堀江車輛電装株式会社 未来創造事業部 上級障がい者スポーツ指導員 中村哲郎さん
障がい者でも参加できる「ユニバーサル野球」を考案し、20分の1の野球場を開発した中村哲郎さん。考案から5年目を迎えた現在も全国の学校授業(小学校・特別支援学校)やイベントで試合を開催している中村さんに、ユニバーサル野球への思いと情熱の源泉について伺いました。
ボランティア活動中に野球が大好きな少年と運命的な出会いを果たす

子どもの頃に家族や友だちと「野球盤」で遊んだ思い出がある人は多いのではないでしょうか。1958年に誕生した野球盤は野球を題材にしたボードゲームで、今でも多くの人に愛されています。室内で遊ぶボードゲームの野球盤を、野球場でプレーしているような臨場感を味わえると話題を集めているのが「ユニバーサル野球」です。コンセプトを考案し、普及に努める中村哲郎さんにお話を伺いました。
「私が考案したユニバーサル野球は、幅と奥行きがそれぞれ5.2㍍の大型野球盤でプレーをする新しい野球です。一般的な野球場の約20分の1の大きさで、ボードゲームの野球盤(約60㌢)と比べると約10倍の大きさになっています」
中村さんが新しい野球のキーワードとして命名した「ユニバーサル」は、「普遍的・すべて・分け隔てなく」という意味。誰でも参加でき、野球の醍醐味を楽しめるという思いを込めて名付けたそうです。
「ユニバーサル野球が誕生したきっかけは、スポーツレクリエーション教室のボランティアで出会った陽広の一言から始まったんです。陽広は野球が大好きな少年で、特に中日ドラゴンズのファンです。陽広は脳性マヒを患っているので、手足を少ししか動かせません。ある日、陽広から『野球をやりたい!』といわれた私は、『野球が好きなら一緒にやろう!』と答えて、私と陽広の野球物語が始まりました。最初は風船を使ってキャッチボールをしたり、車イスに乗った陽広にバットを振ってもらったりしましたが、野球が大好きな陽広には物足りないのではないかと思いました。もっと本物の野球に近づけたいと思って考案したのがユニバーサル野球なんです」
構想したユニバーサル野球のイメージをもとに、20分の1の野球場を開発した中村さん。試行錯誤と改良を重ねた現在の20分の1の野球場は6代目にあたるそうです。
「ユニバーサル野球を構想した当初は、ボールが転がってきたのを打つことを考えました。しかし、なかなかバットに当てることが難しく空振りしてしまうんです。空振りを少なくする方法として、バットの近くでボールが回転するように改良をしました。そのほか、開発当初は木製バットを使っていたのですが、臨場感のある音にこだわりたいと思ったんです。スポーツメーカーのミズノさんのご厚意で、ユニバーサル野球用の小さい金属バットを製作してもらいました。おかげで、バットにボールが当たると〝カキーン〟と気持ちいい打撃音を楽しめるようになりました」
今回の取材では、中村さんがユニバーサル野球に取り組むきっかけとなった小薗陽広さんと、お母さんの妃路子さんにもお話を伺いました。

