琵琶職人(選定保存技術保持者) 石田 不識さん
2006年に琵琶製作・修理の人間国宝に選ばれ、琵琶職人歴が53年になる四世石田不識さん。東大寺正倉院の宝物で、世界で唯一現存する五弦琵琶「螺鈿紫檀五弦琵琶」の複製を完成させたり、琵琶楽コンクールの優勝者に琵琶を贈呈したりするなど、琵琶業界の振興に尽力されています。生涯現役を掲げるエネルギッシュな石田さんに、元気の秘訣をお聞きしました!
都心の虎ノ門にビワ畑があると思ったら大きな間違いだったんです
琵琶職人として53年目を迎えましたが、これからも生涯現役で琵琶を作りつづけていきます——。今でこそそんなことをいっていますが、もし私が長男に生まれていたら現在の自分はいなかったかもしれません。
私は青森県八戸市の出身で、4人兄弟の次男坊です。当時の田舎では当たり前なのですが、長男は家を継ぐために大切に育てられ、次男以下は長男のサポートをするか、家を出るしかありませんでした。次男坊であった私も例外ではなく、中学を卒業してから1年間遊びながら進路をどうすればいいか考えました。
なんにせよ、まずは手に職をつけたほうがいいと思い、16歳の時に神社やお寺の建築・修繕をする宮大工を目指すことにしました。現場で作業しながら親方の技を盗んだり、木材や技法を勉強したりする日々を2年間ほど続けるうち、親方が冬の間だけ東京に出稼ぎに出るという話を聞き、同行させてもらうことにしたんです。
そのことがきっかけで東京に居を移すことになり、親方のツテで新たな務め先を紹介してもらい、東京を拠点にして宮大工をすることになりました。ただ、実際は頻繁に神社の仕事があるわけではなく、いわゆる普通の大工として家を建てていたのですが、世間ではちょうどその頃に高度経済成長が始まり、木造建築ではない、鉄筋コンクリート造の家がどんどん増えてきていました。
このままでは大工の仕事が減ってしまう……。そう考えていた時に、ふと「ブラジルに行くのはどうだろうか⁉」と思いつきました。日本からの移民もたくさんいることだし、きっとブラジルなら木造建築ばかりで、宮大工としての腕を大いに生かすことができるんじゃないかという気がしたんです。早速、宮大工仲間と一緒にブラジル渡航の手続きをしようと役所に話を聞いたら、想像以上に必要な書類が山のようにあることが分かり、めんどうくさくなって断念したのは、いい思い出です(笑)。
琵琶職人になるきっかけは、婿養子に入ったからです。妻と出会った時に実家の仕事を尋ねたら、「ビワを作っている」というではありませんか。彼女の実家が東京のど真ん中の虎ノ門にあることは知っていたので、その時はのんきにも「都心にもビワ畑があるんだなぁ」と思っていたのですが、よく聞いてみたら、果物の枇杷ではなく、楽器の琵琶だったんです。
結婚して婿養子に入ってからは、宮大工として働きながら、副業のような感覚で、琵琶の糸巻など、細かい部品を見よう見まねで作っていました。ところが、1970年、妻の父である三代目が急逝してしまったんです。そうすると三代目のお得意様や琵琶奏者の師匠たちから、新規の琵琶や修理などの依頼がたくさん寄せられてきて……。33歳で四代目を継ぐことになりました。
もちろん私としては、まさに青天の霹靂。正直、自分が四代目を継ぐなんてことは想像もしていなかったので、三代目から琵琶作りのイロハも教わっていません。「試行錯誤しながら、知恵と経験を積み重ねるしかない」と覚悟を決めました。〝石田不識〟の名に恥じないよう、半端な琵琶は作れないと心に誓ったんです。
琵琶作りをしていて理想の音がなかなか出なくて苦労しました
