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“酒造業界のエジソン”が“国酒”を都心から世界に発信!

ニッポンを元気に!情熱人列伝

杜氏・東京港醸造株式会社 代表取締役 寺澤 善実さん

発酵によって造られる日本酒は「百薬の長」といわれるように、適度に飲むことで健康効果が得られるとされています。杜氏の寺澤善実さんは、東京産日本酒の魅力を世界に発信しながら、AIを駆使した醸造技術にも挑んでいます。

[てらさわ・よしみ]——京都府生まれ。1979年、黄桜株式会社に入社。44年にわたり、清酒を製造しつづける。2000年、台場醸造所の設立に携わり、醸造責任者と後に総支配人を兼任。2011年、株式会社若松屋(現・株式会社若松)にて、その他の醸造酒とリキュールの製造免許を取得。2015年、株式会社若松取締役杜氏。2016年、株式会社若松にて清酒製造免許を取得。2019年、東京港醸造株式会社代表取締役に就任。全国の清酒鑑評会での受賞をはじめ、清酒製造業界のオピニオンリーダーの一人として注目を集めている。

「百薬の長」と呼ばれるように、日本酒は、ほどよく飲めば健康効果が得られるとされています。現在、全国には約1500ヵ所の酒蔵が存在し、地域ならではの歴史や物語など、さまざまな想いを込めた日本酒が全国各地で造られています。

日本が世界に誇る“国酒”ともいうべき日本酒ですが、東京23区内には酒蔵が1ヵ所しかないことをご存じでしょうか。その唯一の酒蔵が、杜氏の寺澤善実さんが率いる「東京港醸造」です。寺澤さんは、オフィスビルが林立する東京都港区芝という大都会の真ん中にコンパクトなビルの醸造所を設け、日本酒造りを成功させた注目の人物。そこで今回は、次世代につなぐ日本酒造りの情熱人として、寺澤さんにお話を伺いました

「東京港醸造の歴史は古く、その前身は、さかのぼること1812年。現在の場所で、造り酒屋『若松屋』を創業したのがルーツです。当時、この一帯には薩摩藩邸があり、若松屋は薩摩藩の御用商人でした。酒蔵には奥座敷があり、東京湾に通じる水路があったといわれています。西郷隆盛らが愛した酒蔵としても知られる若松屋には、勝海舟や山岡鉄舟といった幕臣も頻繁に訪れていたそうです。江戸無血開城を目指した武士たちの密談の場としても使われて、藩士たちが飲み代の代わりに書き残した書も残されているんですよ」

酒蔵は1909年に幕を閉じましたが、7代目の現当主・齋藤俊一さんは再起を志していました。齋藤さんは2003年に東京・お台場に造った台場醸造所で、大手酒造メーカーに勤務していた寺澤さんと出会い、酒蔵の復活を決意したそうです。

コンパクトな4階建てのビル内で日本酒が造られているとは驚き!

「台場醸造所は、京都の文化を東京に広める目的で作られました。レストランには15坪の小さな酒蔵が併設され、私は京都から醸造責任者として酒造りを担当していました。そこへ見学に来られていた齋藤当主と出会い、『東京のビルで酒造りができないか』と相談されたんです。その規模では採算が合わないから難しいとお伝えしましたが、齋藤当主が抱いていた“若松屋復活”の熱意から、お受けすることにしました」

日本酒を造るには免許が必要で、取得は容易ではありません。地道な努力を重ねた寺澤さんたちは、2011年にどぶろくとリキュールの免許を取得後、2016年にようやく酒類製造免許を取得。伝統ある若松屋の土地で、ようやく日本酒造りが始まりました。

とはいえ、酒蔵としての面積は、わずか22坪。4階建てビルの敷地面積を合わせても——7平方㍍という限られたスペースで、洗米から醸造、瓶詰めまでの作業を行わなければなりません。

発酵・搾りは2階で。蒸し米はベランダで行っている

「全作業をこなすには、酒造りの工程をすべて見直し、効率よく醸造をする必要がありました。そこで4階は麹室と蒸米、3階は洗米、2階は発酵・搾り・貯蔵、1階は瓶詰めフロアと、4階から1階へと順に降りていく工程にしました。製造する日本酒は純米吟醸原酒とし、朝搾った日本酒をそのまま瓶に詰めて出荷する直汲み今朝搾り方式を採用しました。そして誕生したのが『江戸開城』という日本酒です」

そのため東京港醸造の酒蔵には貯蔵タンクはなく、夕方には搾りたての日本酒を口にできるのが醍醐味です。1週間の出荷数は1升瓶で約300本。それだけに特別感があります。さらに驚かされるのは、酒造りに使用している水を“東京の水道水”にこだわっていることです。

