宮崎大学副学長、農学部応用生物科学科植物機能科学領域教授 國武 久登さん
野生の植物が持つ機能性をより高めるために行われる品種改良。中には、現在の品種になるまで数百年もかかった植物もあるという奥の深い世界です。「育種学」の権威として知られる宮崎大学の國武久登教授は、これまで誰も食したことのないブルーベリーの〝葉っぱ〟に優れた健康増進効果があることを突き止めたのです。
育種学は足し算以上の結果が生まれるびっくり箱の学問です
「新型コロナウイルスの流行に伴い、私が副学長を務める宮崎大学でも、2020年5月から遠隔授業を行うようになりました。大学として新しい試みなので、教員の立場としても戸惑いながら講義を進めています」
そう話すのは、宮崎大学の副学長で農学部応用生物科学科植物機能科学領域教授の國武久登先生です。國武先生は副学長として大学の運営に携わりながら、研究にも注力されています。
「宮崎大学農学部は、大正13年に設立された宮﨑高等農林学校を母体とした歴史のある学部です。私の研究室の風景は、皆さんが想像される理系の研究室のイメージそのものです。新型コロナウイルスが流行するまでは、学生たちが朝から晩まで研究に没頭していました」
國武先生の研究テーマは「植物の育種」が中心です。育種とは、動植物を遺伝的に改良することで、一般的には「品種改良」という言葉で知られています。
「植物の育種は、昔からある典型的な農学の研究テーマです。農学部に入学してくる学生たちの多くは育種をある程度理解して受験するので、研究に対して意識の高い学生が多いという印象を持っています。学生たちにやりたいことを聞くと、『花の色に関する研究をしたい』『健康に役立つ果物を育てたい』と、興味が具体的なんです。卒業後も、農学系の進路に進む学生が多くいます」
学生たちの高い熱意に毎日喜びを感じているという國武先生ですが、ご自身はもの心がついたときから農学に関心を持っていたといいます。國武先生の実家は福岡県久留米市にあるクルメツツジを栽培する農家でした。クルメツツジは久留米市のシンボルで、江戸時代に行われた育種によって生まれたツツジの品種群です。
「子どもの頃から父に連れられて、家の近くにあった農林水産省の試験場や、ツツジ組合の事業打ち合わせなどに足を運んでいました。『常緑性のクルメツツジには黄色の品種がないから、どうにか生み出せないか』といった専門家たちの会話が自然と耳に入ってきましたし、自宅の周りにはいろいろな種類の植物もありました。植物に興味を持ったのは、自然な流れだったと思います」
20代から本格的に育種の研究を始めた國武先生。最初は柑橘類の研究から始まり、30代以降はブルーベリーやラズベリーなど、冷涼な気候で育つ植物の品種を研究するようになったといいます。國武先生が育種の研究でやりがいを感じるのは、「珍しい植物と出合えること」「野生種を人間が利用できる形にしていく過程を見られること」の2点だそうです。
「米国のニュージャージー州を訪れたとき、ブルーベリーの野生種に出合う機会がありました。いま私たちが目にするブルーベリーの実は、大きいものでは8㌘もありますが、野生種の実は直径5㍉にも満たないほど小さいんです。私たちがふだん目にしているブルーベリーの実は、育種に携わった多くの研究者や栽培者たちが百年以上かけて取り組んでいまの形になっています。私たちが行っている育種学という研究は、人間と植物の長い関係の歴史の一部といえます」
近年では品種改良をするにあたって人工的に遺伝子を組み換える技術が普及しているものの、國武先生は昔ながらの交配による品種改良を研究しています。例えば「病気に強い品種を作る」という仮説を持って改良に取り組む遺伝子組換え技術に対し、交配による品種改良には〝びっくり箱〟のようなおもしろさがあると國武先生は話します。
「植物Aと植物Bを交配させるときは、どんな品種になるかをある程度予想して始めますが、これが予想したとおりにならないことが多いんです。植物の品種改良は、単純な足し算以外の答えが出てくるところがおもしろいですね。『なんでこんなことになったの?』という驚きと奥深さが育種学の魅力です」
