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生きている証と感謝の心を感じながらホノルルマラソン完走!

杉浦貴之の「治す力は自分の中にある!」
シンガーソングライター、『メッセンジャー』編集長 杉浦 貴之さん

[すぎうら・たかゆき]——1971年、愛知県生まれ。28歳のときに腎臓がんを発症し、両親には余命半年、2年後の生存率0%と告げられ手術を受ける。以後、『メッセンジャー』編集長兼シンガーソングランナーとして精力的に活動中!

1999年、私は進行性の腎臓がんにかかり、両親には「余命半年、2年後に生きている可能性は0%」と伝えられました。

病床で「もう一度、ホノルルマラソンに出たい!」と強く願い、その夢を持ちつづけたものの、なかなか実現しませんでした。ずっと自分のことを〝病人〟として扱っていた私は、「まだまだ無理!」と、毎年、ホノルルマラソンを見送っていたのです。そんな中、運命の出会いをした恩人のひと言で私は変わりました。

「いつ行くの? いまでしょ!」

ついに私は〝病人〟の殻を破り、一歩を踏み出したのです。初めは1㌔走っただけで息が切れ、足がフラフラになりました。しかし、毎日100㍍ずつ距離を延ばし、3ヵ月後には10㌔走れるようになっていました。

2005年12月11日、がんの手術から6年後。ついに私は、ホノルルマラソンの舞台に立っていました。

まだ日も昇らない早朝5時、スタートの号砲が花火とともに鳴らされ、約3万人のランナーが一斉にスタートを切りました。スタートゲートの〝スタート〟と大きく書かれた文字が「よくここまでたどり着いたね。おめでとう!」といってくれているようで、スタート時点ですでに涙がこみあげていました。

クリスマスのイルミネーションに彩られた街の景色、ランナーたちのワクワク・ドキドキ感に包まれた独特の熱気。私は確かにこの場所に戻ってきたのです。

早朝だというのに沿道にはたくさんの観客が並び、大きな声援をくれます。私は笑顔で応え、ときにはハイタッチしながら走っていく。ダイヤモンド・ヘッドを越え、下りに差しかかったとき、朝日が昇ってきました。暖かい太陽が、空をゆっくりと赤く染めていく。たまらなくきれいだ。そんな情景とあいまって、心にいろいろな感情が湧き上がってきました。

無情ながん告知に死を覚悟し、絶望に打ちひしがれた日々もありました。もうダメだと思ったときもありました。しかしいま、私は再びホノルルマラソンを走っているのです。

「夢を諦めなくてほんとうによかった。ほおをなでる風、したたり落ちる汗、足の痛みも、少し乱れた呼吸も、すべてが生きている証なんだ。生きていることがうれしくてたまらない!」

泣いて、泣いて、走りながら泣きじゃくりました。くしゃくしゃにくずれた顔を見せたくなかったので、汗を拭くふりをして、手で顔を覆いながら走りました。

そして、自然と感謝の気持ちが湧いてきました。両親、家族、親戚、友人、私を支えてくれているたくさんの人々、これまで出会ってきた人々、それぞれの顔を思い浮かべては「ありがとう、ありがとう」と伝えながら走りつづけました。

楽しくて、うれしくて、感謝しながら走っていたら、一度も歩くことなく、あっという間にゴールを迎えてしまいました。タイムは5時間28分。泣いたり、笑ったりしながら走りつづけた42.195㌔。

日本に帰ってくると、口々にいわれました。

「杉浦さん、ほんとうに元気になったね! 顔色がホノルルに行く前と全然違うよ! なんでそんなに走れるほど元気になったの?」

私はこう答えていました。

「いや~、走れるほど元気になったんじゃなくて、走ったから元気になったんですよ」

杉浦貴之 | 「命はやわじゃない」、がん・余命半年から19年を経過し、ますます元気になった男が伝えるメッセージ
杉浦貴之「がん余命半年から16年目を迎えて」 マガジンと歌とRUNで伝える「命のメッセンジャー」
この記事は「健康365」2018年10月号に掲載されています。