「東京都の水道水は、高度浄水処理がされているので、世界中から高品質な水として知られています。酒造りに支障のある鉄分やマンガンを含まない東京の水道水は、京都の伏見と同じ中硬水。日本酒造りに適しています。また、明治時代の1898年に単独純粋培養された江戸酵母のほか、2018年から産学連携の取り組みで東京酵母が発見されました。水・米・酵母をすべて東京産にこだわった『ALL TOKYO』『ALL EDO』という2種類の日本酒を造り、ご好評をいただいています」

「日本酒は子どもと一緒。作る過程は子どもの成長を見守っているようなものです」と寺澤さんは話す
「酒造りは一人ではできません。チームワークを大切にしています」と話す寺澤さん

その他にも、洗米時に出る大量の水や米のとぎ汁の軽減を考えて、無洗米を使った日本酒『SUSTAINABLE SAKEPROJECT~地球にやさしいお酒~』の醸造にも成功。地球環境に優しい日本酒として注目を集めています。

酒米・麹・水すべてを東京産の素材で醸造した「ALL EDO」(税込3,300円)(左)、地球環境を考えて無洗米醸造法で醸した
『SUSTAINABLE SAKE PROJECT~地球にやさしいお酒~』(税込2,200円)(右)

わずか22坪の空間で酒造りを成功させた寺澤さんは、日本酒造りとAI(人工知能)を組み合わせ、日本酒や味噌などの麹を製造する機器を小型化した『クラフト蔵工房』の開発にも成功。特許を取得しています。「昔からコンパクトな空間での酒造りを考えていた」という寺澤さんは、アイデアが浮かんだときはすぐにノートに記録し、忘れないようにしているそうです。

「麹を造る製麹機は小型の冷蔵庫サイズで、ほかにタンクと麹、蒸し器があれば日本酒を醸造できますから、『クラフト蔵工房』は畳2枚分もあれば、どなたでも酒蔵を持つことができます」

寺澤さんの姿を見ると盛況に見える日本酒の世界ですが、全国の酒蔵は年々減りつづけています。その理由として、醸造責任者は豊富な知識と経験が必要なうえに、就労時間が不規則である点です。さらに、社会や消費者といった需要の変化への対応が難しいことなどが挙げられます。

「クラフト蔵工房は、杜氏の経験則をAIによってプログラム化し、誰でも確実に作業ができるようにしています。麹は自動制御で造るので、必要な分を必要な時期に製造できます。圧搾後はすぐに瓶詰めできるため、貯蔵タンクは不要。結果、ロスがなく、1ヵ月先の出荷に合わせて醸造できるなど、利点尽くしです。蒸した米のかたまりをほぐす重労働な切り返しという作業も機械化できました」

7代目の現当主・齋藤俊一さん(右)とともに。夕方から酒蔵前に350円で日本酒の角打ちができる「テイスティングカー」が登場する

長い修業と経験を必要とする杜氏の技術を自動化して銘酒を作り出すという発想こそ、寺澤さんが“酒造業界のエジソン”と呼ばれるゆえんです。最近では、ITを活用した「遠隔操作の酒造り」にも成功しています。

併設の販売所には西郷隆盛(雅号・南洲)による貴重な書が飾られている

「その土地ならではの搾りたてのおいしいお酒を駅構内で飲めたらいいですよね。全国の駅や空港内に酒蔵を造れば、旅の途中下車をするお客様が増えて、町おこしになると思います。日本を日本酒で活気づけたいです」

寺澤さんは東京駅構内の「東京駅酒造所」を手がけたほか、現在、埼玉県や鹿児島県、徳島県などからの依頼で、酒造りの技術指導をしながら地域振興の支援をしているそうです。そんな寺澤さんが現在、大きな目標としているのが、2025年に大阪で開催される「日本国際博覧会(大阪万博)」です。

特許取った製麹機。将来的には炊飯器のサイズを開発して、家庭での麹作りを普及させたいそう

「日本は日本酒の無形文化遺産登録を目指しています。大阪万博では、『クラフト蔵工房』を移動可能なコンテナ型『大阪EXPO蔵』として出店し、世界に日本酒をアピールしたいと考えています。その後はこのコンテナを再利用して世界各国をまわって、日本酒やみそ、麹といった日本の発酵文化を広めたいですね」

寺澤さんのさらなる構想は、アメリカやフランスの日本大使館で開催されるパーティーでみそやしょうゆなどをお披露目し、各国への輸出産業として確立させること。日本ならではの発酵・醸造文化を次世代に継承したいと考えています。

「日本の行政機関は、かつての大量生産から高品質のものを少量生産して輸出する方向転換をしています。実際に有機無農薬栽培米などさまざまな輸出を構想して、人材育成を始めたそうです。そこで私たち東京港醸造も、有機無農薬栽培米を使って日本酒を造り、世界へ輸出する取り組みを始めました。日本文化の一つを担う日本酒は“国酒”です。酒造りを通じて日本の産業を支えながら、次世代に日本酒の文化をつなげたいと思います」