宮崎県と連携しながら健康に役立つ素材の研究を進めていきます
國武先生が最も予想を裏切られる研究結果に出合ったのは、2003年に宮崎大学で始まった、医学・農学の共同研究がきっかけでした。当時の宮崎県は他県に比べて成人T細胞白血病(ATL)の患者数が多く、当時流行していたC型肝炎の問題解決も兼ねて、大学と県が一体となって予防・治療法を模索していたといいます。そのような背景から、宮崎大学で「宮崎県産の食品でATLやC型肝炎の予防・治療を目指すプロジェクト」が立ち上がったのです。
「当時私は宮崎大学に赴任したばかりでしたが、共同研究の小事業を主担当することになりました。宮崎県の特産品であるマンゴーをはじめ、私がいままで研究してきたブルーベリーの実などを含めた1700種のエキス末の機能性を調べるという、壮大かつ地道な研究が始まりました。その研究をする中で、私は驚きの結果と出合ったのです」
2003年から5年をかけて膨大な数のエキスを調べた結果、國武先生はほかの植物の10倍の抗ウイルス作用を発揮する植物と出合いました。その植物こそ「ブルーベリーの葉」だったのです。ブルーベリーの実の研究を行っていた國武先生は「果実よりも葉のほうが機能性に優れている」という研究結果が信じられなかったそうです。
「何度調べ直しても、『実より葉が優れている』という結果は同じでした。いままでずっと果実の研究をしてきた私にとって、葉の存在は〝盲点〟だったんです。以後、ブルーベリーの葉の研究を重ねていくと、プロアントシアニジンというポリフェノール(植物由来の抗酸化物質の1つ)が有効成分である可能性が高いことが分かりました」
ブルーベリーの葉の機能性を確かめた國武先生に、大きな壁が立ちはだかりました。「人類がブルーベリーの葉を長く食べていた」という歴史的な記録がなく、安全性が不明だったのです。厚生労働省や農林水産省から「ブルーベリーの葉は、そのままでは食品としては認可できない」という助言を受けました。
「食品として利用された歴史が証明できれば認可できると助言をいただいたので、海外でブルーベリーの葉に関する食文化の調査を行いました。『紅茶の歴史があるイギリスや、多様な植物を加工する文化がある中国にヒントがあるかもしれない』と思いましたが、すべて空振りでした。ブルーベリーの実は、長い年月にわたって活用されてきたものの、食品として葉が利用されたことは、長い人類の歴史の中で世界中のどこにもなかったのです。植物の専門家である私にとって衝撃的な事実でした」
國武先生は、ブルーベリーの葉の安全性を証明するために、さらに5年の時間をかけました。無事に安全性が証明されて以降、ブルーベリーの葉を使った機能性試験が行われ、脂肪肝の抑制作用、抗がん作用、血圧抑制作用、脂肪減少作用などが報告されています。國武先生が研究を重ねたブルーベリーの葉は「くにさと35号」という名で農林水産省の品種登録が行われ、多くの研究者によって健康に関するさまざまな活用法が提案される注目の素材となっています。
「育種学の研究結果を多くの人の健康維持に役立てていただけるのは、研究者冥利に尽きます。研究がうまく進んだのは、宮崎県が農業や産業と強い連携を取っている自治体だからだと思います。2017年に宮崎大学医学部にできた臨床研究支援センターは国立大学で唯一、食品の機能性表示の研究を行える施設ですが、これも県との強い連携があるからです」
宮﨑県は、海岸付近が亜熱帯気候、山のふもとがやや寒冷な温帯という、植物を研究するうえで興味深い気候を持った地域と話す國武先生。ブルーベリーの葉の研究を通して「食べ物が体を作り、健康を守る」という考えが一段と深まっているそうです。
「いま私が注目しているのは、オーストラリアで独自に進化したフィンガーライムという柑橘類です。食べる部分が球状で、イソメントンというほかの柑橘類には少ない香り成分が含まれている珍しい果物です。ブルーベリーの葉のように、新しい健康に関する発見があるのではないかと期待しています」