俳優 橋爪 功さん
主役から脇役まで、幅広いキャラクターを演じてきた俳優の橋爪功さん。日本アカデミー賞では主演男優賞を受賞するなど、独特の存在感が高く評価されています。そんな橋爪さんのキャリアも今年でまる60年。傘寿を迎えようとしているいまも、変わらず元気な姿をお茶の間に見せてくれています。長きにわたる活躍の秘訣は何か —— その素顔に迫りましょう。
映画『未来へのかたち』を通じて焼き物の魅力を知ることができました
2021年5月に公開された映画『未来へのかたち』が私にとって最新作ということになりますが、これは世の中が新型コロナウイルス感染症で大騒ぎになる直前にクランクアップした作品なんです。だからまさか、ひと仕事終えて公開を待っている間に世界がこんなことになってしまうなんて、夢にも思っていなかったですよね。
ただ、私は昔から、健康のことでもなんでも、あまり気にしないお気楽な性格なんです。もちろん年齢が年齢ですから、感染対策はちゃんとしていますし、もし新型コロナウイルス感染症にかかったらと思うとやっぱり不安です。でも、心のどこかで、結局「かかってしまったらしょうがない。そのときに考えればいいだろう」と思ってしまう。周囲からのんびりしているように見られがちなのも、そのためでしょうね。
ちなみにこの『未来へのかたち』は、一度壊れた家族関係が、あることをきっかけに少しずつ再生していく様子を描いた物語です。だからといって、コロナ禍で不安を強いられている人々を元気づけたいなどといいたいわけではないですが、少なくともこうして公開までこぎ着けられたことには感謝しかありません。何より、監督をはじめとするスタッフの皆さんも、ホッと胸をなでおろしているでしょうね。
個人的には、この物語の題材になっている焼き物の世界は、非常に興味深かったです。物語の舞台は愛媛県の砥部町というところで、砥部焼という全国でも珍しい磁器を独自に開発した、小さな焼き物の里です。私が演じているのは主人公の父親役で、古きよき伝統を重んじる窯の主。その役作りの一環で、実際の砥部焼の先生から指導を受けました。
自分で焼き物を手がけるのは初めての経験でしたが、これが実に気持ちよく、心地のいい世界でした。磁器というのは一般的な陶器よりも使用する粘土の素材が繊細で、とても手触りがいいんです。私のような素人でも、粘土をこねていると徐々に心が落ち着いてきて、いつまででもそうしていられそうな感覚を覚えたものです。
おかげでどうにか役どころをまっとうできましたし、新型コロナウイルス感染症が落ち着いたら、指導していただいた先生へのお礼を兼ねて、砥部の町をぜひ再訪したいと思っているんですよ。
文学座の影響で関心を持った芝居がたまたま性に合っていたんです
そんな私のキャリアも、今年でちょうど60年になります。
よく、俳優を志したきっかけを聞かれますが、いまとなっては記憶が曖昧で、ほんとうのところはよく分からないのが実情です。ただ、当時通っていた高校が信濃町で、文学座に近かったことは影響しているのでしょうか。
高校で演劇部に入部したのも、ちょっとした気まぐれのようなものでした。たまたま学園祭で演劇部の舞台を見て、「おもしろそうだな」と直感して安易に選択してしまった、それだけのことだったと思います。
それでも、お芝居をすることは意外と性に合っていたのでしょう。いい先輩たちに恵まれたおかげもあり、気分よく部活を続けることができたのもご縁なのかもしれません。
むしろ、ほんとうの意味で演技の奥深さを知ることになるのは、文学座附属演劇研究所に入ってからです。
同期には草野大悟さんや寺田農さん、樹木希林さんなど、いま思うとそうそうたるメンバーが集まっていました。しかし、彼らと比べれば、やっぱり私はどこかのんびりしたもので、演技に迷ったり伸び悩んだりすることはほとんどなかったように思います。演技指導で怒られることはたびたびありましたが、できないものはしょうがないと考える性格なので、たとえ先輩から厳しいことをいわれたとしても、それによってくよくよすることは一度もなかったですね。
当時はあまり自覚していませんでしたが、これがストレスとは無縁で反省もせずに続ける秘訣だったのかもしれません。嫌なことがあってもひと晩寝れば忘れてしまうタイプなのも幸いでした。
運動を欠かさずに体力を維持しながらたっぷり寝ています
そうして積み重ねてきた60年は、確かに長いです。でも一方で、過ぎてしまえばあっという間に感じられるのは、高齢者特有の感覚かもしれませんね。なにしろ、60年やったからといって、特別に何かが進歩したかというとそうでもないですから。
若手の頃の出演作を見返すことでもあれば、当時より少しはマシになったと思えるかもしれませんが、基本的に自分の作品は見ないタイプなので分かりません。自分の顔があまり好きではないので、できればあまり見たくないんです。もし不意にテレビをつけたときに自分が出ている作品が流れていたら、いまでもすぐにチャンネルを替えてしまいますからね。
俳優というのは一人でやれる仕事ではありませんから、体調管理については日頃から気を遣っているつもりです。長い公演になると2ヵ月ほど続くものもあり、もしカゼを引いたりケガをしたりして予定に穴をあけることになってしまったら、多くの関係者に迷惑をかけることになります。
だから、公演が始まると少しお酒を控えめにするなど、できる限り自重するようにはしていますが、なかなか思うようにはいきません。ただ最低限の体力維持は努めようと思っています。特に70歳を過ぎた頃から、確実に体力が衰えていくのを実感していますから、ほんとうに油断できません。
