プレゼント

80歳を超えてもなお現役! 腰部脊柱管狭窄症を克服し心身ともに健康に導く整形外科医が明かす「生涯現役! ハッスル体操」

私の元気の秘訣
上山田病院整形外科医師 吉松 俊一

私の人生の岐路では常に野球が道標となり私を正しい道へと導いてくれました

[よしまつ・しゅんいち]——日本整形外科学会専門医、日本リウマチ学会専門医、日本リハビリテーション医学会認定臨床医師、日本体育協会公認スポーツドクターとして活躍。主に子どもの肩・ひじ関節、またスポーツ現場で見られる腰痛と遺伝の関連性などを40年以上の長期にわたって研究。さらに、日本屈指のスポーツドクターとして、負傷したプロスポーツ選手が数多く治療に訪れ、復帰に貢献している。千曲中央病院整形外科(兼務)。

私の人生の岐路では、常に〝野球〟が道標となり、私を正しい道へと導いてきてくれたのだと思います。1933年生まれで今年84歳になった私は、小学5年生のときに太平洋戦争の終戦を迎えました。そのころの私は「肺門リンパ節結核」という肺の病気を患い、小学校にほとんど通うことができませんでした。当時、肺門リンパ節結核の薬はなく、治療法は安静にしているしかなかったのです。

幸いにも病気は癒え、中学校に無事に入学することができました。中学1年生のときに神奈川県小田原市の小峰公園で開催された、慶應義塾大学と早稲田大学のOBによる野球の試合を観戦しました。「三田・稲門戦」と呼ばれる好カードです。時間が過ぎるのも忘れて見入ったその熱戦が、私と野球との運命的な出合いとなりました。

時は移って、長嶋茂雄監督が巨人軍を初采配した1975年。そのシーズンは多くの選手の力が落ちて、巨人軍が球団創設以来初の最下位に終わりました。野球好きな私は、週末によく多摩川で、二軍選手のプレーを見ていました。その中で故障をしているにもかかわらず練習している選手がいたことから、巨人軍の球団関係者に「二軍選手は将来一軍を担う金の卵であり、三軍を作って故障した選手を治療に専念させるべきだ」という内容の手紙を出しました。いまでは、公認のチームドクターがケガや体調不良などで選手の試合出場が困難と判断したとき、「故障者リスト」に登録するのはあたりまえのことです。

ところが、スポーツ界には根性論がはびこり、休むことが許されておらず、休めば再起の道が閉ざされてしまうおそれもあった当時としては、画期的な提案だったのです。その提案が球団に認められ、翌年から日本プロ野球界初のスポーツドクターとして、宮崎県で行われる巨人軍の春季キャンプに行くことになりました。

降板した投手がよく行っているアイシングも、私が提案したものです。アイシングは当時、日本プロ野球界では禁忌とされていました。しかし数年後、日米野球で来日したニューヨーク・メッツのトム・シーバー選手(当時、米国・メジャーリーグのナンバーワン投手)が、試合後に積極的にひじのアイシングをしている姿を日本側の球団関係者に見せることで、日本プロ野球界にも導入されることになったのです。そのほか、私の提案したトレーニング法や水泳の導入、休暇の必要性などが日本プロ野球の現場で徐々に受け入れられ、しだいに頼りにされる存在になりました。いろいろな球団から依頼が寄せられ、多いときでは10球団の春季キャンプを回りました。また、シーズン中には、国立長野病院院(現・上山田病院)で故障した選手たちの治療にあたったのです。

雪かき後に腰に鈍痛を覚え脊柱管狭窄症を患ったが運動のおかげで素早く改善しました

打ってよし、投げてよし、守ってよし――シニア野球界の”怪物”と評される吉松医師

日本プロ野球のスポーツドクターとしてばかりでなく、私自身も40年以上前から予防医学の一環として野球に取り組んでいます。私の野球人生で転機が訪れたのは、いまから24年前の60歳のときでした。野球の試合中、一塁から二塁への盗塁に失敗してしまったのです。私は俊足が自慢で、それまでホームスチールをはじめ盗塁に失敗したことがほとんどありませんでした。試合を観戦していた、いまは亡き妻から「足が遅くなったんじゃない」と指摘され、一念発起。さらにトレーニングに励もうと決意したのです。

下半身の筋力をつけるためには、短距離を走ることが大切だと考えています。そのため、体調がいい日は毎朝野球のユニホームに着替えて、自宅前で〝短距離ダッシュ〟をするようにしています。ユニホームを着ると、体がシャキッとして、不思議と力がみなぎってくるのです。最近では、室内で筋力アップのためにゴムを活用したトレーニングや、血行不良を改善したり体幹の筋肉を鍛えたりするトレーニングも実践しています(「ハッスル体操」図参照)。

ハッスル体操

2014年、長野県では比較的雪の少ない地域の千曲市が100年に1度といわれる大雪に見舞われ、積雪が60㌢以上に及びました。体力には自信があったのですが、1日中自宅前の雪かきをしていたところ、腰に鈍痛を覚えました。整形外科医の私が、腰部脊柱管狭窄症になったのです。しかし、筋力アップと血流改善の運動をしているおかげで症状が素早く改善し、その後は痛みが気になることはほとんどありません。

いま、私が所属している早起き野球チームと全日本生涯野球チームの平均年齢は75歳です。退職した人も多いので、いまでは毎週木曜日の午後3時間程度、晴れの日は千曲川の河川敷で、雨の日や冬は体育館で練習しています。70歳を過ぎると、何かしらの故障を抱えているものです。しかし、皆で「98歳までは現役プレーヤーでいよう」と励まし合っています。

仲間や家族の存在は非常に重要です。病気やつらい経験など、人生では逆風にさらされることもあります。しかし、仲間がいれば励みとなり、いっしょにがんばって生きていけるのではないでしょうか。

病気を予防するためだけでなく、子どもの教育のためや障害を持った方々の生きがいを失わせないためにも、私は野球が貢献していくものと信じています。第二の故郷である長野県千曲市と上田市のために、これまで以上に野球の普及活動に尽力していきたいと考えています。

どんな夢でもいいから夢中になれる目標に真剣に打ち込むことが現役で働く健康の秘訣

私のいまの目標は、メジャーリーグで活躍している日本人選手のような、すばらしいプレーをすることです。これまでメジャーリーグでは、野茂英雄選手や佐々木主浩選手、松井秀喜選手、イチロー選手をはじめ、数々の偉大な選手が活躍してきました。私は、いまでもメジャーリーグの試合を録画して観ながら、投球モーションなど、体の使い方を研究しています。

他人から見れば、バカらしいと思われるようなことかもしれません。しかし、どんな夢でもいいから、夢中になれる目標に真剣に打ち込む――これが、整形外科医として、いまでも現役で働く私の健康の秘訣です。