365カレッジ リニューアルのお知らせ

母がいてくれたからこそ進行性の直腸がんを患っても平静でいられました

患者さんインタビュー

看護師養成所教員 堀口 京子さん

半年間続いた下血の原因が直腸がんと分かっても入院した母の心配ばかりしていました

[ほりぐち・きょうこ]——東京都生まれ。看護師養成所教員。40代半ばに一念発起し、猛勉強の末に看護師になる。58歳のとき、ステージⅢAの進行性の直腸がんと判明。切除手術と抗がん剤治療を受ける。

「異常なし」——ほっと胸をなでおろしたのは、直腸がんの手術を受けた2年目、2020年6月に受けた定期検査の結果を見たときのこと。すさまじい回復力で以前の健康を取り戻しつつある私ですが、がんになる前と後では精神的にはまったくの別人になったといっても過言ではありません。

看護師養成所の教員として働く私の体に初めに異変が起こったのは、2017年11月のことでした。大便をした後、トイレットペーパーに血がぽつんと付くようになったんです。ほんの少しだけでしたが、ほぼ毎日続きました。

当時、私は多忙を極めていました。夕方の6時頃に勤めを終えると、その足で入院中の母のお見舞いのために病院へ。その後、帰宅してからは興味のあった()やしや潜在意識、(めい)(そう)といったテーマで文筆に親しむ毎日だったんです。睡眠時間が減り、過労ぎみになっているという自覚はありました。体を酷使していたからこそ、血便のような症状が続いても、それほど驚かなかったのかもしれません。

とはいえ、半年間にわたって下血が続くと、さすがにただならぬものを感じました。知り合いの医師に相談したら「大きな病院で調べたほうがいい」とのこと。そこで、2018年のゴールデンウィーク間際に大学病院で精密検査を受けることにしました。検査結果は、ステージⅢAの進行性の直腸がん……。主治医から手術をすすめられ、私は何のためらいもなく「お願いします」と即答していました。

患者さんの中には、がんと宣告されて動揺し、治療法や余命について悩む方は少なくないといいます。医療従事者である私自身、がんがどれほどたいへんな病気かはよく知っているつもりです。ステージⅢAではリンパ節に転移があり、治療が難しくなるという知識もありました。

ところが、不思議なことに私の心はほとんど乱れることなく、冷静そのものでした。当時、冷静を保っていられたいちばんの理由は、私自身のこと以上に、入院中の母のことが気になってしかたなかったからです。母は心臓が悪くて寝たきりの状態でした。毎日病院へお見舞いに通っていましたが、特別なことをしていたわけではありません。来る日も来る日も面会時間が終了するまで、たわいもない世間話をしながらいっしょにテレビを見ていただけです。

それでも、母が入院するまでの11年間、母娘2人暮らしを続けていた私にとって、母といっしょに過ごすひとときは「あたりまえ」のことだったんです。病室のベッドサイドで「家にいるときと同じだなぁ」と思いながら座っていたのを覚えています。母が私に会うのを心待ちにしてくれていることも、手に取るように伝わってきました。

母の入院をきっかけに、母への愛情と感謝の気持ちがぐっと深まりました。自分のがんの手術が決まってからも、私は母のことばかり案じていました。「手術で入院している間に母の身に何かあったらどうしよう」という不安でいっぱいだったんです。そのおかげか、たくさんのがん患者さんが語る死の恐怖や不安はまったくといっていいほど感じませんでした。

手術前、京都市にある「がん封じ」で有名な平等寺へお参りに行った堀口さん

手術の前に、知り合いにすすめられて京都市にある(びょう)(どう)()へお参りに行きました。平等寺は「がん封じ」で有名なお寺です。私は「母とテレビを見る日常に戻るためなら何でもしよう」と心に決めていたんです。

切除手術を受けた後、主治医から3つの選択肢を提案されました。1つ目は、患部をすべて切除したので抗がん剤治療はしないという選択。2つ目は、内服薬のみでの抗がん剤治療。3つ目は、点滴と内服薬の両方による抗がん剤治療——私は迷いなく3つ目を選びました。副作用のつらさを理解したうえで、中でも最大限の効果が期待できる治療法を受けたかったんです。

覚悟はしていたものの、抗がん剤の副作用はたいへんでした。中でもつらかったのが、手のひらと足の裏の皮がむけてガサガサになり、手のしわや指紋がすべて消えてしまったことです。肌が薄くなって敏感になっているせいで、冷えたビール瓶を手にしたとたんにヤケドのような激痛が走りました。冷蔵庫からものを取り出すときは、軍手をしなければならないほどだったんです。生徒には抗がん剤治療を受けていることを打ち明けていなかったので、卒業式で卒業生と握手を交わした際に「先生の手、ガサガサで痛い」といわれたときはハッとしました。

