泉水 繁幸さん
自分が「がん」という事実がどこか信じきれませんでした。信じたくなかったのだと思います
スキルス胃がん。2013年6月、私が48歳で宣告された病名です。ステージⅣで、すでに周辺臓器に転移が認められる状態でした。
最初に体調の異変に気づいたのは、2013年5月のこと。就寝していた深夜2時頃に強い腹痛を覚え、トイレに駆け込みました。排便後に便器をのぞいてみると、見たこともないほど一面真っ黒になっていたんです。
健康に対して意識が高いほうだと自負していた私は、当時からさまざまな健康法に取り組んでいました。そのため、真っ黒な大便を見ても「体の老廃物が排泄されたものだろう」と考え、これが体からの黄色信号とは思いもしませんでした。
3日後、同じ現象が起こりました。やはり深夜2時頃に腹痛を覚え、トイレに駆け込んだら最初のときと同じように再び黒い大便が出ました。さらに、このときは排便後に突然フワッと浮遊感を覚え、倒れ込んでしまったんです。
ぼんやりした意識の中、体の自由がきかない……。尋常ではない寒気に襲われて汗が止まらなくなり、すぐに強い脱水症状を自覚してパニックになりました。幸いにもポケットに携帯電話が入っていることに気づいて、トイレの中にもかかわらず妻に電話しました。妻に頼んだ水を飲んで毛布にくるまると、ようやく体調が落ち着きました。
朝を迎えて早速病院を受診し、翌日に内視鏡検査を受けることになりました。1週間後に一人で検査結果を聞くと、胃がんと告げられました。担当の先生は待ったなしの感じで「早急に手術が必要」といいましたが、病院を出ても私はしばらく現実を受け入れられませんでした。
家までの帰路、車のハンドルを握りながら手術のことや家族のことなどを考えていると、いつの間にか自宅を通り越して海に向かっていました。波打ち際でボーッとたたずんでいたときに東京湾の向こうに見えた富士山が、とても美しかったのを覚えています。深呼吸して家に帰りましたが、それでも家族には何も話せません。結局、家族に打ち明けることができたのは、検査結果を聞いてから2日後のことでした。
私はがんの治療として、手術や抗がん剤治療、放射線治療に頼りたくないと考えました。そこで、代替医療に詳しい知り合いの医師に治療法を相談すると、「泉水さん、これは切るしかないね」といわれたんです。
私はてっきり代替医療をすすめてくれるものだと思っていたので、理由を尋ねました。医師は「がんがスキルス胃がんで、スキルス胃がんは進行が非常に早く、手術で病巣を取り除くことが最優先だ」と説明してくれました。熟考の末、私は手術を受けることにしました。
入院当日は妻に病院に付き添ってもらいました。病室で荷物を整理してから、ロビーで妻と今後についての話をしました。この時点でも、まだ自分が「がん」であるという事実を信じきれませんでした。信じたくなかったのだと思います。
〝生きる〟という目標が明確になり、「絶対に7%に入ってやる」と考えることができたんです
後で知ったことですが、妻は私に心配をかけないように最大限の配慮をしてくれていたそうです。当時、二人の娘は、15歳と11歳。がんがどういうものなのかを、子どもながらに知っていました。妻と娘たちは私のいないところで、何度も相談を重ね、「まずは、手術の成功をみんなで祈ること」「パパの前では暗い表情を見せないこと」など、いろいろと取り決めていたそうです。このことを術後だいぶたってから知ったときには目頭が熱くなったものです。
入院して3日間の精密検査で、スキルス胃がんの診断が確定しました。そして、主治医の先生からは「胃の全摘出手術になる」と伝えられ、「状態によってはほかの部位も切除しなくてはならない場合もある」と説明を受けました。「全摘」「ほかの部位の切除の可能性」……。どれもすぐにはいきなり飲み込めない言葉ばかりでしたが、「これに承諾しないと手術はできない」という主治医の言葉で、完全に気持ちが吹っ切れました。清々しい気持ちで書類にサインをしたことを覚えています。
手術後の診察時に告げられた主治医からの言葉に、私は再び驚くことになりました。手術で摘出した胃を検査した結果、ステージⅣであると判明したのです。さらに「5年生存率は7%」と説明を受けました。このとき大きなショックを受けたのは事実ですが、不思議なくらい冷静な自分もいました。むしろ、〝生きる〟という目標が明確になり、「絶対に7%に入ってやる」と考えることができたんです。
手術後に主治医の先生からは抗がん剤治療をすすめられていましたが、私はこれを受けませんでした。たとえそれで延命できたとしても、寛解に至るとは思えなかったのがその理由です。退院すると、まず私は、今度はがんを治すための方法について調べはじめました。
抗がん剤について調べると、「細胞を殺すための薬」であることに行きつきました。がん細胞をやっつけるには有効な薬ですが、同時に正常な細胞にもダメージを与えてしまうものと私は認識しています。もちろん、全面的に否定しているわけではありません。抗がん剤治療を受けて元気になる人が多くいることも分かっています。ですが、私は考えに考えた末、抗がん剤治療を受けないことにしたのです。
