プレゼント

僕を育ててくれた体操に恩返しするため挑戦しつづけていきます

私の元気の秘訣
タレント 森末 慎二さん

1984年のロサンゼルスオリンピック・体操競技で初出場ながら金・銀・銅のメダルを手にした森末慎二さん。オリンピック後、すぐに芸能界に飛び込み、スポーツキャスター、タレントとして活躍しています。さまざまな分野に挑戦しつづける理由を伺いました。

目立ちたいと思って始めた鉄棒で3種のメダルを手にしました

ロサンゼルス五輪で団体の銅、跳馬の銀、鉄棒では満点を出して金を獲得し、3色のメダルを手にしている

僕が鉄棒に夢中になったのは、小学生のころです。きっかけはテレビで見た体操の大会です。鉄棒にぶら下がり、ぐるんぐるんと何回転もする選手を見て、楽しそうだと思ったんです。「鉄棒の大技、大車輪ができれば学校で目立つぞ」と思い、ほとんど毎日、校庭の鉄棒で大車輪をするようになりました。

勉強はからっきしでしたが、足が速くてジャンプ力もあり、運動神経は抜群でした。鉄棒はあきることなく続け、大車輪だけでなくほかの技も独学で習得していきました。小学校を卒業する前には、鉄棒から手を離して宙返りし、着地することもできるようになっていました。

競技として本格的な体操に取り組むようになったのは、高校生になってからです。1年のうち364日は練習に参加し、体操漬けの毎日でした。練習がつらいときもありましたが、大好きな鉄棒を存分にできましたし、いっしょに励む仲間もいる。毎日が楽しく充実していました。

高校時代は鉄棒で2年連続日本一となったものの、日本体育大学に入ってから挫折を味わいました。競技のレベルが急に上がったこともありましたが、3~4年生のときに左右のアキレス腱を続けて断裂し、練習にも大会にも思ったように臨めなかったのです。

当時はひどく落ち込みましたが、基本的には前向きでした。ケガを負った状態でもできることはあるはずと考え、可能な練習に取り組んだのです。筋力トレーニングを行って基礎体力をつけ、苦手だったあん馬の練習にも注力しました。

大学卒業後は、日本一に何度も輝いている社会人チームに入ることができました。大学時代に基礎トレーニングに励んだ成果もあり、トップチームの中でもまれているうちに、日本代表にも選出。24歳で、初めて「JAPAN」のロゴと日の丸のワッペンがはられたジャージを手にしたときの感動は、いまでも鮮明に覚えています。

1984年のロサンゼルス五輪で金・銀・銅のメダルを獲得できたのは、僕の実力というよりも、運やツキが味方したように思います。時代の流れや風が僕の味方になってくれたんです。

日本がモスクワ五輪への参加を辞退したことで、ライバルのトップ選手がこぞって引退していましたし、採点基準が変わったことも大きかった。ひざは曲げてもよくなり、着地時に脚が開いても減点されなくなりました。つり輪は僕の苦手な力技ではなく、振りを大きくするといったスイング系の技が評価されるように変わりました。極めつけは東欧諸国の辞退です。社会の大きな流れに乗れたおかげで、僕は初参加のオリンピックで金・銀・銅の3つのメダルを獲得できました。

還暦を迎え、仲間とゆっくり過ごす時間を大切にしています

平行棒の技の1つ「モリスエ」は、森末さんが最初に披露して定着した技

メダルを取ることがゴールだったので、僕の中で体操は過去のものになりました。次の楽しいことに挑戦したいと考えて、すぐに引退しました。

体操のコーチという道もありましたが、思い切って芸能界に飛び込みました。この選択は大正解だったと思っています。とにかく仕事を楽しくこなせたんです。自分のやりたい、興味のあることを行って、視聴者に届けることが仕事です。目立ちたがり屋の僕にとって、芸能界の仕事は天職でした。

ゴルフ、空手などのスポーツのほか、落語にも取り組みました。落語は会話術を高めるために始めたんです。プロの落語家から指導を受けることができ、寄席にまで出演する機会をいただくという、貴重な経験をさせていただいています。

芸能人として忙しく過ごす一方で、僕を育ててくれた体操に恩返しをしたい、という想いもありました。僕は体操の漫画を作るのがおもしろいのではないかと思ったんです。

[もりすえ・しんじ]——1957年、岡山県生まれ。 1984年、ロサンゼルス五輪の体操競技において、鉄棒で金、跳馬で銀、団体で銅メダルを獲得。 平行棒におけるオリジナルの技「モリスエ」 の名でも知られる。引退後はスポーツキャスター・タレントとしてニュースやバラエティ番組などに多数出演。ゴルフ、落語、漫画の原作などでも幅広く活躍している。

出版社に話を持っていくと、僕がうろたえるほどトントン拍子で話がまとまりました。おかげさまで、僕が原作の『ガンバ! Fly high』を連載できました。週刊のコミック雑誌で連載が始まると瞬く間に人気になり、6年半にわたって連載。単行本は34巻まで発刊され、売上部数は800万部を超えています。

漫画を読んだ子どもがオリンピック選手になってもらいたいという夢も、リオデジャネイロ五輪で金メダルを獲得した内村航平選手が実現してくれました。

還暦を迎えたいまの楽しみは、ゆっくりすることです。沖縄県の宮古島にある別荘で、月の3分の1を過ごしています。

宮古島で知り合った気心知れた仲間とゴルフをしたり、お酒を飲んだり、ギターを弾きながら歌い合ったりしています。仲間とゆっくり過ごす時間が、いまの僕にとって何より大切です。体重が増えたらウォーキングの距離を増やし、食事やお酒を控えるなどの意識はしていますが、宮古島での静かな暮らしが、僕の健康を支えてくれていると感じています。

僕の中で人生はすでに老後に入っています。「60歳でリタイアするなんて早い」という人もいるかもしれませんが、僕はそうは思いません。体力があるいまだからこそ、いきいきとした老後が過ごせるのだと思っています。老後だからといって隠居するつもりはありません。これまでと変わらず、楽しいことに挑戦しつづけていきます。