そのもの株式会社代表 日高 絵美さん
〝そのもの〟をとって健康になれる食品として納豆に注目した
佐賀県の中心部にある江北町は、人口9700人ほどの小さな町です。鉄道や国道など、県内における交通の要所である江北町は、お米や大豆の産地としても知られています。そんな江北町で健康をテーマにした町ぐるみのプロジェクトが動き出し、注目を集めています。中心人物の一人である、そのもの株式会社代表の日高絵美さんに、現在に至るまでのお話を伺いました。
「原料をていねいに栽培している生産者と、試験の設計から解析までご協力いただいた医師や研究機関の皆様、そして試験に参加いただいた町民の皆様のおかげで、ようやく一つの結果にたどり着きました。まだまだやることは山積みですが、まずはホッとしています」
もともとは健康食品や化粧品メーカーの販売支援に携わっていたという日高さん。機能性成分や添加物などの原料へ関心を持つようになりました。健康食品の世界は玉石混淆であり、中には生産効率やコスト削減を優先して有効成分を少なくしているものや添加物を多く使用しているものがあることに気づいたそうです。
「すべての添加物が悪いわけではありませんが、自然界には存在しないものを体の中に入れることには手放しでは賛同できません。『食べることは生きること。健康のためには、原料そのものをとることこそが必要』という理想を追求したくなって、自分が納得できる商品を提供するために会社を立ち上げました」
〝そのもの〟という社名には、理想が詰めこまれていると話す日高さん。原料そのものをとることで健康効果が期待できる食品として、納豆に注目したそうです。理由として、納豆は健康に関する研究が充実していた点が挙げられます。
「納豆は千年以上の食経験によって、安全性や機能性が証明されている日本が誇る伝統発酵食品です。特に納豆特有の『納豆菌』は、腸内環境への機能性が何人もの研究者によって証明されています。腸内環境を改善するといわれている納豆のよさをそのまま詰め込んだ健康食品を販売したいと考えたんです」
納豆を使った健康食品を開発するにあたり、原料である大豆にはとことんこだわったという日高さん。大豆を無農薬で栽培している農家を地元の九州で探すことから始めましたが、どの農家を訪ねても「大豆を無農薬で栽培している農家は聞いたことがない」といわれたそうです。
「諦めきれずに調査を続けると、ついに大豆を無農薬で栽培している農家さんの情報を得ることができました。江北町で50年有機農法を実践している北原靖章さんです」
すぐに北原さんが会長を務める江北町有機研究会のもとに足を運んで、無農薬栽培の大豆の仕入れを直談判した日高さん。熱意が伝わったこともあり、研究会の皆さんは快く了承してくれたそうです。その後、日高さんは、北原さんが手がける無農薬栽培の農業を手伝う機会を得たそうですが、大変さは想像以上だったと振り返ります。
「農薬や化学肥料を使わないので、葉を一枚ずつ確認しながら、手で害虫を取り除かなくてはいけません。大豆がよく育つように土壌をしっかり整えているので、雑草も元気で頑固。でも、すべて手で抜くしかありません。真夏の炎天下の農作業は過酷なもので、数時間手伝うだけでも手や腰だけでなく全身がクタクタになりました」
すべて手作業で行う無農薬栽培の苦労を体験した日高さん。過酷な作業にもかかわらず、楽しそうに取り組んでいる北原さんの姿に感銘を受けたといいます。その後、江北町の大豆を使った「そのもの納豆」という商品を開発した日高さん。江北町の生産者や町民の方々と交流を深める中で、生産者の想いが込められたそのもの納豆を、多くの方に知ってもらうためにある考えを思いついたといいます。
「農作業や町のさまざまなイベントに参加して生産者や町民の皆さんと関わっていくうちに、『町ぐるみで何かおもしろいことやりたいね』という話題が出るようになりました。原料にこだわっているだけでなく、町ぐるみの活動でそのもの納豆の健康への効果が科学的に実証されれば、多くの人に手が取るきっかけになるんじゃないかと思ったんです」
そのもの納豆の健康に対する試験に、江北町が一体となって取り組めないかと考えた日高さん。あちこちを駆け回り、東京理科大学名誉教授の村上康文先生をはじめ、脳神経外科医の森照明先生、九州大学教授の馬奈木俊介先生、医学博士の木許心源先生といった、医師や専門家の協力を得ることができました。専門家の協力を得られることが決まった段階で、日高さんは江北町の山田恭輔町長にプロジェクトを打診。町長の決定を受けて、町ぐるみで取り組む『江北町健康プロジェクト』が2020年2月に正式に立ち上がりました。森先生を中心とした「医学フードダイバーシティ学会」という研究会も組織され、いよいよプロジェクトが始動することになったのです。
「いざプロジェクトがスタートするぞというときに、深刻なニュースが飛び込んできました。新型コロナウイルス感染症の対策として、政府が全国の小学校の休校を決定したという報道です。江北町のプロジェクトは、発足した瞬間からコロナ禍との闘いを余儀なくされました」
その後も、感染予防のための自粛要請が続き、試験参加者への説明会などの予定がずれ込みました。日高さんは日程の変更が決まるたびに、協力者のスケジュール管理に追われたといいます。
町民204人の便を最新技術で解析し腸内環境改善を実証
予想以上に日程がずれたものの、江北町役場の職員の協力で、試験には想定の2倍以上という240人の町民から応募があり、最終的には204人のデータを取ることができたという日高さん。試験の方法は、参加者を2つのグループに分け、一方のグループにはそのもの納豆を毎日とってもらうというものでした。
「試験は2020年11月15日から2ヵ月間にわたって行われ、試験開始前・開始から約1ヵ月後・約2ヵ月後の計3回、便検体を提出してもらいました。さらに、参加者にはアンケートを毎日記録していただき、便の状態のほかに体調や体重、食事の内容、薬の服用状況なども把握できるようにしました」
研究グループは、最新の技術を用いて便検体から抽出した腸内細菌の遺伝子データを解析。江北町民の腸内細菌の特徴と、そのもの納豆を摂取した後の腸内細菌の変化を調査しました。その結果、江北町の町民は腸内のビフィズス菌の保有率がとても高く、ほかの地域に比べて2倍もあることが分かったのです。
「さらに、そのもの納豆をとったグループは、男女ともにビフィズス菌が増加していることが分かりました。また、男性ではプロピオン酸産生菌が、女性では乳酸産生菌(乳酸菌)が有意に増加しています。どちらも腸内環境を改善する菌なので、そのもの納豆には健康増進効果が期待できる結果だと考えています」
調査結果の発表は2021年11月に行われました。コロナ禍による影響で発表までに2年かかりましたが、そのもの納豆の健康効果を科学的に証明できたことに、日高さんは大きな手ごたえを感じています。
「もしかしたらいい結果が出ないのではないかと、試験の結果が出るまでは期待と不安でいっぱいでした。だからこそ、予想を超えるいい結果が出たと分かったときは、心からうれしかったです。大豆生産者の北原さんも、今回の結果をとても喜んでくれています。諦めずに進めてきてよかったです。でも、私にとってはここからが本番。科学的に証明された江北町産の納豆の力を、全国の人に知っていただきたいです。いつか、北原さんに『いままでの3倍の量の大豆を用意してください!』とお願いできるようになることが、いまの私の目標です」