もともと宮大工としての技術は磨いていたので、琵琶の形を作るのはさほど難しくはありませんでした。でも、きれいな形を作れても、理想の音が出ないという大きな壁が立ちはだかりました。それまでは楽器としての琵琶というものをほぼ知らなかったわけで、琵琶の先生に音を教えてもらったり、演奏会に足しげく通ったりしました。そして、3年ほど勉強してようやく「大切なことは琵琶の音と演奏者の声とのバランスだ」と気づいたんです。
例えば、演奏者が男性の場合、語りの声が低いので、張りのある低音がよく響くように表板の厚さをやや薄く削り、裏板の彫り方も工夫します。一方、女性の演奏者は声が高いので、高音の響きが優しくきれいに出るように、表板と裏板の厚さのバランスを調整します。今では、お得意様や師匠の琵琶を製作する際には、それぞれ奏者の声に合った音の琵琶を作ることに心血を注いでいます。
琵琶は種類によっても音が異なります。私が得意としているのは薩摩琵琶です。そもそも琵琶の種類は、薩摩・平家・筑前・雅楽と四つに大別され、それぞれが異なる特徴を有しています。
琵琶職人に求められるのは、まず琵琶の種類に応じた音色を出す材料の見極めです。素材となる桑の木は、最低8~10年は自然乾燥させて十分に枯れきったものを使いますが、すべてが使えるという保証はありません。木材の買い付けに伊豆七島の御蔵島まで出向いて、必ず自分の目で確かめるのですが、購入した木材のほとんどが使い物にならなかったこともありました。
琵琶作りをしていて思うのは、木は生きているということです。一般的な琵琶を一つ作るのには2週間ほどあれば十分ですが、仕上げに漆を塗る場合があります。漆を塗ると見た目は艶が出て美しくなるものの、どうしても人工的な音になってしまいます。これは木が本来持っている響きがうまく出ないことが原因だと私は考えていて、理想をいえば、いったん作ってから2~3年たった後に漆を塗るとその木材の特長を生かした響きが出るようになります。
もちろん、木材の乾燥方法によっても琵琶の音は変わってきます。昔ながらの自然乾燥は時間が非常にかかるのですが、それぞれの木材が秘めている違いが立ち上がり、音に深みが出るようになります。今では機械乾燥された木材を使うこともあるのですが、そうすると、どうしても音が似たり寄ったりな感じになってしまう……。木材として早く使えることは非常に便利なのですが、木材を機械乾燥してしまうと、琵琶の音の多様性が失われるようで少し寂しい気もしますね。
琵琶職人として、いずれは螺鈿紫檀五弦琵琶を作ってみたいと思っていました。奈良時代の聖武天皇の遺愛の品として、東大寺正倉院の宝物を代表する五弦琵琶ですが、本体には東南アジア産の高級木材「紫檀」が使われ、ヤコウガイの貝飾りやべっ甲、琥珀できらびやかに装飾されています。
宝物の音を知りたくて10年の歳月と多額の製作費を費やしました
2010年に奈良国立博物館で開催された正倉院展で実物を見た時、思わず「どんな音がするのだろう」と興味津々でした。展示コーナーではスピーカーから琵琶の音が流れていたので、職員に「この音は五弦琵琶ですか?」と尋ねましたが、「分からない」とのこと。続けて、「五弦琵琶の調音方法の文献が存在しないので、誰も正しい音を聞いたことがない」とも……。この言葉に、琵琶職人としての魂に火がつけられました。五弦琵琶の音を知るため、一念発起して再現に取りかかったのです。
息子の克佳の手を借りて、まずは国立国会図書館などで螺鈿紫檀五弦琵琶の寸法や装飾を知るための資料を収集しました。次に、できる限り本物と同じ素材を調達。ただ、現在では入手困難な紫檀やヤコウガイは別の物で代用するほかありませんでしたが……。
特に苦労したのが、数百枚にも及ぶ螺鈿細工です。琵琶本体に貼りつける貝殻の厚さはわずか1㍉程度で、作業中に割れてしまったことは数えきれません。しかも、貝殻は向きによって光の反射が異なります。本物のようなきらびやかな雰囲気を追求するため、作業を一からやり直したこともありました。
