理学博士 大野 秀隆さん
『健康365』で“伝説の消臭博士”として話題を集めている理学博士の大野秀隆先生。今年90歳を迎える大野先生は、自宅で転倒したことをきっかけに、ご自身の老化についてより向き合うようになったそうです。みずからの体験をもとに、高齢者の足腰の機能低下について語っていただきました。
今年の2月に自宅の玄関で転倒。筋力の衰えから30分間も動けませんでした
私は今年の8月で90歳になります。おかげさまで大病を患うことなく、元気に過ごしてきました。
その日は突然やってきました。自宅の玄関でつまずいて転んだ私は、座った体勢のまま起き上がれなくなったのです。2020年2月28日のことでした。
私は89歳のいまも、神奈川県横浜市にある顧問先の企業に顔を出しています。そのため私は毎朝4時過ぎに自宅を出て、最寄り駅であるJR中央線の国立駅(東京都国立市)まで歩きます。
駅までの道のりは、私の足で約40分かかります。朝が早いため、駅行きの路線バスはまだ走っていません。国立駅から中央線に乗ってからは座席に座るので、「健康のため」と思って駅までは歩くことにしています。80歳になるまでは駅までの往路・復路をともに歩いていましたが、80歳を過ぎてからは歩くのを朝だけにとどめ、帰りは路線バスに乗って帰宅しています。
話を戻しましょう。自宅の玄関でつまずいて転倒した私は、座ったままの体勢で30分間を過ごしました。妻に声をかけましたが、私の異変に気づく様子は微塵もありません。後で分かりましたが、私が玄関で動けなかったとき、妻は部屋で寝ていたというのです。妻は毎晩、夜中の3時半頃に就寝する超夜型の人間です。ぐっすり眠っていた妻は、私が必死に呼びかけてもまったく気づかなかったそうです。
私が玄関で転倒したのは、足腰の筋力の衰えが原因です。例えば、いまの私は和式のトイレに入ってしゃがんだら、用を足しても立ち上がることはできません。近くに柱や手すりなど、つかまるものがあれば、腕の力を使って立ち上がれますが、何もないと立つことができないのです。
玄関で倒れてから30分後、異変に気づいた妻がようやく起きてくれました。妻の手を借りながらようやく立ち上がった私は、その足で国立駅へと向かいました。
年を取ると、自分が思っている想像以上に足腰の筋力が弱くなるものです。歩幅が狭くなってチョコチョコと歩くようになり、速さも遅くなります。一生懸命に歩いても、若い人たちの速さに負けてしまうのです。以前なら30分かからなかった駅までの道のりが、いまでは40分、日によってはそれ以上かかっています(もちろん、杖を使って歩いています)。
整形外科で検査を受けたら神経根型の脊柱管狭窄症と診断されました
3月1日の早朝、いつものように自宅を出て駅へ向かいました。休みながら歩いて、駅まで残り3分の1の距離まで近づいたときに突然、歩けなくなり、タクシーを利用しました。さらにその日の晩にも異変がありました。夜中に目覚めて用を足すためにトイレへ行こうとしたのですが、右の腰周辺に激痛が起こり、動くことすらできなくなったのです。
翌日、近所の整形外科でX線検査を受けると、腰部脊柱管狭窄症(以下、脊柱管狭窄症と略す)と診断されました。私の場合は、脊柱管が狭窄することで、神経根(脊髄の末端から左右に枝分かれした神経の根元)が圧迫される神経根型の脊柱管狭窄症だと説明を受けました。右の神経根が障害を受けていたことから、腰に激痛が走ったのでしょう。
脊柱管狭窄症は加齢とともに増える病気です。脊柱管狭窄症は、外部からの刺激がなく自然に発症するタイプと、外部からの刺激がきっかけとなって発症するタイプがあります。私の場合は、玄関で転倒したことがきっかけとなって発症した後者と思われます。前者と後者では、前者のほうが重く、治りにくいといわれています。
脊柱管狭窄症の治療には、薬物療法やマッサージなどを含む運動療法のほかに、手術があります。私の場合は、薬を服用することで治療効果が得られました。内服薬で効き目が得られない場合、多くの人は麻酔科(ペインクリニック)で神経ブロック療法を受けるようになります。神経ブロック療法は、脊柱管の中を通る脊髄を包む硬膜外腔に注射で麻酔薬を注入する治療法です。麻酔薬によって手足の位置や運動、筋の緊張状態を感じる深部感覚をブロック(遮断)するのです。
現在の私は、週に2~3回ほど整形外科へ通院し、低周波電流を使った運動療法(マッサージなどの手技療法)を受けています。私が受けている運動療法は、血流を改善させるためのリハビリテーションといえるでしょう。治療効果はとてもよく、顧問先の企業にも再び顔を出せるようになりました。まもなく全快できると思いますので、ご安心ください。
「あと10年生きよう」と誓い合った知人が他界。私の転倒は彼が迎えに来てくれたのかもね
今年の1月に、長いつきあいだった税理士さんが亡くなりました。88歳だった彼は、私と年齢が近かったことから、「お互いにあと10年は生きないとね」と話していたものでした。そんな彼が昨年の晩秋に庭で転倒し、右の大腿骨頸部(大腿骨頭)を骨折してしまったのです。入院して人工骨頭置換術の手術を受けたものの、術後の体力回復が思わしくなく、そのまま亡くなりました。彼が亡くなってわずか1ヵ月後に私が転倒したので「私を迎えにきたのかな」と思ったりもしました。
私は生前、彼に2つのことを伝えていました。それは、「年を取ったら転ばないこと。カゼを引かないこと」です。転倒による骨折は体力の低下のみならず、回復が遅れるとそのまま寝たきりになってしまいます。カゼは肺炎につながり、重症化すると命をもおびやかされてしまいます。
現在の日本では、65~75歳を老年期、75~85歳を高齢期前期、85歳以上を高齢期後期、100歳以上を超高齢期と呼んでいます。一般的に、青春時代から病気知らずであった人ほど、自分の健康に自信を持ち、いつまでも健康でいられるような錯覚にとらわれやすいものです。
老化という現象は、西に傾く太陽のように抵抗しえない〝必然”です。老化は生きているものすべてに起こります。それなのに、多くの人は老化を忌まわしいものとしてとらえ、できるだけ触れないようにしているのではないでしょうか。昔はそれでよかったのです。なぜなら、昔は老化現象がはっきり現れるまで生き延びる人が少なかったからです。でも、いまの時代を生きる私たちは、自分自身の〝老い〟から目を背けて生きることはできません。
私たちの体は、加齢とともに臓器の萎縮や筋力の衰えが顕著になり、生きていくための予備力と適応力が低下していきます。そのため、私たち高齢者は無理をせずに生きていくことが大切です。慣れた生活を静かに送ることで心身のバランスが保たれやすくなり、その人なりの健全な生活を送ることができると思います。
高齢者が病気になると、回復への希望を失いがちになる場合が少なくありません。そのような状況になった場合、家族や周囲の人たちの温かい言葉と態度は、孤独になりがちな高齢者にとって薬以上に気持ちを和らげてくれるものになるでしょう。