豚肉をこよなく愛し狩りで体を動かして心身ともに大きく育つ
私は歴史学者で日本近世・近代史が専門です。特に薩摩と琉球の歴史についてくわしく研究しています。テレビドラマなどの時代考証を依頼されることも少なくありません。
時代考証とは、映画・テレビ番組・演劇で、衣装や道具・風俗・生活習慣などが実際にその時代の事実に沿っているかどうかを確認・指導する仕事です。
一方、私は「鹿児島県シニア食育アドバイザー」も務めています。歴史学者の私がなぜ「食育」なのかと思われる人もいるでしょう。日常、どういう食事をしていたか、といったことも、時代考証では重要な要素なのです。実は、歴史と食は切っても切れない関係にあります。
明治維新を遂行した〝西郷どん〟こと、西郷隆盛の気力・胆力は、鹿児島の伝統食が培ったもの、と私は考えています。
皆さんもご存じだと思いますが、西郷は体が大きいことで知られていました。身長178㌢、体重110㌔の体格だったと推定されています。幕末の日本人男性の平均身長は155㌢程度でしたから、西郷が文字どおりいかに〝巨人〟だったかがわかるでしょう。
ちなみに、幕末・明治維新に活躍した人物で身長がわかっている例を挙げると、十五代将軍・徳川慶喜が150㌢、江戸無血開城を決した会談で西郷と対峙した勝海舟は156㌢と、現代人と比べてかなり小柄だったことがわかります。
一方、幕末に活躍した薩摩の人間には、ほかにも〝巨人〟が多くいました。
西郷の盟友・大久保利通は175~178㌢、大河ドラマ『篤姫』で一躍名前を知られるようになった薩摩藩家老・小松帯刀は一七六㌢と大柄でした。ちなみに篤姫も155㌢以上あったと伝わっており、当時の女性としてはかなり大柄であったようです。
江戸時代を通して日本では獣肉を食すことは仏教の「殺生禁断」、神道の「穢れ」につながるとしてさけられてきました。そんな中、薩摩では豚肉が盛んに食べられていたのです。豚肉の動物性たんぱく質を十分にとっていたことが、当時の平均的な日本人と薩摩人との体格差を生んだことは明らかです。
西郷が特に好んで食べた豚肉料理が「とんこつ」。ぶつ切りにした豚の骨つきあばら肉(とんこつ)を使った煮込み料理で、西郷はみそ仕立てのものを好んで食べていたようです。豚肉だけでなく骨をすすって食べていたという記録も残っており、たんぱく質、ビタミンB1だけでなく、骨髄に含まれるミネラル分なども十分にとっていたのでしょう。
また、豚肉の赤身に多く含まれるトリプトファン(必須アミノ酸)は、精神の安定などに必要なセロトニンを増やす働きを持っており、うつを予防し、気分を前向きにする効果があるといわれています。
西郷は、狩りが大好きでした。上野の西郷さんの銅像の傍らにいるイヌは、狩猟犬です。狩りで獲ったイノシシ、ウサギ、シカも食べていました。現代風にいえばジビエです。狩りはかっこうの運動法でもありました。
鹿児島県はウナギ生産量日本一なのですが、昔からウナギはよく獲れ、西郷の好物でもありました。西郷がウナギ獲りの名人だったことは、ドラマの初回から描かれているので説明は不要でしょう。
余談ですが、西郷が西南戦争に出陣する前夜、仲間たちと食したのもウナギでした。
『西郷どん』の初回から登場した西郷の好物としては、もう1つ鰹節があります。西郷家の朝食の食卓に削りたての鰹節が出てきました。鰹節はアミノ酸の宝庫で、疲労回復に優れた効果があるのです。お椀に鰹節を入れてお湯を注げば、飲むだけでアミノ酸の補給ができます。
西郷家の庭先で栽培されていたナタマメは武家にとって縁起もの
鹿児島は火山灰の土地が広がり、平地が少ないため、コメはあまり収穫できません。そのため、人々の主食は雑穀類、サツマイモ、豆類でした。
近年の健康ブームに乗って、白米よりミネラル・ビタミン・食物繊維が豊富な雑穀は再評価され、食べる人が増えています。サツマイモは食物繊維の宝庫。豆類はダイズだけでなく、ソラマメ、ジーマーミー(落花生)、ナタマメなども一般的に食べられていたのです。豆類からは良質の植物性たんぱく質やミネラルが摂取できます。
ナタマメ(刀豆)は鹿児島以外ではあまり栽培されていない豆で、成熟すると大きなさやが刀の形に似ていることから、武家にとって縁起のいい豆として庭先に植えられてきました。『西郷どん』に出てくる西郷家の庭先でも栽培されています。
ナタマメは、上のほうから実りはじめ、茎のほうに向かってだんだん返ってくることから、旅人の無事の帰着を祈るための縁起ものとして、旅立ちの餞別などに用いられていたといいます。薩摩では、旅に出るときは「ナタマメを食え」「ナタマメを持たせよ」といった習慣があったようです。
野菜では、ニンニク、ラッキョウ、ニラ、ネギがよく食べられていました。これらは、いずれも抗酸化力が高い野菜です。
奄美の大自然と料理が西郷どんをより大きな器の人間に育てた
今回の大河ドラマの中では、西郷の奄美大島時代の生活も描き込まれていきます。奄美大島で西郷は、おそらく生涯で最も美しい3年間を過ごしたと思われます。その後、西郷は徳之島、沖永良部島で流刑生活を送ることになります。徳之島・沖永良部島は奄美大島と同じ奄美群島に位置します。
奄美料理は、スイゼンジナ、フダンソウ、ニガウリといった南国の太陽をたっぷりと浴びた島野菜、エラブチ(ブダイ)、アバス(ハリセンボン)といった黒潮に育まれた魚、そして豚肉、鶏肉を、みそやキビ酢を調味料にしてとるのが特徴。食材も調理法も沖縄料理の流れを汲むもので、長寿食です。
実際、現在の長寿日本一は奄美群島の1つ・喜界島在住の田島ナビさんです。
奄美大島で西郷は「とんと島人になりきり」という心境になり、奄美大島で一生を終えるのも悪くはないと思っていたといいます。このような心境に西郷をさせたのは、奄美の豊かな自然、島民との信頼関係、2番めの妻・愛加那との生活、そして奄美の伝統料理でしょう。
余談ですが、奄美大島の手つかずの大自然は現在、世界自然遺産に登録申請中です。
現在も変わらない大自然のエネルギーに育まれた奄美の料理は、西郷を一段と大きな器の人間に変えた、と私は考えています。
実は、私の妻は沖縄出身。私の健康の源も南の島の伝統料理にあるのです。