「私たち親子は、ユニバーサル野球の開発当初から、中村さんの奮闘を見つづけています。初代の20分の1の野球場は段ボールで作られていて、洗練された現在の20分の1の野球場とはだいぶ印象が違います。それでも陽広が中村さんと楽しそうにしている様子を見るたびにほんとうにうれしくなりました。電装会社にお勤めの中村さんは装置開発のプロですから、ボールを打った時の達成感につながるバットは何度も改良を重ねてくれました。そしてついに、陽広が紐を引けばバットを振れる現在の20分の1の野球場が完成したんです」
20分の1の野球場の改良にあたって協力を惜しまなかった特別支援学校の生徒さんたちもユニバーサル野球の世界に魅了され、どんどん夢中になっていったといいます。その後、ユニバーサル野球の存在が知られるにつれて、中村さんのもとには、全国の子どもたちから「野球がやりたい」といった内容のビデオメッセージが寄せられたといいます。
「ビデオに込められた一人ひとりのメッセージを見ながら、ユニバーサル野球が求められていることを実感しました。2019年2月に完成した試作品を東京都小平市にある小平特別支援学校に運び込み、初めて試合を行ったんです。記念すべきユニバーサル野球の初大会となった試合は大いに盛り上がり、試合後には『ユニバーサル野球をもっと普及させたい!』と強く思うようになりました」
中村さんが勤務する堀江車輛電装株式会社は、障がい者支援にも力を入れています。中村さんは同社の社長さんからユニバーサル野球の事業化をすすめられ、さらに改良と普及に尽力できるようになったそうです。
20分の1の野球場を軽量化して国際化の課題だった運搬を克服
ユニバーサル野球を事業化してから、20分の1の野球場を車に載せて全国各地を巡るようになった中村さん。しかし、すべてが順調だったわけではないと中村さんは振り返ります。
「ユニバーサル野球に関する特許と商標登録を取得して正式に事業化してから、全国の学校授業やイベントに赴いています。20分の1の野球場は簡単に分解できるので、車に積んで現地で組み立てています。最初の頃は、すべて1人で運んで組み立てていたので大変でした。それでも、理念に共感してくれるボランティアの方たちの協力もあって続けられています。おかげさまで、ユニバーサル野球を体験した人は2000人を超えました。最近は特別支援学校だけでなく、小学校からの開催依頼も増えています」
「障がいがあっても野球はできる!」というメッセージを伝えたい

中村さんによると、依頼が多いのは、特別支援学級と通常学級の児童・生徒との交流を目的に開催するケースとのこと。同じ地域と学校にいながら、どのようにコミュニケーションを取ればいいのか分からない子どもたちがユニバーサル野球を通して交流を深めているそうです。ユニバーサル野球の反響は海を越え、2024年4月にはニューヨークでの開催を果たし、大きな注目を集めたといいます。
「アメリカでは、ニューヨーク在住の日系人や障がいのある子どものための情報交換と交流を行うNPO法人『Apple Timeスペシャルニーズを持つ子ども達と家族の会』と共催しました。きっかけは、この会が2020年にフェイスブックでユニバーサル野球の記事を取り上げてくれたことです。お礼のメッセージを送ったことから交流が始まりました。コロナ禍を経て、2023年初夏から現地での開催に向けて新しく6号機の製作をしました」
20分の1の野球場の軽量化を図るために、土台に付けていた車輪を外し、グラウンドにあたる部分を木材からポリウレタン製の発泡材を挟んだプラスチック板に変更した中村さん。その結果、20分の1の野球場は3分の1に軽量化され、パーツの長さも最長1.3㍍までにコンパクト化。こうして完成したのが6代目の20分の1の野球場です。
中村さんは、ニューヨークに20分の1の野球場を運んでユニバーサル野球を開催。誰でも野球を楽しめるコンセプトは注目を集め、会場は大いに盛り上がったといいます。ニューヨークの会場にはサプライズゲストとして、元プロ野球選手の松井秀喜さんも駆けつけてくれたそうです。
「私がユニバーサル野球を通じて伝えたいのは『重度の障がいがあっても自分の力で野球ができる』というメッセージです。ユニバーサル野球にチャレンジする子どもたちには、どんなに時間がかかっても自分でバットを振ってもらうことにこだわっています。自分でプレーをすることの達成感は格別で、保護者の皆さんもお子さんの活躍を見て喜んでくださいます」
そのように話しながら笑顔を見せる中村さん。国内外でユニバーサル野球の普及を目指していきたいと話します。
「実際にユニバーサル野球を体験した人は少ないと思いますが、ユニバーサル野球の魅力は確実に広まっています。ウグイス嬢から名前を呼ばれてバッターボックスに入り、スタンドからの応援を背にバットを振り、審判のコールを受ける臨場感は野球そのものです。重度の障がいを持っていても、野球のプレーを諦めることはありません。野球をやりたい子どもたちや保護者の方にユニバーサル野球を知ってもらえるように、これからも情熱的に活動を続けていきます」