抗がん剤の副作用で手のしわと指紋がなくなったとき、人生がリセットされて新しい自分に生まれ変わったように感じたと振り返る堀口さん

手のしわも指紋もなくなった手のひらというのは、なんだか奇妙なものです。じっと見ていると、手相がなくなって自分の人生がリセットされたような気持ちになります。当時の私は58歳。がんをきっかけに新しい自分に生まれ変わったような気がして、還暦を目前に「人生の棚卸し」をするチャンスだという希望が湧いてきました。

棚卸しの発想で「自分にとっていちばん大切なものは何か」と常に考えながら行動できるようになったのは、大きな変化でした。人間関係では、義理や惰性でつきあいを続けていた人たちと距離を置き、ほんとうに大切な人との関係を優先するようになりました。仕事では、周りの評価を気にするのをやめ、頭に浮かんだひらめきを温めて迷わず実行するようにしたんです。すると、毎日がとても楽しく、充実したものになりました。

私自身が納得できる時間を過ごせれば、いつ死んでも悔いは残らないはず。長いばかりがいい人生ではありません。大切なのは、「密度の濃い人生」をいかに過ごせるかだと信じています。

46歳でOLから看護師に!がんを経験して患者さんに深く寄り添えるようになりました

私が看護師養成所の教員といういまの仕事に就くまでには、少し変わったエピソードがあります。大学の文学部を卒業した私は、医療関係の仕事とは無縁の普通のOLでした。ところが、43歳のとき、看護師の資格を取得するのに年齢制限がないことを知り、看護師養成所の試験を受けることを決意。猛勉強の末に入学を果たしました。

看護師になったのは46歳のときです。その後、医療現場での就業経験を経て、看護師養成所で(きょう)(べん)を執るようになりました。

振り返ってみると、看護師を目指そうという思いが芽生えたタイミングは2回ありました。1回目は、(すい)(ぞう)がんで亡くなった父のお見舞いに行ったときです。父は他界する前、私に向かって「看護師になればいいのになぁ」とつぶやいたんです。父がどういうつもりだったのかは分かりません。それでも、父の言葉は私の耳の奥にずっと残っていました。

2回目は、人の心を癒やす仕事を始めたときです。36歳のとき、「オーラソーマ」というイギリスから伝わってきたカラーセラピーを習得しました。オーラソーマでは、お客様が選んだ色によって心理状態を分析して、悩みや迷いの解決を目指します。セラピーを行ううちに、「心だけでなく、肉体も癒やせたらいいのになぁ」と願うようになっていったんです。

OLから180度転身して医療に携わるようになった私ですが、患者さんの気持ちに深く寄り添えるようになったのは、がんになってからかもしれません。看護師は1日に何回も患者さんの採血をします。看護師にとっては日常茶飯事でも、採血される側にとっては苦痛にほかなりません。点滴を受けているときは緊張もしますし、ベッドに縛りつけられているようで憂うつです。がん患者になって初めて、「患者さんは我慢の連続だったんだ」と痛感しました。

がんの手術後は数ヵ月間にわたって急に便意をもよおして1日に何度もトイレへ駆け込まなくてはならない日が続き、仕事に出るどころではありませんでした。こうした不快さや不便さも、普通に生活していたら気づかないことばかり。みずから体験できた貴重な学びでした。

看取りをテーマにした映画から落ち着いて死と向き合うことの大切さに気づきました

以前、私自身がオーラソーマを受けたとき、セラピストから「お母さんが愛情をかけて育ててくれたからこそ、いまのあなたがあるんですよ」といわれたのをよく覚えています。入院した母に精いっぱい尽くしたいという思いの底には、この言葉が根づいていたのかもしれません。

母は、私のがんの手術から5ヵ月後に永眠しました。「母は私の闘病の苦しみを和らげるために、がんと診断される直前に入院したのではないか」「私の様子を見て『もう大丈夫』と安心できたからこそ、父のもとに旅立ったのではないか」とさえ考えてしまうくらい、最期まで愛情いっぱいの母でした。

母が亡くなった後、私はひどく落ち込みました。悲しみに暮れる私を救ってくれたのが、在宅での看取りをテーマにしたドキュメンタリー映画『いきたひ』。監督の()()(がわ)ひろ()さんが、(やまい)を受けてから旅立っていくまでの夫の姿を記録した作品です。この映画にみずからの闘病経験と母の死を重ね合わせた私は、落ち着いて死と向き合えるようになり、しだいに心の平静を取り戻していったんです。

映画の力に感銘を受けて、看護師養成所の講演会でも、長谷川監督の講話と映画の上映会を開催しました。臨床の現場に立ったとき、さまざまな形で人の死に直面することになる生徒たちに、死との向き合い方について真剣に考えてほしかったんです。がんや大切な人の死を通して、いまを精いっぱい生きることの尊さを真正面から受け止められたことで、私の人としての「厚み」も少しだけ増えたような気がしています。