への移住を検討しているという友人に誘われたのがきっかけでした。都会でしか生活したことがなかった私は、雄大な自然や人々のぬくもりをはじめ、宮古島の何もかもに心から感動を覚えました。

Satokoさんの闘病中に生まれたオリジナル曲『宮古の風』のCD

宮古島の思い出が脳裏に浮かぶのと同時に、ネガティブにしか物事を考えられなくなっていた私に変化が訪れました。「もう一度宮古島へ行ってきれいな海を見たい」——そんな願いが胸の中でどんどん膨らんでいったんです。私の頭の中では、がんへの不安と宮古島への憧れが格闘していました。相反する〝陰〟と〝陽〟の力がぶつかると、新たなエネルギーが生まれると聞いたことがあります。陰である女性と陽である男性が交わって赤ちゃんが生まれるように、私の中で生まれてきたのが音楽だったんです。

音楽は、私にとって人生のパートナーといえる存在です。幼い頃からピアノを習い、音楽大学に進学して作曲を勉強。卒業後はフリーランスの作曲家として活動していました。がんと分かってからはしばらく弾かずにいたピアノに指を載せて音を奏でたとき、私が感動した宮古島の光景が曲となり、詩となって頭に浮かびました。いつの間にか、私は泣きながら歌っていました。

歌が完成したのは、子宮頸がんの手術の直前でした。『宮古の風』という曲です。『宮古の風』ができてから、私は泣くことが少なくなりました。物事を前向きに捉えはじめたんです。

がん患者さんに元気になってほしいから、ギターを抱えてどこへでも出かけるんです

猛暑が続いた2005年8月、私は手術を受けました。夜になって麻酔から覚めると、病室の窓の外から(まつ)()(せい)()さんの透き通った歌声が流れてきました。病院のすぐそばでコンサートが行われていたんです。痛みと闘いながら彼女の歌声に耳を傾けていると、少しずつ元気が出てきて「歌にはすごいパワーがある」とあらためて気づきました。

ずっと音楽に携わる仕事をしてきましたが、人前で歌おうなんて思ってもみませんでした。裏方でひっそり働くことで満足していたんです。でも、がんになってから、それまでとは違った自分が飛び出してきました。私の中から生まれた『宮古の風』を私自身が歌うことで、私も周りの人も元気にすることができるとしたら……。私は、歌いたい。そう強く思い、居ても立ってもいられない気分でした。

手術できれいに取り除くことができた子宮頸がんのように、白血病も分子標的薬という抗がん剤を飲むことでコントロールできています。もうくよくよしないで、自分ができることを精いっぱいやろうと決意しました。

そんなとき、いっしょに宮古島へ行った友人が「『宮古の風』をCDにしたら?」とアドバイスしてくれました。画家の友人は念願だった宮古島への移住を実現し、ギャラリーをオープンする準備をしながら『宮古の風』のCDジャケットの絵を描いて送ってくれたんです。きれいな(ちょう)の舞う絵にはパワーがみなぎっていて、『奇跡を呼ぶ蝶』というタイトルが添えられていました。そして、2006年4月、友人の絵をジャケットにしたCDが完成。()しくも友人のギャラリーのオープンと同じ日です。

CDができてから、私は歌う場所を求めて(ほん)(そう)しました。最初に音楽活動の売り込みに行ったのは、私が服用している抗がん剤の製薬会社でした。広報の担当部署にいきなり電話をかけて「がん患者さんたちに勇気を贈りたいので歌わせてください」と熱く語ったんです。会いに行ったところ、窓口になってくれた担当者とすぐに意気投合。音楽活動の場を設けていただくことができました。ほかにも健康食品関係の会社の人など、さまざまな人たちが私を応援してくれました。声がかかれば、どこへでもギターを抱えて出かけます。後ろ向きの自分は、もうどこにもいませんでした。

音楽活動やたくさんの出会いを通して魂が揺さぶられるほどのパワーをもらっています

術後1年がたってから、ついに宮古島を再訪することができました。いちばん苦しかったとき、宮古島への思いから生まれた歌が私を救ってくれました。海に向かって、山に向かって、感謝の気持ちを抱きながら何度も何度も手を合わせました。

宮古島でパワースポットとして有名な巨岩の前に座っていたときのことです。ふと気づくと「これからは神様の仕事をします」という言葉が自然と口からこぼれてきたんです。空から降ってきたような、自分の意志を超えたところから発せられたような、何ともいえない不思議な感覚でした。そのとき、「神様の仕事をする」ということは「自分に正直に生きる」ということだと受け止めました。いまでも、私は神様が自分の中にいると信じています。

宮古島への再訪後、私は歌をコミュニケーションの手段にしようと決めました。CDを出したりコンサートを開催したりするだけでなく、歌を通じてできる活動はほかにもたくさんあるはずです。そう信じてアンテナを張り巡らせていると、活動の幅がどんどん広がっていきました。

私はいま、参加者が自分や家族の闘病体験などを共有するワークショップ形式のコンサートを開催したり、病院を訪ねて長期入院中の子どもたちの前で歌ったり、歌を教えてほしいと願う方にレッスンをしたりしています。レッスンでは、生徒さんといっしょに歌を作って年に1回発表会を開催しています。こうした1つひとつのご縁が、神様の仕事だと信じています。

手術から5年後、子宮頸がんが再発しましたが、不安はほとんどありませんでした。「自分にはまだまだやらなければならない神様の仕事がたくさんあるから大丈夫」という自信と確信があったからです。

音楽活動だけでなく、自転車にも熱中しているというSatokoさんは、本格的なレースにも参加している

実際、今日も私は元気いっぱい。音楽活動のほかにも、宮古島に定期的に通って雄大な自然からパワーをもらったり、自転車に()せられて本格的なレースに参加したり、足もみマッサージの施術をしたりして刺激を受けています。私の歌に「魂を揺さぶられる」と感じていただける方がいる一方で、私自身が歌だけでなく、さまざまな人や自然との出会いによって常に魂を揺さぶられながら毎日を過ごしているんです。

この15年間を振り返ってみると、たくさんの人に助けられ、支えられてここまでくることができたのだとしみじみ感じ、心からありがたいと思います。中でも力になってくれたのは、学生時代に出会ってからずっと私を見守りつづけてくれた私の夫です。どんなときでも慌てず騒がず、温かく寄り添いつづけてくれました。私がやりたいことをすべて認めて応援してくれる夫に、深い愛情と感謝の気持ちを抱いています。