最終的に完成するまで、10年の歳月と1000万円近くの製作費がかかりましたが、琵琶職人として大きな仕事をやり切ったという、得難い達成感に満たされましたね。
螺鈿紫檀五弦琵琶の複製は二面(個)作り、一面は、より多くの人にその美しさを目で楽しんでもらうことはもちろん楽器としても演奏されてその音を楽しんでもらうことを願って、宮内庁に寄贈しました。ただし、いまだに調音方法は分かっておらず、五弦琵琶の楽譜が現存しないので、正しい演奏ができないままなんです。せっかく復元させた螺鈿紫檀五弦琵琶の音を楽しんでもらえていないことだけは心残りに思っています。
2006年に、琵琶製作・修理の分野で選定保存技術保持者(人間国宝)に認定されました。これまで1000面以上の琵琶を作ってきましたが、納得のいくものが作れたことはありません。どんなにいい琵琶が作れたと思っても、どこかに必ず改善点が見つかるんです。「次はどうすればよくなるだろうか」と考え、次の製作に取り組みつづけていたら、あっという間に53年の歳月が流れていました。
今までに大病を患ったことはありません。毎日の習慣で欠かさないのは、朝の散歩です。夜の9時頃に寝て朝3時には目が覚めるのですが、外がうす暗い中を散歩するんです。途中で、散歩仲間とよく会う橋の周辺で30分ほど体操をしたり、公園のつり輪で懸垂をしたりして積極的に体を動かすようにしています。なんだかんだ運動していたらあっという間に3時間ほどたってしまい、帰宅する頃には6時になっています。
日課の散歩以外には、当たり前のことですが、「よく運動して、よく寝て、よく食べる」が健康の秘訣でしょうか。もともと食べ物に好き嫌いはなく、食欲が衰えるようなこともありません。あとは、なんでもいいので目標があると活力が出ると思いますね。私の場合は「いい琵琶を作ること」が目標ですが、おそらく完璧な琵琶を作ることは一生達成できないでしょう。でも、私には琵琶作りがあるからこそ、85歳になっても元気なのかもしれません。
人生の新たな目標としては、螺鈿紫檀五弦琵琶のデザインを踏襲した平家琵琶を作ることです。螺鈿紫檀五弦琵琶の欠点は、音が小さいこと。これを、平らで響きのある平家琵琶の形で作れば補えると考えています。宝物の美しさと現代の技術を組みわせる〝温故知新〟の発想で作れば、見た目も音も満足のいく琵琶が作れるはずなんです。製作にはおそらく4年くらいかかるので、その頃には90歳になっていることでしょう。琵琶職人として最後の大仕事になるかもしれませんが、なんとしても作り上げたいと考えています。
琵琶業界の振興に協力できればと思って琵琶を贈呈しています
琵琶の演奏者や職人は年々減少傾向にありますが、琵琶業界を盛り上げる取り組みの一つとして、日本琵琶楽協会主催の「琵琶楽コンクール」があります。こうした若手の琵琶奏者が切磋琢磨できるすばらしい環境は、琵琶業界の振興に欠かせません。琵琶職人として少しでも協力できればと、毎年優勝者には私が作った琵琶を贈呈しています。以前、私が贈呈した琵琶がコンクールで演奏されているのに出合った時には、あらためて楽器を使ってもらえる喜びを覚えました。
息子の克佳は琵琶職人として腕を磨きながら、琵琶奏者としても活躍しています。今では、私が作る琵琶よりも、美しい音色を響かせる琵琶を作るんです。息子の琵琶がより多くの人に使ってもらえるように、琵琶業界が盛り上がるとうれしいですね。
人生の新たな目標というものは、何歳になっても設定できると思います。自分が目標に向かって行動することで、自然と活力がみなぎってくるはずです。ささやかでもいいので、目標を立ててみると人生に張りが出ることでしょう。