プレゼント

家族と患者会、ヘルパーさんのおかげで毎日明るく過ごせるようになりました

患者さんインタビュー

視覚障がい者患者会 草加虹の会 武藤 匠子さん

ある日突然、夫の顔の中心が黒い空洞に見えて驚きました

[むとう・しょうこ]——1958年、埼玉県草加市生まれ。32歳で糖尿病を発症。48歳のときに糖尿病網膜症で視力を失う。7年間の引きこもり生活を経て、視覚障がい者の支援団体『草加虹の会』に参加。カラオケやカヌーなどを楽しむ活動的な毎日を送る。2018年7月、人気番組『NHKのど自慢』に出場し、みごとに合格を果たす。

48歳のとき、私は一日で視力を失いました。原因は、糖尿病の合併症で起こった(とう)尿病(にょうびょう)網膜(もうまく)(しょう)です。その日まで目の異常をまったく感じていなかった私の視力を奪った「糖尿病」という病気の怖さを、多くの人に知っていただきたいと思います。

その日、私はいつものようにパート先から帰宅して夕食をすませ、ソファーでテレビを見ていました。「あれ?」と思ったのは、テレビの画面の真ん中が見えなかったときです。目にゴミが入ったかもしれないと思ってこすってみたのですが、いっこうに見えません。

隣にいた夫に冗談っぽく、「お父さん、私に変な顔して見せて」と頼んでみると、夫の顔の中心部分がぽっかりと黒い空洞になっていました。翌日に急いで近くの眼科で()てもらうと、担当の先生から「眼底にひどい出血が見られます。このクリニックでは治療が難しいので大学病院を紹介します」といわれたんです。

紹介された大学病院で伝えられたのが、糖尿病網膜症という病名でした。担当の先生からは、「この病気は長期間、高血糖が続くことで目の中の毛細血管がダメージを受けて出血する病気です」と説明され、日本では中途失明の原因として二番目に多いといわれました。先生の説明では、「糖尿病網膜症は早期に治療すれば失明せずにすみます」とのことでしたが、私の場合は病気がかなり進行していたのです。

私は32歳のときに糖尿病と診断されています。父も糖尿病でしたから、「糖尿病の家系だから、いつかは自分も糖尿病になる」と覚悟していました。でも、当時の私はダイエットをすればすぐに血糖値が下がりましたし、病院で検査を受けても合併症は見られませんでした。「糖尿病って簡単に治るんだな」と甘く見ていたのが大きな間違いだったのです。

糖尿病と診断されたとき、三人の子どもたちはそれぞれ14歳、13歳、7歳。育ち盛りの子どもたちの世話に毎日追われて、自分の健康管理どころではありませんでした。病院からは薬を処方されていましたが、忙しさから服用しない日もありました。そんな毎日が48歳になるまで続いた私の体に、糖尿病合併症という形でツケが回ってきたのだと思います。

突然、目が見えなくなって慌てても、後の祭りです。糖尿病の「まだ大丈夫」は「もう遅い」です。いま糖尿病と診断されている人は、定期的に目の検診を受けることを強くおすすめします。

「できない」「やれない」「どうしよう」と、消極的な気持ちで過ごしていました

大学病院ではレーザー光凝固という治療を受けましたこれは、レーザーで患部の血管を防ぐ治療法で、私は両目それぞれ5回ずつ、計10回の治療を受けました。私の場合は治療中に激しい痛みを感じたので、もう二度と受けたくありません。レーザー光凝固治療で糖尿病網膜症が改善する例もあるそうですが、私の場合は症状がかなり進んでいたからでしょうか、治療の効果はありませんでした。

武藤さんは入会している視覚障がい者患者会「草加虹の会」の活動に積極的に参加している

治療を受けるために、大学病院には電車で通っていたのですが、しだいに券売機の文字が見えなくなり、一人で電車に乗ることができなくなりました。担当の先生からは「眼底からの出血を防ぐために、自宅で安静にしてください」と指導されました。家族からも「危ないから外に出ないで」といわれるようになり、私にとって暗黒の日々が始まりました。

目の中央部の黒い空洞は徐々に広がり、じわじわと視界が失われていきました。調理と掃除は何とかできましたが、そのうちに電子レンジや計量はかりの目盛りが見えなくなていきました。「好きな料理ができなくなるかもしれない」というショックから、家で落ち込む毎日でした。

