プレゼント

〝頭頸部がん〟の認知度を高めて、一人で悩んでいる患者さんたちの力になりたい

患者さんインタビュー

頭頸部がん患者友の会東京患者会代表理事 佐野 敏夫さん

「がん=死」と考えていた私。告知の際には絶望のどん底に落とされ、身辺整理をしました

[さの・としお]——1945年、旧満洲奉天生まれ。出版社に勤務し、編集・記者・広告営業職などを担当。48歳の時に独立して株式会社アドコムを設立。2006年、舌がんと判明し、2度の手術を受ける。口腔リハビリを受け、生活の質が改善。がんに関する情報収集の難しさを実感し、「頭頸部がん患者友の会」を設立。東京患者会代表理事として、積極的な活動を展開している。

私たちが「頭頸部(とうけいぶ)がん患者友の会」を設立してから6年になろうとしています。「頭頸部がん」とは、脳と脊髄(せきずい)、目を除き、頭から首までの範囲に発生するがんのことです。

頭頸部がんの一例を挙げると、耳の「聴器がん」、鼻の「(じょう)(がく)がん」、口の「口腔底(こうくうてい)がん」、のどの「咽頭(いんとう)がん」、「喉頭(こうとう)がん」、頸部の「(こう)(じょう)(せん)がん」、唾液腺(だえきせん)の「耳下腺(じかせん)がん」などがあります。私が発症したのは、「口腔がん」に分類される「(ぜつ)がん」です。

出版社で編集や広告などの部署で勤務した後、独立して広告代理店を立ち上げたのが1993年、48歳の時です。自分が経営者になりましたから、仕事に対しての打ち込み方は半端ではなく、全身全霊を傾けて働きました。私たちの業種には酒席が付きもので、「仕事だから」といっては銀座(ぎんざ)新橋(しんばし)といった繁華街に繰り出し、毎晩終電まで飲み歩いていました。こうした過度な飲酒も舌がんを招いた理由の一つかもしれません。

当時の私は身長176㌢に対して体重は110㌔と、かなりの肥満体でした。そのためひどい腰痛持ちになり、痛み止めを常用していました。とはいえ、体力はあり余っていたので、健康のために生活を改善しようという気はまったく起こりませんでした。

のどに違和感を覚えたのは、2006年、61歳の時です。最初は「風邪を引いて扁桃腺(へんとうせん)()れているのだろう」と、軽い気持ちでした。近所の内科で風邪薬を処方してもらいましたが、のどの違和感はいっこうに治まりません。そのうち、飲食のたびに口の中に染みるような痛みを感じるようになりました。それでも「これは口内炎ができちゃったかな」と思う程度でした。

もともと我慢強い性格なうえ、大の病院嫌いなので、会社員時代も人間ドックや健康診断はいっさい受けませんでした。のどの違和感と痛みを覚えた時も、腰痛で処方されていた痛み止めである程度は我慢できていたのです。ところが、1ヵ月たっても口の中の痛みは治まりません。さすがにおかしいと感じて耳鼻咽喉(いんこう)科を受診すると、担当の先生が驚いた様子で「これは大きな病院で検査を受けたほうがいい」というではありませんか。

慌てて総合病院で精密検査を受けると、ステージⅣの舌がんと診断されました。すでにがんは大豆ほどの大きさにまでなっていたのです。

頭頸部がん患者友の会東京患者会代表理事の佐野さんは(左端)、さまざまな活動に取り組んでいる

当時の私は、がんという病気について深い知識を持っていませんでした。単純に「がん=死」としか考えられず、先生から告知された時は絶望のどん底にたたき落されました。「経営してきた会社をどうする?」「家族の将来は?」と、突然襲いかかってきた問題に直面しながら、周囲にはがんであることを隠したまま身辺整理を始めました。私はこの時、生まれて初めて死と向き合った気がします。

放射線治療が始まると、口の中が口内炎だらけになりました。食事はおろか、唾を飲み込むのもつらいほど。口の中が常にやけどをしているような状態でしたから、いつも氷や氷菓子を口に含んでいました。

放射線治療は35回を予定していました。20回目の治療が終わると、舌がんはきれいに見えなくなっていました。私は「手術はしなくてすむかもしれない」とひそかに希望を持ったのですが、CT(コンピューター断層撮影)検査の結果、がんは根が深く、先生から「どうしても手術する必要があります」といわれました。

手術は、右耳下の頸部を「コの字型」に切ってがんを摘出する方法でした。切除した舌の部分に、自分の左腕の動脈や皮膚を移植するという大手術でした。手術の時間は20時間に及び、入院期間は4ヵ月でした。放射線治療も続けていましたから口のやけど状態が続いて食欲が湧かず、体重は40㌔も落ちました。

退院後は順調に回復していると思っていたのですが、手術から1年もたたない2007年9月に、元々の自分の舌と移植した舌の境界部にがんが見つかりました。先生に「これは取り残しですか? それとも再発ですか?」と尋ねましたが、「なんともいえません」という回答でした。

有益な情報を入手できるかどうかで術後の生活の質が大きく変わることを知りました

放射線治療は、被ばくの影響から治療回数の上限が定められています。すでに上限に達していた私には、再び手術を受ける以外に治療の選択肢はありませんでした。11月に行われた再手術は、舌の4分の3を切除し、今度は腹部の皮膚を舌に移植しました。手術に要した時間は20時間。幸いにも手術は成功し、年末には退院して年明けから毎日出社できるほどまで回復しました。ただ、ここからが私にとって大きな試練となりました。