私は、自分が信じて続けられる治療法を必死に模索しました。自分で知識を集めて行きついたのは、「がん細胞を好き勝手にさせないよう抑え込む」というとても単純なものでした。その方法は、「食生活の改善」と「メンタルトレーニング」の二つです。自分自身を心身ともに内面から強くして、がん細胞を抑え込もうと考えたのです。
実は、がんになるずいぶん前から、私は菜食主義の食生活を始めていました。以前は健康について気にする人間ではなかったのですが、ある菜食主義者の影響を受けて食の見直しをしたんです。すると、体重が減り、便通もよくなって「健康になった」という実感を得ることができました。
自分の食生活には絶対の自信を持っていたからこそ、胃がんを患ってしまったことはほんとうにショックでした。私の食生活の何が悪かったのか? あらためて食のあり方についての徹底的な見直しに取り組みました。
私が行っていた菜食主義の考え方では、動物性食品は厳禁ですが、植物性の食品であれば基本的に何を食べてもよいとされていました。それまでの私は、植物性の油を使用した揚げ物や野菜いためを食べることにはまったく抵抗がありませんでした。しかし、病気の人や体の弱い人には、消化のいいものがすすめられています。私は、酸化した油にがんの原因の一端があると考え、あれほど好きだった揚げ物をいっさい食べなくなりました。
さらにいろいろと調べてみると、「健康的な食事とは、菜食主義を基礎とした〈玄米+発酵食〉」という考え方にたどりつきました。この食生活は、いまも継続しています。
それから、安心・安全な野菜を手に入れる必要から、野菜の自家栽培を始めました。無農薬の野菜を手に入れるには手間がかかりますし、値段もやや高めです。そこで実家の両親の畑を間借りして、無農薬の野菜を自分で育てはじめました。
野菜作りはかなりの重労働ですが、なんといっても自分で育てた野菜には、農薬や添加物といったものがいっさい含まれていません。そして農作業で土に触れて季節を感じることが、人間の体も自然の一部であるということを自覚させてくれます。自然への感謝の念が、自家菜園をやめずに続けられている原動力です。
食生活の改善と並行して始めたのが、メンタルトレーニングです。「ストレスはがんの原因になる」と聞きます。とはいえ「すべてにポジティブであれ」というのは簡単ですが、実践するのは容易なことではありません。私には「5年生存率7%」という不安が常に襲ってきていました。
不安に襲われるたび、私は「生きる」という目標を強く心に思い出すようにしたのです。これを繰り返していると、少しずつがんに対する考え方が変わってきました。「自分ががんになったのは、何か意味があるのかもしれない」「がんに向き合うことが自分の人生の宿題なのかもしれない」。がんを体験することで、生き方、考え方を「前向き」に変えられるようになっていきました。
現在、手術から9年目を迎えています。定期的な検診を受けていますが、ありがたいことに異常が見つかったことは一度もありません。結果としていまもこうして生きていることを思えば、私が行った行動は、私にとってはベストなものだったと考えています。
諦めずに目標を持って生きることを心がければ、きっと前に進めるはずです
私が抗がん剤治療を受けなかったことに対して「医師から抗がん剤治療をすすめられなかったの?」「医師から怒られなかったの?」という質問を多く受けたとき、質問の意味がさっぱり分かりませんでした。質問する人の話をじっくり聞いてみると、彼らが「がんを治すのは自分でなくて医師」と考えていることが分かってきました。
一般的な治療の選択肢である抗がん剤治療は、有効な選択肢であることに間違いないでしょう。また、私自身が取り組んできた方法が、万人に効果があるわけではありません。大事なことは、「医師は自分ではない」ということ。自分の体調は自分がいちばん分かるはずなのです。私は基本的に、病は自分で治すものだと考えています。
私は「5年生存率7%」の壁を越えるため、自分の病気を自分なりに調べました。治療法も決して他人(医師)任せにせず、自分の考えで決めました。手術については、医師に相談したうえで、受けることを自分で決意しました。抗がん剤治療も自分で受けないと選択したのです。自分で納得した道を進んだことが、スキルス胃がん克服の大きな力になったと思っています。
現在、私は「自分の体験が少しでも参考になれば」という思いで、ラジオに出たり講演に赴いたり、さまざまな活動に参加させていただいています。ご縁があり、2021年には自分の経験や知識をまとめた書籍も出すこともできました。
私は生きるという目標を持ち、がんと命がけで対峙しました。さらに、自分で治療法を決めたことが、最後まで諦めないことにつながったのだと思っています。がんを告知されても、諦めずに目標を持って生きれば、きっと前に進めるはずです。