朝、会社や学校に向かう夫と子どもたちを送り出した後、長い長い一日が始まります。初めのうちは毎日泣いてばかり。もともと私はとても活動的な人間で、夫や友人とお酒を飲みに行くのが大好きでした。カラオケやドライブも、しょっちゅう楽しんでいたものです。友人が経営する工場を手伝って、ビニール製品の製造や配達も行っていました。

そんな活動的な日々が、糖尿病網膜症によって突然、すべて奪われてしまったんです。楽しかったときの出来事を思い出すたびに涙があふれました。誰もいない部屋で、唯一の話相手である愛犬に話しかけながら、「私はいらない人間だよね?」「生きていてもしようがない」「どうやったら痛くない方法で死ねるのかな」と、後ろ向きの言葉をずっとつぶやく毎日でした。いま振り返ると、当時の私は「できない」「やれない」「どうしよう」といったマイナスのことばかりを考えていたように思います。

ところが、夫は違いました。鬱々としている私が夫に当たり散らしても、すべてを黙って受け止めてくれたんです。そればかりか、「気分転換をしよう」と、休日のたびに私を外へ連れて行ってくれました。

憎まれ口しかいわない私に、夫はこういってくれました。「『どうしよう』じゃなくて、『どうしたらいいか』だよ。いま、できることを考えよう」と。いつも前向きな夫の言葉は、私にとって大きな力となりました。

さらに私を支えてくれたのは、同じ病気や苦しみを持つ人たちの患者会です。そのような団体があることを知らなかった私は、その情報にたどりつくまでとても苦労しました。役所や病院は、患者の立場を理解してくれる組織や団体の情報を積極的に教えてくれませんでした。私たち患者は、必要な情報を自分の力で探すしかないんです。私の場合も、引きこもり生活7年目にようやく患者会の存在を知り、未来が開けるようになりました。

ガイドヘルパーさんや患者会のおかげで毎日楽しく生きています

人気長寿番組『NHKのど自慢』に出場した武藤さんは、自慢ののどを披露してみごとに合格を果たした(写真提供:視覚障がい者患者会 草加虹の会)

患者会に入会したきっかけは、病院の待合室での出会いでした。私と看護師さんが話をしていると、近くに座っていた女性が話しかけてきたんです。私と同じように目の病気を患っていると話す彼女に「家にずっといて、外出できない。外に出たい」と告白すると、彼女が「私が入っている『そう虹の会』という視覚障がい者の患者団体に入会したらいかがですか。カラオケや旅行にも行けますよ」とすすめてくれました。

彼女と話すうちに、視覚障がい者の日常生活を支援する「ガイドヘルパーさん(視覚障がい者移動支援従事者)」という職業があることを知りました。外出するときはガイドヘルパーさんに頼めば、どこでも付き添ってくれるとのことでした。

患者会とガイドヘルパーさんの存在を知ってから、私の世界は180度変わりました。いまの私は、ガイドヘルパーさんといっしょに買い物も外食もカラオケも、自分の行きたいところに行くことができています。特にウマが合うガイドヘルパーさんとは、その方が支援の現場を離れてもつきあいが続き、生涯の親友になっています。

患者会の「草加虹の会」へ入会したことも、私の人生を大きく変えてくれました。入会後はカヌーに乗ったり、工場見学をしたりと、目が見えたときでも縁がなかったことを体験しています。大好きなカラオケもまた楽しめるようになりました。

武藤さんはガイドヘルパーさんの手を借りながら外出を楽しんでいる

48歳という若さで失明してから、私はずっと家に引きこもっていました。夫の励ましと患者会のおかげで、活動的な自分を取り戻すことができました。いまの私は毎日が楽しくてしかたありません。極めつけは、2018年7月に放送された『NHKのど自慢』に出場したことです。こし吹雪ふぶきさんの『ろくでなし』を歌った後、鐘が鳴って合格点をいただきました。会場に来てくれた応援団は、合格の鐘が鳴ったときに大喜びしてくれました。

いま、私が夢中になっているのは、歌謡コーラスグループ『純烈じゅんれつ』のりょうへいさんです。友人から教えてもらい、近くのスーパー銭湯で開かれたイベントを見に行って以来の大ファンなんです。コロナ禍が収束したら、もう一度会いに行きたいと熱望しています。

私が楽しければ、周りの人たちが楽しくなります。私が幸せなら、ほかのみんなも幸せになると信じています。コロナ禍で思うように人と会えない日が続きますが、それでも毎日、楽しいことを見つけて、幸せいっぱいに生きています。これから残りの人生も、精一杯楽しんで生きていきます。