テレビ画面や映画のスクリーン上に映る印象ではじゅうぶんに元気だと思われるかもしれませんが、街にはもっと元気なご老人がたくさんいますからね。私とそう変わらない年齢に見えるのに、ビシッと筋肉が張ったふくらはぎをちらつかせながらウォーキングしている人を見かけると、「くそ!」と思いますよね。自分も負けていられないな、と。私は元来、諦めの早いタイプですが、負けず嫌いでもあるんです。
とはいえ、私も若い頃は運動神経の塊のような男だと自負していましたが、思うように動けなくなるのもしかたがないことではあります。なんでもかんでも「年齢のせい」で諦めてしまうのはよくないことですが、他人と比べて焦りを募らせるのもよくありません。いまこの状態を受け入れたうえで、できる範囲のことを自然にがんばるのがベストなのではないでしょうか。
だからせめて、睡眠はいつもたっぷり取るようにしています。幸い、途中で起こされなければ十時間くらいぶっつづけで眠っていられるので、その点では得をしているかもしれません。
こうした健康管理については、いまはとにかく情報が多すぎるので「どのサプリメントが体にいい」「この健康法がよく効く」といった情報が、無数に目に入ってきます。目に入るとやっぱり気になってしまうのが人情というもので、私も人並みについ試してみたくはなりますが、女房はいつも、「いいんじゃない?どうせ3日も続かないと思うけど」と心得たものです。実際、たいてい効果を実感する前に飽きてしまうので、残念ながらそれが健康の秘訣ということにはならないでしょう。
結局、何事も気にしすぎるのもよくないのだと感じます。実はこの年齢になるまで、私は健康診断の類いもほとんど受けたことがないんですよ。年相応にあちこち多少のガタが来ているのは理解していますが、それを数値で突きつけられることで、より状態が悪化してしまうような気がして、むしろ逆効果なのではないかと思っているんです。もっとも、健康だからそんなことをいっていられるのでしょうけどね。実際、今日まで大病した経験もありません。
江戸時代の生活から気ままな生き方を学ぶことができます
さまざまな文献を読みあさって知ったのですが、江戸時代の江戸の街というのは、全国からいろいろな人たちが集まってくる、世界でも有数のメガロポリス(巨帯都市)だったそうです。文明としては現代には及ばなくても、きっと非常に活気がある街だったことでしょう。
そうした活況の中で、江戸の人たちは「宵越しの銭は持たない」と考えて、わりとのんきにその日その日を楽しんでいたのではないかと私は想像しているんです。毎晩、気の合う仲間と楽しく酒を酌み交わし、おなかが満ちたら寝て、起きたら仕事に行くという、現代では考えられない気ままな生活が根づいていたにちがいありません。
もちろん、いまのようには医療が発達していませんし、病気も多かったでしょうから、お酒の席では、「そういえば最近、あいつ見かけないな」「あいつ、亡くなったんだよ」みたいな会話が普通に行われていたのかもしれません。でも、それが江戸時代ではあたりまえの日常だったはず。
それぞれ大変なことや気苦労だってたくさん抱えていたでしょうが、そうした生活がベースにあるから皆、現代人ほどストレスをため込んではいなかったのではないかと思うんです。現代の人たちも、こうした気質には見習うべき点が多いのではないでしょうか。おそらく、すぐにくよくよするタイプで長生きした人なんて、ほとんど存在しないと思いますし。
落語のある小噺で登場人物の八っつぁんだか熊さんが「口元に白い小さな斑点のある黒猫になりたい」とうそぶく場面があります。これはなぜかというと、「その白い斑点をネズミがコメ粒と勘違いして近寄ってくるから、自分は寝たまま常にエサにありつける」という理由なんです。初めて聞いたときは、なるほどうまい〝棚ぼた〟を思いつくものだなと、大いに感心したものです。変に思い悩むよりも、人生なんてそういう棚ぼたを待つくらい気らくに考えてもいいじゃないですか。
私自身、これからの仕事を考えてみると、できることならまだまだ多くの才能ある人に巡り会いたいし、優れた作品に出たい気持ちは持っていますが、こればかりはご縁なので、自分の意思でどうなるものでもありません。
例えば、けいこに1ヵ月間、本番が2ヵ月間という舞台に出演する場合、多くても年に3作品こなせれば御の字でしょう。仮にそのペースで60年やれたとしても、生涯で出演できるのは計180作品しかありません。そう考えると、一人の役者が出演できる作品なんて、この世界のごく一部にすぎないはずです。だからこそ、縁というのは棚ぼたなんです。
私は本来、動きの激しいお芝居が好きなのですが、年とともにそうした仕事が減っているのは残念なことです。あるいは、もしかするとこの後、そういう役が回ってくるのかもしれません。でもそれは、もし回ってくればまさしく棚ぼたというやつで、ラッキーだと思わなければいけないでしょう。
心身の健康を保つには、とにかく気らくに構え、くよくよしないこと。これに尽きます。
いまは新型コロナウイルス感染症であまり外には出られなくなりましたけど、お店で酒を飲めないのであれば、家で晩酌をすればいい。むしろ夫婦間や家族間のコミュニケーションが増え、いいことがあるかもしれません。これだって棚ぼたですからね。
病気など深刻な悩みを抱えている人も、あまり考えすぎないよう、ときには思考を切り替えることも大切だと思いますよ。