唾液が出なくなったために、固形物を食べることができなくなってしまったのです。1回目の手術後は、柔らかい刺身やうどん程度なら食べられたのですが、2回目の手術後は柔らかいものすら食べられませんでした。流動食以外は食べられないので、外食はまったくできません。毎晩のようにしていた会食は、いっさいできなくなりました。

舌を切除したので、話すこともままならくなりました。私の仕事は人と会って話をすることですから、術後はメモ帳持参で筆談を交えるなど、自分なりに試行錯誤を重ねました。問題は電話です。話したことが伝わらず、何度も聞き返された時は自尊心が傷つけられましたね。それでも、会話が好きな私は、「リハビリ」と称して毎日人に会い、話をすることを心がけました。リハビリ目的ではありましたが、「これまでと同じ生活を取り戻したい」という気持ちが大きかったように思います。

唾液が出ないので、常に口の中がカラカラに乾くことも悩みの種でした。口の乾燥は、やがて痛みを引き起こします。今でも就眠してから1時間半おきに目が覚めてしまい、熟睡どころではありません。口の中は、常にエグみを感じる状態です。それをごまかすためにあめをなめたり、ジュースを飲んだりしていたのですが、殺菌作用を持っている唾液が出ないために、虫歯ができやすくなったのです。

口の中の乾燥と痛みの悩みに対して、かかっていた病院では大きな助けをもらえませんでした。病院で治療を受ける目的は、舌がんを取り除いてもらうことだったので、満足のいく治療を受けられましたが、治療後の生活すべてを頼るのは難しいことだったようです。自分なりに悩みの解決に取り組んでみましたが、簡単な話ではありません。

舌がんと診断された佐野さんは、2度の手術を乗り越えた

頭頸部がんは、胃がんや大腸がん、肺がんなどに比べて発生頻度が少なく、すべてのがんの5%程度とされています。ですから舌がんの患者数そのものが少なく、予後の情報を集めること自体が難しいのです。「ほかの舌がんの患者さんはどうやって生活しているのか?」「生活の質(QOL)をより高める方法はないのか?」——日々悩みながら、自分はどうすればいいのか分からない状態が続きました。

生活の質が大きく向上したきっかけは、虫歯の治療である歯科医院を受診したことでした。舌を切除している経緯と悩みを先生に説明すると、口腔外科を紹介してくれたのです。

口腔外科を受診すると、初めて口腔リハビリの存在を知り、飲み込みや滑舌を補助するマウスピースを作ってもらうことになりました。実際にマウスピースを装着してみると、食べ物をのどの奥に送りやすくなり、話す時も空気が漏れにくくなりました。ほかにも人工唾液や口腔ジェルの存在を教えてもらい、一時的とはいえ口腔内の乾燥を改善することができるようになったのです。

その時の私の正直な心境は、劇的な生活の質の向上を喜ぶよりも、「どうしてもっと早くこのような情報を知ることができなかったのだろう」というものでした。がん患者は、有益な情報が入手できるかどうかで、術後の生活の質が大きく変わることを、身をもって知ったのです。

そこで、口腔リハビリがご縁で知り合った日本歯科大学附属病院の西脇恵子(にしわきけいこ)先生に頭頸部がんの患者会について尋ねてみたのですが、残念ながら東京にはないとのことでした。ここで私は、一つの考えに行きつきました。「患者会がないのなら、自分でつくろう」と。西脇先生も背中を押してくださり、頭頸部がんの患者さん向けの情報発信や交流に向けた活動をスタートすることになりました。これが、「頭頸部がん患者友の会」発足の経緯です。

言語聴覚士などが同席する定例会で、よりよく生きるための情報を提供し合っています

頭頸部がん患者友の会は、頭頸部がんの患者やその家族が、安心して自分の悩みや不安を語り合える場を提供するために立ち上げました。患者さんどうし、お互いが持っている情報を交換することで、お互いのQOLを高め、よりよく生きていける一助にしてもらえたらと思っています。

頭頸部がん患者友の会の定例会で患者さんと交流する佐野さん

定例会は、新型コロナウイルス感染症が流行する前は日本歯科大学附属病院の会議室で開催していましたが、現在はオンライン形式で定期的に開催しています。そのほか、電話やメールでの個別相談も行っています。がん患者さんは、同じがんでも進行度や治療法によって体調や心境が異なります。定例会には言語聴覚士などの医療従事者が同席していますから、患者さんたちに、リハビリの方法や日常のケアを個別にアドバイスできます。

最近は「がんは治る病気」といわれることが多くなりました。多くの患者さんと触れ合う中で、私もそれが事実であると強く実感しています。とはいえ、まだ患者さんへのサポートが行き届いていない面があることも事実です。

電話やメールで届く患者さんからのお話を伺うと、一人ですべてを抱え込み、精神的に追い詰められている人が少なくないと感じます。同じ病気を患っている人と話をするだけで涙を流す方もいらっしゃいます。私たちの患者会には、がん患者としての先輩がたくさんいます。いま苦しんで不安を抱えている方こそ、私たちに連絡をしてほしいと思います。

今年、私は尿管がんと診断されて手術を受けました。しかし、前を向いて乗り越えていくつもりです。再びがんになりましたが、いまでも現役で働いています。仕事への情熱が私を支えてくれる理由だと思います。

せっかくの人生です。がんと闘うためだけに生きるのはもったいない。「私たちと一緒に、人生を主体的に生きてみませんか?」とお伝えしたいです。

頭頸部がん患者友の会の連絡先は、
〒108-0073 東京都港区三田2-14-19-1202 ☎03-6222-8900 ✉info@han-canser.comです。